人工物

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数学的帰納法?

 以下では、俺は数学的帰納法に対する俺の認識を提示するつもりである。 数学的帰納法 具体例(白紙)  俺の認識 ある書籍における任意のページが白紙である。  1ページ目が白紙である。もしnページ目が白紙であるならば、n+1ページ目が白紙である。この時、ある書籍における任意のページが白紙である。これはドミノ倒しにも応用される。 具体例(要素)  俺の認識 ある物体はn番目の内部構造をもつ。  ある物体は(一番目の)その内部構造を持つ。もしある物体がn番目の内部構造をもつならば、n+1番目の内部構造をもつ。この時、ある物体はn番目の内部構造をもつ。俺は半径1/rを持つ球体を考えることができるかもしれない。 数学的帰納法? 大和民族と朝鮮民族  俺の認識 ある東洋人は時刻nで日本人である。  今、俺は日本人の雄と朝鮮人の雄の写真を連続的に並べる。時刻1では、日本人の雄の写真が提示される。時刻100では、朝鮮人の雄の写真が提示される。今、時刻50に、日本人の雄と朝鮮人の雄の中間族の写真を置く。さらに、時刻25に、日本人と日本人...
2021.09.23
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実数の個数は自然数の個数よりも多いのか?〜カントールの対角線論法〜

 実数の個数は有理数の個数よりも多いらしい。そして、その証明には、カントールの対角線論法が使用されているらしい。当然、俺はその証明を理解できない。 けれども、俺は実数の個数は自然数の個数よりも多いことを疑っている。以下では、俺は実数の個数は自然数の個数よりも多いのかに対する俺の現時点での認識を提示するつもりである。 有理数の個数 有理数の個数  俺が有理数の個数と自然数の個数を考える時、俺は有理数を平面の上に格子点の上にうまく並べる。その後、俺はその並べられた有理数に自然数を対応させていく。例えば、俺は自然数を有理数にぐるぐる円のようにふっていく。または、俺は自然数を有理数に斜めにふっていく。 この時、俺は有理数の個数と自然数の個数が一対一に対応すると感じる。有理数の個数と自然数の個数が一対一に対応する時、俺は有理数の個数と自然数の個数は互いに等しいと約束する。この時、有理数の個数は自然数の個数に等しいらしい。 俺が有理数をうまく並べると、自然数との対応がつくので、有理数の個数と自然数の個数は互いに等しいらしい。特に、俺が有理数を一次元的に並べるこ...
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ガリレオの無限の背理(パラドックス)〜部分は全体よりも小さいか?自然数と平方数〜

 自然数はその平方数に一対一に対応するように見える。1は1^2、2は2^2、3は3^2、...。この時、俺は自然数と平方数の数は同じであるように感じる。同時に、俺は平方数は自然数の部分であるようにも感じる。 この2つの心理は互いに反している。だから、俺はこの対応を背理であると感じる。しかし、俺はこの背理を背理と感じない。以下では、俺は上記の背理に対する俺の認識を提示するつもりである。 ガリレオの無限の背理 原因  俺の認識 自然数の数字と平方数の数字は一対一に対応している。  数字は名札である。1は1^2、2は2^2、3は3^2、...。は1という名札が1^2という名札に対応している。2という名札が2^2という名札に対応している。3という名札が3^2という名札に対応している。 個人的には、俺はガリレオの無限の背理が背理であるように感じるのは、平方数を幾何学的に想像するからであるように感じる。それぞれの平方数に対して、数字という名札を与える。この名札同士の対応を考える時、自然数に対する名札と平方数に対する名札が一対一に対応するのは自然であるように感じ...
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集合

 以下では、俺は集合が何であるのかを提示する。俺が動物の群れをみる時、俺は群れの集合を連想する。けれども、同時に、俺は群れの集合は動物それ自体でないと感じる。 集合 集合と対象達  俺の認識 集合とは、対象達それ自体でない。  今、俺は対象を objectal, objectil, objectul, objectel, objectol, ..., のように思考する。この時、俺は集合を使用せずに、俺は複数の対象を把握することができる。俺が複数の対象をこのように把握するとき、集合は object~l を囲む境界であるように感じる。言い換えると、集合は対象を囲む建物それ自体である。 集合  俺の認識 集合とは、対象達をその他の対象と区別する境界である。  俺が対象達を内部に置きたい時、俺は集合を必要とする。または、俺は境界をはっきりさせたい時、俺は集合を必要とする。例えば、俺が東洋文明と西洋文明をきちんと分けたい時、俺は文明という境界を必要とする。また、俺は自己の家庭を他の家庭から分離させたいので、俺は建物を集合として必要とする。 俺が ...
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自己言及の背理(パラドックス)

