世界

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 以下で、俺は世界を創造する。世界は日常的な意味での物質的世界の上に築かれる。世界とは、信仰における世界(集合)に対応する。

 共通信仰 俺らの世界とは分岐世界と巴世界と演繹的現在発現世界の ‘ 和 ‘ である。

 上記で、俺は組でなく和を使用した。なぜなら、俺らの世界=分岐世界+巴世界+演繹的現在発現世界と置き換えたかった。俺が組を使用する時、俺らの世界という単語がメタ的な印象を持つかもしれなかったので、それを回避したい。

印象として、俺らの世界は分岐世界と巴世界と演繹的現在発現世界が互いに入り混じっている、または三重の層として両立している。

この項における創造という単語には、特別な意味が存在しない。なんとなく使用した。気をひくための単語である。

1:分岐世界

 共通信仰 分岐世界とは、物質が無から分岐して、蟲が物質から分岐して、ヌシが蟲から分岐した世界である。

 多くの神話や宗教では、世界観の構築が重要であった。たとえば、神が世界を創造して、神が人間を創造した。または、人間は泥から生まれた、ビッグバン及び科学法則によって構成されたなどである。この信仰では、世界(物質的世界)も人間(ヌシ)も分岐によって生まれてきたと信仰される。

 物質は無から分岐した。蟲は物質から分岐した。ヌシは蟲から分岐した。現在の世界は物質と蟲とヌシの三重の世界である。

物質は機械に対応して、蟲は動物に対応して、ヌシは人間に対応する。その時、機械は無から分岐して、動物は機械から分岐して、人間は動物から分岐した。

物質は物質的世界を形成して、蟲は蟲的世界を形成して、ヌシはヌシ的世界を形成した。物質的世界の特徴は自動的(信用)であり、蟲的世界の特徴は自由であり、ヌシ的世界の特徴は義務的、実現的、または創造的である。

1:物質的世界は無から分岐した

 物質的世界がどのように発生したかは不明である。現時点では、理論物理もこの問題を解決できない。だから、俺らは物質はよくわからないけれどもなぜか生成されたと解釈する。

この信仰における世界は分岐世界である。だから、君は物質の生成を無からの分岐と無理やり解釈する。たとえこの物質的世界が一秒ごとに発生し続けてきたとしても、君はその状態を物質的世界が一秒ごとに無から分岐し続けてきたと解釈する。

2:蟲的世界は物質から分岐した

 蟲的世界は視覚や聴覚や感情や性欲からなる世界である。なぜ感情や意識が存在するかは科学の問題でない。科学(数理情報の製造)が明らかにするのは、物質的世界がこれこれの状態であるとき、意識や感情という蟲が物質に対応するように発生することである。

なぜ蟲が物質の状態に対応して発生するかは誰にもわからない。だから、君はこれを蟲が物質から分岐したと無理やり解釈する。感情や性欲という蟲は不連続であり、常に発生し続けていない。

感情や性欲という蟲が不連続に毎秒ごとに発生し続けてきたように、物質的世界も無から不連続に毎秒ごとに発生し続けてきたとしても、それほどおかしくない。

3:ヌシ的世界は蟲から分岐した

 ヌシ的世界とはヌシからなる世界である。ヌシは蟲から分岐した。ヌシは蟲と異なり物質的世界の状態と一対一に対応していない。

なぜなら、なぜ俺の肉体や蟲に俺のヌシが宿ったのかは誰にもわからない。物質的世界には、ある種の法則や必然性や偶然性が見られるが、ヌシはまさに神秘である。また、ヌシも不連続であり、毎秒ごとに発生しているように見えるが、俺らの信仰がヌシの連続性と一貫性を与えている。

2:巴世界

 共通信仰 巴世界とは物質と蟲とヌシが三重に存在する世界である。

 上記の世界という単語は状態で置換されるかも。例え話として、巴世界はこうである。俺の肉体が車体(物質)であり、俺の視界(視蟲)が車体の中のカーナビ画面であり、俺自身(ヌシ)が車体の運転手である。つまり、巴世界とは車体とカーナビ画面と運転手が三重に存在する世界である。

