善悪

8章 善悪

 共通信仰 分岐正当観とは、ヌシがより分岐された対象を正当性を持つ対象と信仰する正当観である。

 分岐されたが分岐しているでも可能である。分岐正当性は分岐という目的によって正当化される。この宗教の目的が分岐であるので、対象の分岐や対象の存在及び状態及び運動の分岐もまた正当化される。俺らはこのように考える。

以下で、俺は善悪と病と正当性を提示する。善悪はレッドカードであり、対象の存在及び状態及び運動の良し悪しを定める。正当性はレッドカードの根拠、なぜその行為をレッドカードとみなすのが正当であるかを提示する。

例えば、東洋では、善悪の正当性は礼である。西洋では、善悪の正当性は罪である。東洋では、善悪は陰陽であり、それらは互いに互いを補い否定されず、秩序を形成している。

1節 善悪(陰陽)

https://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽

 共通信仰 陰陽一体とは、陰と陽が両立する善悪である。

 陰陽一体は物と蟲とヌシが三重に成立すること(巴世界観)から応用される。西洋では、善悪は善悪二元論によって考えられる。そこでは、善と悪は互いに対立して、両立しない。悪は善によって排除される。

物と蟲とヌシは互いに排除し合っていない。それらは三重に同時に成立している。そして、それらは大局的な秩序や安定を形成する。同様に、陰と陽は互いに排除しあわず、大局的な秩序と安定を形成する。

また、陰陽は比較的な対象である。ヌシと比較して陰か陽か、蟲と比較して陰か陽かが問題になる。

 共通信仰 陰とは、より分岐されていない対象である。

 上記の対象は対象の存在及び状態及び運動と置換できるかもしれない。例えば、人間から見ると、動物はより分岐されていない。動物は陰な対象である。

また、機械も動物から見ると、より分岐されていない対象である。だから、機械は陰な対象である。

例えば、幼稚は陰な状態である。なぜなら、子供や動物は人間よりも分岐されていない存在である。臭い体臭も陰な状態である。なぜなら、動物は臭い体臭を持つ。

 共通信仰 陽とは、より分岐された対象である。

 上記の対象は対象の存在及び状態及び運動と置換できるかもしれない。例えば、ヌシは蟲からより分岐しているので、陽である。蟲は物からより分岐しているので、蟲は陽である。物は無から分岐しているので、物は陽である。

日常的には、口を閉じて食べることは陽である。なぜなら、動物はクチャラーである。適切な性規範を持つことは陽である。なぜなら、動物は自己の性規範を持たず、発情期には常におまんこクチャラーである。

日常的には、口を閉じて食べることは陽である。なぜなら、動物はクチャラーである。適切な性規範を持つことは陽である。なぜなら、動物は自己の性規範を持たず、発情期には常におまんこクチャラーである。

2 病

 共通信仰 病とは、除去される対象、または除去される対象の存在及び状態及び運動である。

 陰陽一体には、次の問題が存在する。もし癌が陰である対象であるならば、癌は俺らによってその存在を常に認められる対象である。しかし、その時、俺らはガンを治療しようとせず、除去しようとせず、俺らはがんによって殺される。

この時、俺らは異なる対象を陰陽の他に提示する必要がある。それが「病」である。除去される対象が何であるか?これは難しい問いである。

もしある対象が大局的な秩序を破壊するならば、その対象は病である。この宗教では、俺らは性欲(性蟲)を病と認識しない。

3節 正当性

共通信仰 分岐正当性とは、ヌシが正当性をより分岐された対象に与える状態である。

 上記の対象は対象の存在及び状態及び運動と置換できるかもしれない。俺らは俺らの脳を次のように操縦する。

もしある対象がより分岐されいる対象、つまり陽であるならば、その対象は正当性を持つ対象である。もしある対象がより分岐されていない対象、つまり陰であるならば、その対象を正当性を持たない対象である。

俺らが陰陽一体を考える時、人々はなぜその行為が陰(レッドカード)であり、あの行為が陽(グリーンカード?)であるのかという疑問を持つ。分岐それ自体がその正当性、その根拠を陰陽という善悪に与える。簡単に言うと、分岐されているのが正しい。分岐されているのが真理である。

4節 その他の正当性

以下で、俺はその他の正当性を提示するつもりである。

礼による東洋的正当性

 東洋における正当性は礼である。礼であることは善である。それに対して、無礼や非礼や悪である。性欲は悪でない。なぜなら、性欲は他者に対する非礼や無礼や失礼でない。

照合的正当性と認識的正当性

 俺が何か正しいのか、何が真理であるのかを考える時、俺らは照合的正当性と認識的正当性の違いを考慮する。

 照合的正当性とは、人間がある対象の正しさ(正当性)を他の対象との照合で捉える正当性である。例えば、ある行為を憲法と照らし合わせて、その行為の正しさを捉える。ある運動の正しさを古典力学と照らし合わせて捉える。その他にも、論文や定義との照合が重視される。

 認識的正当性とは、人間がある対象の正しさ(正当性)を自分自身で認識する正当性である。認識的正当性は、人種や民族に対する認識において重要である。

例えば、たとえ白人がユダヤ教徒の白人をユダヤ人と呼ぶとしても、色付きの大部分は彼らをユダヤ教徒かつ白人と認識する。照合的な正当性では、彼らはユダヤ人になる。

5節 善悪と行為及び人為

 共通信仰 陰陽接続とは、ヌシがヌシが下した「陰陽に関する判断」をヌシの蟲と肉体に接続する行為である。

 たとえ俺らが善悪の判断を下すとしても、もし俺らがその判断を俺らの肉体の行為に接続させないならば、その判断は無意味である。それはまるでレッドカードを判断するが、そのカードを選手に出さない審判のようである。俺らは俺らの肉体を次のように操縦する。

 もしある対象が病であるならば、その対象は俺らによって除去される対象である。

 もしある対象が陰であるならば、その対象は俺らによって人為(実現)されない対象である。

 もしある対象が陽であるならば、その対象は俺らによって人為(実現)される対象である。

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