乙武洋匡は直立二足歩行であるべきか?〜参議院選挙と障害者とライオンキング化する日本国〜

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ヒト: human)とは、広義にはヒト亜族Hominina)に属する動物の総称であり[1]、狭義には現生の(現在生きている)人類(学名 : Homo sapiens)、ホモ・サピエンス・サピエンスホモサピエンスサピエンスHomo sapiens sapiens)を指す[2]人間(にんげん)ともいわれる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒト
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乙武洋匡はヒトであるか?

哺乳類ではヒトのみが直立二足歩行を行う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒト

 俺は次の定義を仮定する。ヒトとは、直立二足歩行する動物(哺乳類)である。俺は次の文を作る。乙武洋匡はヒトである。乙武洋匡は直立二足歩行する動物である。俺はその動物(乙武洋匡)は直立二足歩行しないと認識する。だから、乙武洋匡は直立二足歩行する動物でない。つまり、乙武洋匡はヒトでない。

もし俺が上記の結論に違和感を覚えるならば、俺はヒトの定義を変更する必要がある。例えば、俺は「もしある主体がヒトであるならば、その主体の子孫はヒトである」という思考の規範を採用する。俺は乙武洋匡の父親xをヒトであると認識する。俺はある主体を父親xと置く。その父親xはヒトである。俺がこの思考の規範を採用するならば、俺は乙武洋匡はヒトであると導く。

しかし、俺は上記の思考の規範を永久的に使用することができない。なぜなら、もし上記の思考の規範が成立するならば、一億年後の子孫もまたヒトである。俺の予想では、この結論は将来的な事実に反する。過去を考慮すると、進化論にも反するだろう。そこで、俺はこの思考の規範を否定して、俺は次を獲得する。

ある主体がヒトである、かつその主体の子孫はヒトでない。このとき、俺は乙武洋匡はヒトであることを導くことができない。過去を考慮すると、もしある主体の先祖(1代目)がヒトであるならば、その主体はヒトである。これらのどちらも交雑の相手がヒトであると仮定する。

乙武洋匡を国家の統治者にすることの意味

 乙武洋匡は直立二足歩行でない。にも関わらず、乙武洋匡は国家の統治者になろうとしている。加えて、愚かな民は乙武洋匡が統治者になることを歓迎している。しかし、彼らは乙武洋匡が直立二足歩行でないことを考慮する必要がある。

なぜなら、コーカサス人種は乙武洋匡を有色人、異教徒、異文明民、そして直立二足歩行でないことを認識して、彼らは乙武洋匡をヒトと認識しない、または定義しない可能性がある。このとき、大和民族はヒト未満を彼らの統治者や代表として選択しようとしている。

もし大和民族の代表がヒト未満であり、かつもし彼らがヒト未満に統治されるならば、大和民族もまたヒト未満である。または、彼らはヒトによって統治される動物(哺乳類)である。コーカサス人種はこのように考えるかもしれない。一般的には、未開の民は病人や障害者やヤクザ(暴力)を崇拝して、彼らの不安を鎮めるものとして祭り上げる。

殺ヒト行為と殺人行為

 俺系統の思考の規範? もしある行為xが殺ヒト行為であるならば、その行為xは殺人行為である。

 または、もしある主体があるヒトを殺す(殺した)ならば、その主体はその人間を殺す(殺した)。対偶をとると、もしある行為xが殺人行為でないならば、その行為xは殺ヒト行為でない。否定をとると、ある行為xは殺ヒト行為である、かつその行為xは殺人行為でない。

 俺系統の思考の規範? もしある行為xが殺非ヒト行為であるならば、その行為xは殺人行為でない。

 または、もしある主体がある非ヒトを殺す(殺した)ならば、その主体はその人間を殺さない(殺してない)。対偶をとると、もしある行為xが殺人行為であるならば、その行為xは殺非ヒト行為でない。否定をとると、ある行為xは殺非ヒト行為である、かつその行為xは殺人行為である。

感覚的には、もし俺が乙武洋匡を殺すならば、俺は殺人行為を実行したことになるように思える。しかし、もし俺が物事をノリや雰囲気で捉えないならば、俺は人間やヒトが何であるのかを考える必要がある。例えば、俺は知能や人間性、善悪を人間の定義や認識に関係させることができる。

例えば、俺は人間とは、x教系統の人間性を持つヒトであると定義することができる。乙武を含めるならば、人間とは、x教系統の人間性を持つ対象である。このとき、俺は肌の色や形や要素に関係なく、人間を定義することができる。

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