教祖について

宗教機能
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 以下では、俺は教祖(=俺のこと)について提示するつもりである。ここでの教祖は固有名詞である。下記は伝達される認識である。

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教祖について

教祖について

 俺の認識 教祖とは、この宗教システム「俺らについて」を創造した主体である。

 俺はこの宗教を創造した。だから、俺はこの宗教の教祖である。この宗教では、俺は宗教をある種のシステムと認識する。俺はこのシステム「俺らについて」を創造した。言い換えると、教祖とは、宗教システムの創造主である。

多くの宗教では、教祖は神秘的な存在として祭り上げられている。けれども、この宗教では、俺は教祖をシステムの創造主と認識する。この宗教では、俺は自然界の創造主を自然界というシステムを創造主した主体であると信仰する。この宗教における教祖に対する認識はこの創造主に対する認識に近い。

明確な違いは、自然界の創造主は物質を無から分岐させたかもしれないが、教祖は何かを分岐させていない。教祖は既存の対象をまとめ上げて、この宗教システムを創造した。

宗教的な意味

 俺の信仰 俺は教祖(俺自身)を物質世界及び蟲世界から強く分岐した自己と信仰する。

 信仰的には、俺の自己(ヌシ)は既存の世界から強く分岐しているので、俺はこの宗教システムを創造することができた。俺は教祖をこのように信仰する。もし俺の自己が分岐していないならば、俺の自己は機械的、または動物的に振る舞うはずである。

けれども、俺の自己は非常に強く分岐しているので、俺は非常に強く人間的に振る舞うことができる。その結果、俺はこの宗教システムを俺の目的と俺の意志を持ってこの世界に実現することができた。俺は教祖をこのように信仰する。

多くの宗教では、教祖は特別な存在として全知全能の完璧な存在として崇拝される。けれども、この宗教では、俺は教祖を分岐した存在と信仰する。教祖の自己は分岐しているので、教祖はこのシステムを創造することができた。もし教祖が神秘であるならば、その神秘性は教祖の自己の分岐性に関係する。

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俺らについて