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 以下では、俺はこの宗教における性を提示する。性には、性それ自体に対する認識や信仰、人間競技の形成のために性規範が存在する。前者はこの宗教では性とは何であるかを提示する。後者は自己の性を管理・統治するための規範を提示する。その規範は思考の規範や富の規範に類似する。

応答背景

 始めに、俺は性に対する応答背景を提示する。俺らはホモ・サピエンスという動物的な性質と人間という人間的な性質の二重性を持っている。この二重の性質は俺らの性にも応用される。俺らは雌雄という動物的な性と男女という人間的な性の二重の性を認識してきた。動物的な性は運動能力や出産能力や発情である。人間的な性は男らしさや女らしさである。

ホモ・サピエンスを含む野生動物は発情する時、それらは交尾を実行する。この性質は動物的な性質である。野生動物が野生世界で生活するとき、発情に関する動物的な性質は問題にならない。けれども、俺らが馬や豚などの家畜や犬や猫を含む愛玩動物を扱う時、俺らは家畜の発情を制御・管理する必要がある。同様に、俺らが自己の人間社会(人間競技)を形成する時、俺らは俺らのホモ・サピエンスとしての動物的な性に関する性質を正しく管理・統治する必要がある。

もし俺らが家畜や愛玩動物の発情を管理しないならば、家畜や愛玩動物は無尽蔵に増殖して、俺らはそれらの動物自体を管理することができなくなる。同様に、もし俺らがホモ・サピエンスの発情を正しく管理・統治しないならば、ホモ・サピエンスの雌雄は公的な場所で発情してしまって、人間競技が崩壊するだろう。俺らが自己のx系統の人間社会を形成することを目的とする時、この崩壊状態は目的に反するので、この状態は悪い。だから、俺らは自己のx系統の正しい性規範を提示して、動物及び動物の動物的な性を正しく管理する必要がある。

俺らが自己のx系統の人間競技を形成する時、俺らは男性的であるとは何であるか、女性的であるのは何であるかを取り決める必要がある。さらに、俺らは自己のx系統の人間競技における性とは何であるのかも取り決める必要がある。俺らは男性や女性や性を俺らの性規範で形成する。

物的性

 俺の認識:物的性とは、俺らのヌシによって物質それ自体に知覚される性である。

 物的性とは、物質に関係した性である。例えば、Y染色体やX染色体が物質性である。正確には、Y染色体とX染色体の組み、またはX染色体とX染色体の組みである。より一般化する時、俺らはエネルギの正と負に性を強制的に与えることができるかもしれない。

日常的には、性は動物に対して認識される。犬や爬虫類やホモ・サピエンスはオスとメスという性を持つ。そして、この性は性染色体に還元される。人間の場合、人間は女性や男性という人工的な意味での性を持つ。もし動物的な性と人間的な性が存在するならば、俺は物質にも性のような何かを見出したいと考えるのは自然である。

蟲的性

 俺の認識 蟲的性とは、俺らのヌシによって蟲それ自体に知覚、または信仰される性である。

 俺らが蟲が物に対応していることを仮定するとき、俺らは雌の蟲(雌蟲)と雄の蟲(雄蟲)を仮定する。俺らは他人の蟲を知覚することができない。だから、俺は信仰という単語を使用する。

性蟲とは、性欲に関係した物質によって引き起こされる蟲である。口語的には、俺らが性欲を感じる時に、俺らは性蟲を把握する。俺らが性欲を感じる時、俺らのヌシは性蟲を知覚する(認識する)。性欲は感情や視界(視蟲)と同様に蟲である。俺らは性欲を性蟲と呼ぶ。性蟲は非連続的な蟲である。性観(性規範)とは性蟲に関する価値観である。現時点では、性蟲は子孫繁栄にも関係するので、子孫の生産は性観から導かれる。

ヌシ的性

 俺の信仰 ヌシ的性とは、俺らのヌシによってヌシそれ自体に信仰される性である。

 俺のヌシそれ自体が性を持っているのかは不明である。けれども、俺はもしホモ・サピエンスの雌が自己のヌシを持つならば、そのヌシは俺のヌシと異なるように感じる。その異質性が性に関するものであるのかは不明である。

分岐性観

分岐性観

俺の信仰 俺らは俺らの性を分岐させることを信仰する。

 上記では、俺は3つの性を信仰する。この宗教の目的の一つは分岐である。だから、俺らは新たな性を創造することを信仰する。この場合、俺は新たな物的性と新たな蟲的性、そしてまだ見ぬ?ヌシ的性を創造する。

例えば、現在、ホモ・サピエンスには、雄と雌が観察される。俺らは雄でも雌でもない新たな性を創造することを試みる。この新たな性は物質的に新たなだけでなく、蟲的にもヌシ的にも新たな性であるように創造する。

数と性

 俺の認識 俺は対象の数を俺の意志で変えることができる。しかし、俺は対象の性を俺の意志で変えることができない。

 俺は人間の数を変えることができる。例えば、俺は humanul を humanol に俺の意志で変えることができる。しかし、俺は性の語尾を w と m と便宜的に置くと、俺は jomonwal(縄文雌) を jomonmal (縄文雄)に俺の意志で変えることができない。この状態は太陽系の惑星の数(8)を俺の意志で変えることができないことに似ている。

だから、太陽系の惑星の数は planetum である。太陽系の惑星の数はアボガドロ数のように創造主によって決定されている。性もまた惑星の数のように創造主によって決定されているように見える。しかし、この宗教では、俺は性もまた人間の数のように俺らの意志で変えられるものであると信仰する。

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