以下で、俺は性規範を創造する。性規範は性に対する規範よりも把握の仕方や見方に近い。性規範はsexual normよりもview on sexである。以下では、俺は同性愛に対する見方を提示しない。別の記事で行う。
バラバラの狩猟民族が人間社会を形成するとき、彼らは性行為に関する規範を必要とする。性行為に関する規範は人間の再生産にも関係する。また、その規範はこの信仰の再生産と継続にも関係する。だから、俺らは性規範を決して軽視しない。
1:分岐性観
上記の性観は信仰の目的や分岐大原則を利用した性観である。簡単に言うと、物質的世界や蟲的世界から分岐するように、性行為や性に関する物事に取り組む。動物は蟲的世界に対応させる。
1:性欲は性蟲
性欲は感情や視界(視蟲)と同様に蟲である。俺らは性欲を性蟲と呼ぶ。性蟲は非連続的な蟲である
簡単に言うと、性観とは性蟲に関する価値観である。現時点では、性蟲は子孫繁栄にも関係するので、子孫の生産は性観から導かれる。
一般的に、宗教では、性欲や性行為が否定されるか神聖視される。しかし、この信仰では、俺らは性欲や性行為を視界(視蟲)と同じような対象であると認識する。
2:子孫及び先祖に関する性観
上記の分岐性観は復活的死生観を利用した性観である。一般的に、性観は子孫や先祖に対する価値観に関係してきた。本能に任せて、子孫を残していくのか、または俺らの子孫を自己家畜化や養殖のように残していくのか。この信仰では、俺らは俺らの子孫を人工的に生産していく。
1:復活的分岐性観
バラバラの狩猟民族がまとまった人間集団を形成する時、劣等な個体をどのように処理すべきであるかが問題になる。この信仰では、俺らは劣等な個体を自死(アポトーシス)により人工的に淘汰させていく。要するに、大局的な秩序が損なわれない限り、ゆるい一夫多妻的であり、かつ優秀な人間を残していく。
一般的に、俺らがこの種の行為を選択する時、人間社会は形成されない。なぜなら、他の男が一夫多妻の男に忠誠を誓ったり、男たちが人間社会を維持しようとしない。しかし、この信仰では、俺らは復活的死生観を信仰する。
だから、俺らの子孫が俺らのヌシを復活させることを信仰する。そのためには、俺らの子孫は常に信仰的に優秀でなければいけない。簡単にいうと、俺らは子孫を動物のように残すことに執着するのか、それとも優秀でない子孫を人工的に断絶させて、優秀な子孫に俺らのヌシの復活を託すのか?である。
2:動物の子孫は人工的な生産でない
俺らが動物を見る時、動物は彼らの子孫を本能的に無計画に残してきた。彼らの行為は非分岐行為である。この信仰では、分岐性観を採用するので、俺らはこの種の動物的な子孫繁栄を採用しない。
俺らは物質や蟲を否定しない。俺らは俺らの子孫を人工的に生産していって、俺らの子孫がこの信仰の目的を実現させる。例えると、俺らの子孫の生産法は狩猟民族でなく、牧畜民族による家畜の生産や農耕民族による農作物の生産に近い。
3:体液の交換と子孫及び先祖
発情期になると、動物は目に入った異性と狂ったように性行為を行う。この行為は非分岐行為であるので、俺らはこの種の行為を選択しない。この信仰では、俺らは優秀でない人間との体液の交換を行わない。
この考えは先祖や子孫に対する価値観に密接に結びつく。俺らの肉体は先祖の意志で実現されてきた。だから、俺らは信仰的に優秀でない個体との体液を交換して、俺らの先祖の努力を台無しにすべきでない。
また、俺らは俺らの子孫の優秀さを予想すべきである。もし劣等な個体との体液の交換が俺らの遺伝子を劣等にさせるならば、俺らは負担や損害を俺らの子孫に与えるだろう。それは子供に対する虐待行為に等しい。