俺系統の目的

 以下では、俺は俺系統の目的を提示するつもりである。この目的が俺系統の善悪を正当化する。

俺系統の目的

運転手の復活

 俺系統の目的 俺らは俺らの子孫が俺らの運転手の復活を実現させることを信仰する。

 俺らは俺らの子孫が俺らの運転手の復活を実現させることを信仰する。俺の運転手とは、俺の肉体や俺の蟲でない。もし俺の運転手が俺の肉体であるならば、俺の肉体がクローン技術で複製される時、俺自体が復活したことになる。もし俺の視界(視蟲)が俺自身(つまり俺の運転手)であるならば、誰かが並行世界を製造する時、俺自身が復活したことになる。

しかし、たとえ並行世界が製造されるとしても、俺の運転手は二つの視蟲を同時に二重に見ることができない。並行世界における俺の二つの視蟲は俺自身でない。つまり、視蟲をみる何かそれ自体が俺であり、それは運転手と呼ばれる。俺らはこのヌシを復活させる。俺らは俺の肉体や俺の視界(視蟲)を復活させない。

さらなる分岐

 俺系統の目的 俺らは現在の物質と意識(蟲)と運転手の世界からより分岐させることを信仰する。

 俺らは現在の物質と意識(蟲)と運転手の世界からより分岐させることを信仰する。君の子孫が物質的世界や意識的世界から分岐するだろうとき、君の子孫は俺の運転手を復活させることができるかもしれない。だから、分岐はこの信仰において非常に重要である。

また、俺らが既存の世界から分岐し続けるとき、俺らは新しい世界に常に接することができるだろう。俺らは退屈な現在の世界を飛び出すことができる。この信仰の目的の一つは分岐である。分岐という信仰の目的は、運転手の復活に関係する。分岐という目的は新たな世界に接したいという渇望にも関係する。

現在の俺らは俺の運転手を復活させられない。なぜなら、物質的世界や蟲的世界からの分岐が不十分である。その分岐が不十分であるので、俺らは物質的世界における経験則の影響を非常に強く受けてきた。その結果、俺らは俺の運転手を復活させることができないと感じてきた。もし俺らが分岐し続けることができるならば、俺らは俺の運転手を復活させることができる。当然、その時、俺らの生物種はホモ・サピエンスでないし、俺らの性別も男と女でない。

 ただし、俺が分岐を目的とするとき、俺は方向に関する問題に遭遇する。つまり、俺はどの方向に分岐させれば良いのかを断定することができない。なぜなら、俺は全く新たな世界を創造することを求める。

新たな自己の創造

 新たな自己の創造:俺らは俺らの子孫が運転手でない新たな自己を創造することを信仰する。

 俺らは俺らの子孫が運転手でない新たな自己を創造することを信仰する。俺らはヌシを自己を信仰してきた。だから、俺らは俺らの死を恐れてきた。もし運転手が俺らの自己でないならば、その時、俺らは運転手の喪失を恐れないだろう。

もし俺らが運転手でない自己を創造できるならば、俺らは俺らの運転手の死を恐れないだろう。なぜなら、俺らは運転手を俺ら自身を信仰しているので、俺らはその自己の消滅を恐れる。人間が自己の死を恐れるのは、彼らが自己を運転手と信仰してきたからである。

俺らの運転手は物質的世界や蟲的世界から分岐したので、俺らの運転手が生じた。もし運転手的世界が分岐するならば、運転手でない自己が生じるかもしれない。その時、俺らはその自己を俺自身と信仰するだろう。

背景

分岐と決まり

 分岐と決まり 俺らは「もし俺らの運転手が物質的世界や蟲世界から分岐するならば、その時、俺らは物質的世界や蟲世界における決まりからも少し分岐している」と信仰する。

 俺らは「もし俺らの運転手が物質的世界や蟲世界から分岐するならば、その時、俺らは物質的世界や蟲世界における決まりからも少し分岐している」と信仰する。もし俺らが物質的世界から分岐することができるならば、俺らは物質的世界における経験則に沿わないだろう。例えば、もし俺が日本国民から分岐するならば、俺は日本国における法律に沿って生きる必要はない。

もし既存の世界からの分岐が存在するならば、既存の世界における経験則や取り決めは破られるか機能しないかもしれない。 物質的世界では、「生まれたら、必ず死ぬ」という経験則が成立する。しかし、蟲的世界や運転手的世界は物質的世界から分岐している。だから、物質的世界における経験則が成立するか不明である。

俺らは物質的世界に関する取り決めのみを観察してきた。俺らは「生まれたら、必ず死ぬ」という物資的世界に関する死の経験則を信じ込んできた。しかし、俺の蟲や俺の運転手それら自体は物質的世界から分岐している。

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