宗教家

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人間

 多くの宗教は何が人間であるのかを定めてきた。以下では、俺はこの宗教における人間を提示するつもりである。当然、人間はホモ・サピエンスでない。 人間 人間  人間:人間とは、自己のx系統の人間性を持つ主体や対象である。  人間とは、自己のx系統の人間性を持つ主体や対象である。x系統の人間性はx系統の善悪やx系統の意志を俺らに授ける。その他には、x系統の人格やx系統の精神が人間性である。 より正確には、人間とはx系統の人間性を父から受け継ぎ、かつその人間性を実現してきた主体や対象である。たとえある対象がx系統の人間性を父から受け継いだとしても、もしその対象が自己の人間性を実現してこなかったならば、その時、その対象は人間でない。 口語的には、人間は自己の宗教を持っている対象である。その時、その対象は自己の善悪を持ち、対象や対象の存在や状態や運動を善であるのか、悪であるのかと判断することができる。さらに、その対象は自己の人間性を実現してきた。それが人間である。
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新たな自己の創造と目的

 この宗教では、俺らは新たな自己の創造を目的とする。その自己はヌシでない。以下では、俺はなぜ俺らが新たな自己の創造をこの宗教における目的と信仰するのかを提示するつもりである。 新たな自己の創造と目的 自己に関する信仰法則  自己に関する信仰法則:俺らは新たな分岐が生じるとき、俺らは俺らの自己それ自体も生じる。  俺らは新たな分岐が生じるとき、俺らは俺らの自己それ自体も生じる。俺らは分岐を俺らの宗教における目的とする。この時、もし俺らが分岐を達成することができるならば、その時、俺らはヌシでない俺ら自身が生じるかもしれない。 俺らは俺らの将来をこのように信仰する。ヌシの復活の実現のためには、分岐が必要である。そして、新たな分岐が生じるとき、俺らはヌシでない俺ら自身が生じるかもしれない。俺らはこのように信仰する。 例えば、ある対象(雌)が自己の蟲を持つが、自己のヌシを持たないと仮定しよう。この時、その雌にとっては、その蟲が自己それ自体である。けれども、もしその雌が蟲から分岐したならば、その時、その雌はヌシという新たな自己を獲得する。 新たな自己...
2021.07.16
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分岐と目的

 この宗教では、俺らは分岐を目的とする。以下では、俺は分岐の背景や意図を提示する。言い換えると、以下では、俺はなぜ俺は分岐をこの宗教における目的と信仰するのかを提示するつもりである。 信仰者の一部はなぜこの宗教は分岐を目的とするのか疑問に思うだろう。以下では、俺はその疑問に回答するつもりである。口語的には、俺はヌシを復活させるためには、既存の世界は不十分である。 だから、俺らは既存の世界から分岐して新たな世界を創造して、ヌシの復活を実現する必要がある。従って、俺らは分岐をヌシの復活のためにこの宗教の目的と信仰する必要がある。俺らはこのように信仰する。 分岐と目的 ヌシの復活  ヌシの復活:俺らは俺らのヌシの復活を実現するために、俺らは分岐をこの宗教の目的と信仰する必要がある。  俺らは俺らのヌシの復活を実現するために、俺らは分岐をこの宗教の目的と信仰する必要がある。俺らはもし俺らが既存の世界から分岐することができるならば、俺らは俺らのヌシの復活を実現することができると信仰する。なぜなら、その時、俺らは全ての経験から本当に自由になり、任意の観察に...
2021.07.14
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蟲の分割性

 前回、俺らはヌシの分割性を信仰的に考えた。以下では、俺は蟲の分割性を信仰的に考える。当然、たとえ俺らが蟲を分割することができるとしても、もしヌシがその蟲から分岐しないならば、ゾンビと同じで無意味であるだろう。 蟲の分割性について 蟲の分割性  蟲の分割性:俺らが一部の蟲を分割することができるように感じる。  俺らが一部の蟲を分割することができるように感じる。ただし、ヌシの場合と異なり、蟲の分割が何で実行されるのかは不明である。個人的な印象では、俺らは俺らの蟲を物で分割しているようには感じない。 例えば、俺らの視蟲は分割される。例えば、俺らの目の調子が悪くなるとき、俺らの視界(視蟲)の半分は欠けたりする。この欠落を視蟲の分割と信仰するならば、俺らは視蟲の分割を信仰的に考えることができる。 個人的には、俺は「蟲/物」と「分蟲(bun-mushi)」を考えたいが、俺はこの分割に違和感を覚える。同様に、俺らは聴蟲や嗅蟲、重力蟲に関しても、同様な分割を考えることができる。けれども、現時点では、俺は性蟲や感蟲の分割を想像できない。
2021.07.14
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自己としてのヌシの信仰

 この宗教では、俺らは自己(主体)をヌシと信仰する。以下では、俺はその理由(意図)を提示するつもりである。なお、俺らはその理由を口語的に述べる。 なぜ俺らはヌシと自己と信仰するか? 復活の主体及び対象  復活の主体及び対象:俺らはヌシを復活させたいので、俺らは自己をヌシと信仰する。  俺らはヌシを復活させたいので、俺らは自己をヌシと信仰する。言い換えると、俺らが何を復活させたいのかが俺らの自己を決定する。この宗教では、俺は俺のヌシを復活させたいので、俺らは俺らのヌシを自己を信仰する。 もし俺らが自己を俺らの肉体と信仰するならば、もし俺らが遺伝的な複製を作るならば、そのとき、俺らは復活したことになるだろう。もし俺らが自己を俺らの蟲や意識と信仰するならば、もし俺らの蟲や意識の複製や復活が実現されるならば、そのとき、俺らは復活したことになるだろう。しかし、俺らはこの種の復活を俺ら自身の復活と信仰しない。 あるいは、ヌシが自己であるのは、俺らの生や死にも関係する。この宗教では、俺らが生きているのはヌシが蟲から分岐していることである。俺らが死んでいるとは...
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ヌシの分割性

