生死

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共通認識 死生観とは、人間が自己の死と生を信仰によって把握する状態である。

 以下で、俺は死生観を創造する。死生観が規範(norm)であるか捉え方(view)であるか現時点で不明である。上記では、俺は死生観を状態を提示したが、死生観(view of life and death)が状態であるか行為(実現状態における行為)であるは不明である。

一般的に、人間は彼ら自身の死生観を信仰した後、死生観という状態が形成される。彼らは毎回毎回死生観を信仰しようとしない。だから、俺は行為でなく状態という単語を使用した。

1:死と生に対する俺らの信仰(復活的死生観)

 共通信仰 復活的死生観とは、俺らの子孫が俺のヌシの復活の実現を信仰する死生観である。

 俺らのヌシは肉体の寿命に伴い、一度死ぬだろう。しかし、俺らの子孫は一度死んだ俺らのヌシの復活を実現させる。当然、俺はその復活の方法を知らない。

俺らの子孫がそれを思考し実現させる。この信仰の目的は俺のヌシの復活である。死生観もまたこの目的に沿って創造される。

上記を解釈すると、俺らは一度死ぬが、俺らの子孫が俺のヌシの復活を実現させる。だから、俺らは俺らの子孫を大事にして子孫のためを考えて生きよう。なぜなら、子孫を大事にすることは俺らのヌシを復活させることに繋がる。

2:ヌシの生と死

 共通信仰 ヌシの生とは、ヌシが物質的世界及び蟲的世界から分岐している状態である。ヌシの死とは、その分岐の状態が失われ元に戻り、ヌシが消滅する運動である。

 この信仰では、俺らは分岐的な世界観を信仰する。俺らが生きていることは物質的世界および蟲的世界から分岐している状態である。俺らが死ぬことは物質的世界及び蟲的世界からの分岐という状態が失われることである。

生とは分岐によって生じたヌシの継続的な状態である。死とはその分岐という状態の喪失である。肉体の崩壊に伴い、俺らのヌシも蟲も物質的世界からの分岐状態が失われる。それが死である。

3:復活的死生観の背景と考え方

 俺らは俺のヌシの復活を実現させる。しかし、人々はヌシの復活の実現など絶対にできないだろうと応答する。俺は彼と異なる考えを提示する。

なぜなら、俺らは物質的世界及び蟲的世界から分岐している。俺らのヌシが分岐している時、俺らは物質的世界及び蟲的世界における決まり事の奴隷にならない。もし俺らが日本国から分岐するならば、俺らは日本国における憲法と法律から逃れられるだろう。

生まれたら死ぬというのは物質的世界の決まり事であり、蟲的世界やヌシ的世界の決まり事でない。経験則もまた物質的世界の経験である。もし俺らが分岐し続けるならば、俺らは物質的世界における決まり事にも既存の経験則の奴隷にならないだろう。

 俺らはこのように信仰して、俺のヌシの復活の実現を信仰する。

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