俺系統の刑罰

 以下では、俺らはこの宗教における刑罰を与える。俺らがサッカーシステムのような運動競技システムを作るとき、俺らは違反行為に対する罰則(刑罰)を定める必要がある。同様に、俺らが社会システムを形成するとき、俺らは刑罰を与える必要がある。

また、世界には、様々な宗教系統の刑罰が存在する。例えば、イスラム教系統の刑罰とキリスト教系統の刑罰は互いに異なる。そして、人権に関して、しばしば問題が生じてきた。

俺系統の刑罰

俺系統の刑罰

 俺系統の刑罰 俺らは物質に対する刑罰と動物に対する刑罰と人間に対する刑罰を採用する。

 人間は運転手に対応して、動物は意識(蟲)に対応する。物質は物質に対応する。例えば、俺は人間に対する刑罰とサピエンスに対する刑罰を分けて実行する。

刑罰の主体の善性の正当化

 俺系統の刑罰 俺らはより分岐された主体(対象)が刑罰を実行することを善と判断する。

 俺らはより分岐された主体(対象)が刑罰を実行することを善と判断する。俺らが刑罰を考えるとき、俺らは誰が刑罰を下すのが正当であるのかという問題に行き着く。つまり、俺らは刑罰の主体の正当性に関する問題を宗教的に解決する必要がある。

この宗教では、俺らはより分岐された主体や対象が刑罰を下すことを善と判断する。この善性は分岐によって正当化される。要するに、俺らは俺らの運転手や意識(蟲)は物質的世界から分岐した存在であるので、それらが何かを罰することは正当であると信仰する。このとき、俺らは創造主なしに刑罰の正当性を獲得することができる。

刑罰と損害

 俺系統の刑罰 俺系統の損害が俺系統の刑罰を導く。

 例えば、サッカーにおけるハンド行為は損害を他人に与えていない。けれども、サッカーシステムの創造主がそのように決定したので、ハンド行為に対する違反が罰則になる。

この宗教では、俺らは損害なき刑罰を採用しない。西洋では、たとえ損害がないとしても、創造主の言葉や文字に対する違反が刑罰の対象行為になる。その結果、豚肉やアルコールを摂取してはいけないという決まりが生じて、その決まりに違反すると、なぜか刑罰を科される。

しかし、この宗教では、俺らは自己や他者に対する損害が生じたので、その損害に応答して刑罰が科されると信仰する。俺らはこの種の考えを「損害的刑罰」と便宜的に呼ぶ。

タイトルとURLをコピーしました