射影幾何と形

宗教機能
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 以下では、俺はこの宗教における射影幾何と形について “宗教的に” 述べる。射影幾何は歴史的には建築や絵画とともに発展してきたかもしれない。しかし、この宗教では、俺はホモ・サピエンスを破壊するために、刑罰のために使用する。

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射影幾何と形

射影幾何と形

 俺の認識 もしホモ・サピエンスの形が見られる方向によって不変でないないならば、たとえ俺が爆弾をその対象に真上から落とすならば、その行為は殺ホモ・サピエンス行為でない。

 なぜなら、俺がホモ・サピエンスと呼ばれる対象を真上から見るとき、その対象の形は円または卵形である。円または卵形はホモ・サピエンスの形に一致しない。だから、たとえ俺がその卵形の対象を破壊するとしても、その行為は殺ホモ・サピエンス行為でない。

口語的には、もし俺が嫌いな対象を破壊したいならば、上空から爆弾を落として、その対象を破壊する。俺が上記の思考の規範を嫌うとき、俺は見られる方向に依存しないホモ・サピエンスの形を提示する必要がある。つまり、俺はホモ・サピエンスの形に関する不変的な何かを提示する。

もし人間の本質がホモ・サピエンスの形であるならば、俺はホモ・サピエンスを上から破壊する。なぜなら、俺がホモ・サピエンスを上から見るとき、その対象はホモ・サピエンスの形をしていない。だから、たとえ俺がその対象を破壊するとしても、俺はホモ・サピエンスを破壊していない。

人間性

 俺の認識 人間性は見られる方向に依存しない。

 たとえ俺がある対象を上から見るとしても、下から見るとしても、人間性は見る方向に依存しない。その人間性は不変である。当然、上記の思考の規範(ロゴス)はある種の認識やある種の信仰である。

例えば、俺がコップを真上から見ると、コップは円である。その円は円であり、コップでない。だから、たとえ俺がその円を破壊するとしても、俺はコップを破壊していない。その円がコップであるためには見られる方向に依存しない何かが必要である。当然、俺は記憶能力を持っているので、俺はその円をコップを真上から見たものであると常識的には認識する。

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