俺系統の富

 以下では、俺は俺系統の富を提示する。この宗教では、俺は下記の富の規範に沿って、富を取り扱う。俺が俺系統の富を考えるとき、俺は自己と所有、そして富それ自体を認識する。

一般的に、富はx教系統の富という形式で存在する。宗教が異なるとき、異なる富の規範が存在する。実際、ユダヤ教徒の富の取り扱いとキリスト教徒の富の取り扱い、そしてイスラム教徒の富の取り扱いは互いに異なり、それらの違いが富に関する争いを引き起こしてきた。また、イスラム教では、利子が禁じられているらしい。

俺系統の所有

俺系統の所有

 俺系統の信仰、または認識 俺がある対象を俺系統で所有するとは、俺がその対象を俺の意志で運動させることができることである。

 俺は運転手である。運動には、静止も含まれる。例えば、俺が土地を所有するとき、俺はその土地を物理的に運動させることができない。そのため、俺は運動に、静止や管理・統治も含める。ただし、上記の場合、会社員が所有されてしまう。そこで、俺は対象との契約や共通認識無しにという文句を入れる。俺は上記に納得していないので、現時点での俺系統の所有である。

所有の主体

 俺系統の信仰、または認識 俺は運転手(自己)が意識(蟲)や物質を所有すると信仰する。

 俺は運転手が意識(蟲)や物質を所有すると信仰する。この宗教では、俺は運転手を自己と信仰する。その自己が自己の意識(蟲)や自己の肉体を所有する。例えると、肉体を車体と仮定すると、車体の中の立体映像や画面が意識であり、車体の中の運転手が自己である。その運転手が車体と立体映像を所有する。

一般的に、人々は彼らの肉体が土地や食料を含む物質を所有すると感じてきた。この宗教では、俺らはこの種の考えを採用しない。所有する主体は運転手である。

所有の分類

 俺は所有を次の二つに分類する。一番目には、運転手が自己の意識と自己の肉体を所有する。俺はこれを一次所有、または直接所有と便宜的に呼ぶ。二番目には、運転手が自己の意識や自己の肉体を通して、外部の意識や外部の物質を間接的に所有する。俺はこれを二次所有、または間接所有と便宜的に呼ぶ。

一次所有の範囲とは、自己の意識が生じる範囲である。もし無人機の中に俺の意識が発生するならば、俺はその意識を知覚できるので、俺はその無人機を一次所有する。そして、一次所有の範囲は俺の肉体の中とその無人機の中である。もし俺の腕が俺の肉体から切断されるならば、その腕は一次所有されない。しかし、他者の腕の移植や機械が俺の肉体に接続され、かつその腕や機械に意識が発生するならば、その腕は一次所有される。

二次所有には、例えば、俺が車を所有することがある。俺が車を所有したいとき、俺は俺の意識と俺の肉体を俺の意志で操縦して、肉体の外部に存在する車体を所有する。外部から見ると、俺の肉体が俺の車を所有しているように見える。また、二次所有では、俺らは他の生物の意識と物質を所有できる。だから、俺らは意識と物質を持つ動物を家畜として所有できる。俺らは牧畜を二次所有する行為と解釈する。

俺系統の富

俺系統の富

 俺系統の信仰、または認識 俺系統の富とは、運転手(自己)が所有する対象である。

 富とは、運転手(自己)が所有する対象である。具体的には、俺の意識や俺の肉体は富である。俺が所有する車や不動産やゴールド、お金は富である。

俺は富を次の二つに分類する。一番目には、運転手が一次的に所有する富がある。俺はこの富を一次富、または直富と呼ぶ。二番目には、運転手が二次的に所有する富がある。俺はこの富を二次富、または間富と呼ぶ。

一次富には、自己の意識と自己の肉体が存在する。もし自己の意識が無人機などに発生するならば、その無人機も直富になる。二次富には、自分が所有する車や電子計算機や家や土地や食料や衣服が存在する。また、お金も富である。たとえそのお金が紙幣であるとしても。

俺系統の商品

 商品:俺系統の商品とは、既存の富と交換可能な富である。

 自己の意識は交換不可能であるので、商品でない。自己の肉体全体は交換できないので、自己の肉体全体は商品でない。しかし、俺らは肉体の一部を他者に売ることができるので、肉体の一部は商品である。ただ、脳という臓器は商品でない。

一般的に、直富は商品でない。臓器の一部は売れるが、売るためには、自己の腕などを切り離して、直富を間富に変換する必要がある。

所有する車体や漫画や鉛筆などはすべて商品である。また、自己の犬やわしや家畜や土地も商品である。また、俺らがヌシが所有する対象の存在及び状態及び運動も所有する能力を持つと信仰すると、対象の運動それ自体も商品である。俺らが俺らの肉体を操縦するとき、俺らはその肉体の運動と食料を交換できる。

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