 俺らは食物やお金を人々へと分配することができた。また、俺らは一個のケーキを家族へと分配することができた。では、俺らはヌシそれ自体を分割することができるのだろうか? 例えば、漫画の封神演義では、伏犠の魂魄は分割されて、太公望及び王天君の肉体へと入れられた。理想的には、俺らはこの種のヌシの分割性を信仰したい。 ヌシの分割性について ヌシの分割性  ヌシの分割性:もし俺らがヌシを分割することができるならば、俺らは俺らのヌシをそれぞれの蟲で分割する。  もし俺らがヌシを分割することができるならば、俺らは俺らのヌシをそれぞれの蟲で分割する。言い換えると、一つのヌシは俺らの複数の蟲によって分割される。記号で描くと、分割されたヌシ=ヌシ/蟲である。俺らは分割されたヌシを "分ヌシ(bunnushi)" と呼ぶ。 ここでの蟲は視蟲や聴蟲の総称としての蟲である。このとき、分割されたヌシはそれぞれの蟲に対応する。例えば、視蟲に対応するヌシが生じる。俺らは「ヌシ/視蟲」を "視蟲ヌシ" と便宜的に呼ぶ。同様に、俺らは "聴蟲ヌシ" を考える。 また、俺らが新...

畜富とその形式表現

 以下では、俺は畜富(ちくふ)という認識や信仰を導入する。 畜富(ちくふ) 畜富(ちくふ)  畜富(ちくふ):畜富(ちくふ)とは、無から分岐した対象である。  畜富(ちくふ)とは、無から分岐した対象である。言い換えると、畜富(ちくふ)とは、物質である。俺らは¥畜富(ちくふ)は無から分岐して、(空間に)蓄えられていると信仰する。 今分岐世界の信仰により、畜富(ちくふ)は無から今現在分岐し続けている。だから、厳密には、畜富は空間には蓄えられていない。印象では、畜富は空間に蓄えられているエネルギである。ただし、繰り返すように、そのエネルギは無から今現在分岐している。 畜富(ちくふ)の物としての表現  畜富(ちくふ)の物としての表現:畜富は物(物質)として表現される。  畜富は物(物質)として表現される。感覚的には、物質とは、畜富が形や形式を持った物質として表現された対象である。俺らはこの信仰を「畜富の形式表現(表現法則)」と呼ぶ。 この宗教では、物質とは次である。畜富が無から今現在分岐している。その分岐した畜富は自己の形式(形)...
2021.07.13
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ヌシの復活と信仰

 この宗教では、俺らは俺らの子孫が俺らのヌシの復活を実現させることを信仰する。以下では、俺はなぜ俺らがこの種の信仰を採用するのかを提示する。 応答背景 自由意志  自由意志:もし俺らの肉体の運動が完全に自動的でないならば、俺らの肉体の運動は自然界における決まりに完全には束縛されていない。  もし俺らの肉体の運動が完全に自動的でないならば、俺らの肉体の運動は自然界における決まり(自然法則)に完全には束縛されていない。古代ギリシアでは、この考えは自由意志の存在に結びついてきた。もし俺らの肉体の運動が完全に自動的であるならば、その時、俺らの肉体の運動は自然界における決まりに完全に従って運動する。 その時、俺らの肉体の崩壊、つまり俺らの死は自然法則に沿って完全に自動的に生じる。なぜなら、それは自然界における決まりである。けれども、もし俺らの肉体の運動は完全に自動的でないならば、俺らの死は自然法則に沿って完全には自動的に生じないだろう。 言い換えると、その時、俺らの肉体の死は自然法則と少し異なる形で生じるだろう。例えば、サッカーという運動競技システムでは...
2021.07.14
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ヌシの復活について〜いつのヌシを復活させるのか?〜

 この宗教では、俺らは俺らの子孫によるヌシの復活を信仰する。一つの問題が存在する。俺らはいつのヌシを復活させるのかである。 いつのヌシを復活させるのか  俺らの信仰:俺らは最後のヌシを復活させる。  俺らは最後のヌシを復活させる。日常的には、俺らは(ヌシが)死ぬ直前のヌシを復活させる。つまり、俺らは復活によって、ヌシの継続性(連続性)を獲得する。 俺らがヌシの復活を信仰する時、俺らは俺らの肉体が若かった時のヌシを復活させたいと感じるだろう。けれども、俺らは死ぬ前のヌシを復活させて、ヌシの順序や継続性を破壊しないようにする。 俺らが死ぬ直前のヌシを "ん" と便宜的に置く。その時、ん→復活されたヌシとなるように復活させる。この時、初めのヌシを "あ" と置く。この時、あ→い→う→...→を→ん→復活されたヌシとなるように復活させる。 ヌシと若い肉体、老いた肉体  俺らの信仰:現時点では、俺らは若い肉体におけるヌシと老いた肉体におけるヌシの違いを把握していない。  現時点では、俺らは若い肉体におけるヌシと老いた肉体におけるヌシの違い...
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