約束

https://unsplash.com/photos/Qnf_JasnPoM

 以下では、俺らはこの宗教における約束に対する認識を授ける。約束は日常におけるお金の貸し借りに関する約束だけでなく、単語や文法を含む言語や法律にも深く関係する。また、もし俺らが国家を約束と考えるとき、約束なしに国家は存在しない。

西洋文明では、約束は自由意志による相互的な合意であるように見える。加えて、西洋文明における宗教では、約束は創造主の意志や目的の無意味な実現でもあるように見える。俺らがお金を返さないフィリピン人や約束を破る大和民族の雌、そして選挙で選択された統治者の指示を破る大和民族の学者を見るとき、俺らは約束の重要性を感覚的に把握するだろう。

約束

認識

 認識 俺らは約束を現象の自己や他者との実現と認識する。

 約束するとは、主体(ヌシ)がある現象を自己や他者と実現させる行為である。ここでの現象とは、対象とその存在の和や対象とその状態の和や対象とその運動の和である。実現するとは、主体がある現象をある世界に意志(力)で実際に存在させる行為である。

口語的には、約束は誰と誰がいつどこで何を成立(実現)させるかである。例えば、ある人間aはある人間bと期日cまでにお金dを返すと言った。これが約束である。約束の破棄(非実現)は損害に関係して、損害は刑罰に関係するので、約束の破棄は(非実現)は刑罰にも関係する。

さらに、一般的に、約束は約束の善悪の正当化、つまり約束の正当性が問題になる。約束の正当性は主体の時刻や位置にも密接に関係する。

約束

 約束:俺らは約束をヌシ同士による対象や対象の存在や状態や運動に関する相互的な認識と信仰する。

 俺らは約束をヌシ同士による対象や対象の存在や状態や運動に関する相互的な認識と信仰する。約束の主体はヌシである。相互的な認識は、正確には、固定された相互的な認識(共通認識)である。

例えば、俺らが単語を一つの約束する時、上記の考えを見てみよう。appleという単語はヌシ同士によるappleと🍎の対応に関する(固定された)相互的な認識である。日常的には、俺らは単語を他者との相互的な決まり(認識)と信仰する。

この考えでは、単語に関する認識が始めに生じる。次に、俺らは単語に関する定義(機械的な約束)を考える。定義は認識でなく、知覚や機械の世界に近い。この信仰では、俺らは認識を重視する。だから、俺らは単語の定義や法を盲信しないで、俺らの認識や判断を文字や定義で書かれた法律に委ねない。

寄付

俺らについて