 この文は偽である。これは自己言及の背理の代表例であるらしい。以下では、俺はこの背理を観察してみる。 自己言及の背理 真の場合  前提 この文は偽である。  俺はこの文を「この文は偽である」と置く。この時、「この文は偽である」は偽である。もし『「この文は偽である」は偽である』が真であるならば、「この文は偽である」は偽である。偽による文の変化(である→でない)により、「この文は偽である」は「この文は偽でない」に変化する。 従って、俺らは「この文は偽でない」を得る。この「この文は偽でない」は「この文は偽である」に反する。これは矛盾である。さらに、俺が「偽でない」を「真である」と解釈すると、「この文は偽でない」は「この文は真である」に変化する。「この文は真である」は「この文は偽である」という前提に反する。矛盾。 偽の場合  前提 この文は偽である。  もし「この文が偽である」が偽であるならば、偽による文の変化(である→でない)により、この文は偽でない。俺が「偽でない」を「真である」と解釈すると、「この文は偽でない」は「この文は真である」に変化...
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必要条件と十分条件〜植物が存在するならば、水が存在する〜

 俺は必要条件を十分条件をうまく理解できてこなかった。以下では、俺は必要条件と十分条件に対する俺の現時点での認識を提示するつもりである。 具体例 具体例(推論) 俺の認識 植物が存在するならば、水が存在する  俺は植物が存在するをPと置く。俺は水が存在するをQと置く。この時、「もし植物が存在するならば、水が存在する」は推論「P→Q」である。この推論は正しい推論、つまり正常に機能する推論である。 今、俺は分かりやすさを優先して、実際という単語を真偽の代わりに便宜的に使用する。この時、俺は推論を「もし植物が実際に存在するならば、水も実際に存在する」と変形する。植物が実際に存在することは植物が存在することが真であることに対応する。水も実際に存在するは水も存在することが真であることに対応する。 必要条件  日常的な感覚では、植物が成長するためには、水が必要である。俺はこの感覚を上記の推論へと使用する。つまり、水が実際に存在することは植物が実際に存在するために必要である。これが必要条件に対する俺の感覚である。 十分条件  日常的な感覚では、...
2021.09.22
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対偶

 以下では、俺は対偶に対する俺の認識を提示するつもりである。俺は「もし自動車が存在するならば、車輪が存在する」という推論を使用する。 対偶 対偶  俺の認識 もし車輪が存在しないならば、自動車が存在しない。  上記の推論は直感的にも正常に機能するように感じる。車輪が存在しないことが真である。自動車が存在しないことが真である。俺が真を実際に置き換えるとき、もし車輪が実際に存在しないならば、自動車が実際に存在しない。 車輪が実際に存在しないことは自動車が実際に存在しないことに十分である。口語的には、車輪がそもそも存在しないならば、自動車も存在しないと当然言える。自動車が実際に存在しないことは車輪が実際に存在しないことに必要である。なぜなら、もし車輪が存在したならば、自動車も存在するかもしれない。だから、自動車が存在する可能性を潰して、たとえ車輪が存在するとしても、自動車が存在しないようにしておく。 真偽  ① 車輪が存在しないことが真である。自動車が存在しないことが真である。この時、推論は真→真であり、真である。もし車輪が存在しないならば、自動車...
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論理学における真偽と否定

 以下では、俺は論理学における真偽を提示するつもりである。ここでは、俺は自動車が存在するをPとし、車輪が存在するをQとする。そして、もし自動車が存在するならば、車輪が存在するを一つの推論とする。 真偽 真  自動車が存在するが真である。この時、自動車が存在する。車輪が存在するが真である。この時、車輪が存在する。もし自動車が存在するならば、車輪が存在するが真である。この時、もし自動車が存在するならば、車輪が存在する。 偽  自動車が存在するが偽である。この時、自動車が存在しない。車輪が存在するが偽である。この時、車輪が存在しない。一般的に、文P「AはBである」が偽であるとき、文PはNot P「AはBでない」になる。 実際  個人的には、俺は真偽でなく、実際という単語を使用するとき、俺は論理学における真偽を感覚的に把握できるように感じた。例えば、自動車が実際に存在する。これが自動車が存在するが真であるに対応する。自動車が実際には存在しない。これが自動車が存在するが偽であるに対応する。 たとえ俺がある文を提示するとしても、その文が実際であるの...
2021.09.22
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必要

 以下では、俺は必要を提示する。俺が原因を思考する時、俺は必要を考える必要がある。 必要 必要  俺の認識 必要な対象とは、主体がある現象を作るために使用する対象である。  現象はある対象やその存在やその状態、その運動に置き換えられる。または、現象はシステムに置き換えられる。ためには目的である。つまり、俺らがある現象を実現する時、俺らはある対象を使用する。その対象が必要な対象である。 例えば、俺らが海を渡る時、俺らは船を必要とする。船が必要な対象である。俺らが対象を破壊する時、俺らは爆弾を必要とする。爆弾が必要な対象である。俺らが電計機を作るとき、俺らは科学や数学を必要とする。科学や数学が必要な対象である。俺らが生きる時、俺らは富や水や土地を必要とする。富や水や土地が必要な対象である。 空間必要(部品必要)  俺の認識 空間必要とは、主体がある対象を成立させるために使用する対象である。  対象はシステムでも良い。口語的には、空間必要とは、製品を作るための材料のことである。その材料は同じ時間の中に存在する。例えば、人体を成立(存在)させる...
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