以下で、俺らは対象と存在を区別する。ある対象が存在するとき、その対象に対して、俺らは対象の存在と状態と運動を知覚、認識、信仰する。主対象とは主体または対象である。

1:物質に対する認識

 共通認識 物質とは、肉体や検出器によって検出される対象である。物質世界とは、物質からなる世界である。

 時間に関する物質の問題とは、過去や未来における太陽は物質である(あった)かである。上記では、肉体や検出によって検出される存在が物質であった。しかし、現在のみが存在すると仮定するとき、過去や未来の太陽は検出されない。

だから、俺や君は現在における物質を過去や未来に拡張して、君は過去及び未来における物質を認識する、または把握する。過去及び未来における物質の拡張には、機械的な方法(構成的な方法)と認識・把握的な方法が存在する。前者では、理論科学のように、現在の物質から未来や過去を機械的に構成する。後者では、人間の認識・把握能力を使用して、過去や未来の物質を認識・把握する。

大雑把に言うと、肉体や検出器は過去および未来における太陽を検出できるだろう、または検出できただろう。だから、過去及び未来における太陽は現在の太陽と同じで物質であった、または物質であるだろう。

 拡張された物質については「こちら」から

2:蟲に対する認識

 共通信仰または認識 蟲とは、物質が肉体によって検出される時にその肉体に対応して生じる対象である。蟲的世界とは蟲からなる世界である。

 肉体が物質を検出した後、蟲が肉体に対して生じる。そのとき、君のヌシがその蟲を知覚する。蟲が君の肉体の ‘ 内部 ‘ に生じているかはわからない。過去及び未来における蟲は上記の物質の考えを踏襲する。

蟲には、視覚と聴覚と嗅覚と痛覚と味覚と重力覚と感情と性欲などが含まれる。分岐世界では、蟲は物質から分岐した対象として認識される。注意点として、君の視覚(視蟲)は君自身でない。

上記で、俺は蟲を肉体に対応して生じると認識した。分岐世界では、俺らは蟲を肉体である物質から分岐したと認識する。俺は対応か連動か分岐かうまく認識できない。

3:ヌシに対する認識

 共通認識 ヌシとは、蟲を知覚する主対象である。ヌシ的世界とはヌシからなる世界である。

 簡単にいうと、ヌシは君の蟲を捉える ‘ 君自身 ‘ である。主体や自我でも良いが、ヌシは意識でない。ヌシそれ自体は知覚されないし、認識もされない存在である。けれども、俺は俺のヌシを把握する。

この信仰では、君はその把握をヌシを信仰すると便宜的に呼ぶ。知覚という動詞は君のヌシが君の蟲を把握する運動である。一般的に、知覚は人間が物体それ自体を直接的に見ていると解釈されるが、この信仰では、君はその解釈を採用しない。

過去及び未来におけるヌシは上記の物質の考えを踏襲する。

3:演繹的現在発現世界

 共通信仰 演繹的現在世界とは、物質と蟲とヌシが現在においてのみ演繹的に発現する世界である。

 この信仰では、俺らは上記の世界観を採用する。日常的には、現在のみが存在する事である。さらに、俺らはその現在は演繹されると認識する。

例えば、なぜyoutuberのヒカキンが売れたのかというと、ヒカキンは動画を毎日毎日更新してきたからである。つまり、ヒカキンは動画を毎日演繹してきたと俺らは認識する。上記の世界観では、この世界はヒカキンの動画や毎日報道される番組のように演繹され続けてきたと認識する。

俺らにとって、過去の存在は演繹された現在の世界や俺らの脳みそから人工的に構成された世界である。つまり、物質も蟲もヌシも今現在演繹され続けている。言い換えると、物質も蟲もヌシも今現在分岐され続けている

 演繹的世界観における現在と過去と未来の捉え方はこちらから

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