宗教

https://www.travel.co.jp/guide/article/35960/ by mayumi-kawai

 一般的に、信仰や宗教は人間を救済するものであると感じられきてた。しかし、この信仰では、俺らはその種の信仰観を採用しない。この信仰では、俺らは信仰を物質的世界の上の人 工的な世界(人工的なsystem)と認識する。

一般的に、systemは集合と要素と要素に対する取り決めを持つ。同様に、この信仰は世界観と人間と目的を持つ。世界観は集合に対応して、人間は要素に対応して、目的は人間に対する取り決めに対応する。

さらに、このsystemに対して、俺らは死生観と性規範とお金の規範と約束と正当性(善悪やレッドカード)と刑罰を付け加える。その時、このsystemは現実世界でうまく機能し続ける。

1:信仰に対する俺らの共通認識

 共通認識 信仰とは、世界と人間と目的を持つ人家(system)である。

 世界が人家における集合に対応する。人間が人家における要素に対応する。目的が人家における取り決めに対応する。

人家とは集合と要素と取り決めの組みである。日常的には、信仰は物質的世界の上に築かれる人工的な世界である。印象では、信仰は大地の上の人工的な世界である。

1:機能的信仰

 共通認識 機能的信仰とは、死生観と性規範とお金の規範と約束と正当性と刑罰を持つ信仰である。

 機能的信仰は信仰を現実世界で実際に機能させるために必要である。ワードプレスのテーマ(このテーマはcocoon)のようである。俺らは死生観と性規範とお金の規範と約束と正当性と刑罰を信仰機能または六機能と呼ぶ。

もし俺らが上記の人家を創造するとしても、死生観や性規範が存在しないならば、その人家は機能しない。だから、機能的信仰は必要である。たとえ俺らが家族と家と生きる目的を持つとしても、もし俺らがお金の規範を持たないならば、その人家は機能しない。

2:信仰の喩え

 俺らは信仰を運動競技やその試合にしばしば喩える。運動競技は物質である大地の上で展開される。そして、運動競技の試合には、試合(集合)と選手(要素)と選手の動きに対するルール(取り決め)が存在する。

信仰とが異なるとは、異なる競技に対応する。例えば、仏教とキリスト教では、各試合は卓球と球蹴り程度に異なる。

運動競技の業界は選手と審判者とsystemの創造者に分かれる。この信仰でも、信仰者と審判者と判断者の階層、そしてこの信仰の創造者に分かれる。

2:なぜ信仰が必要か?

 日本人の一部は信仰は不要であるといってきた。しかし、俺は彼らの意見と異なる審判を下す。つまり、俺は信仰は必ず必要であると審判する。

特に、バラバラの狩猟民族が人間社会を形成する時、信仰や宗教は必ず必要とされる。信仰が無いとは、運動競技や試合が存在しない状態である。つまり、信仰が存在しない状態とは人間社会または文明という試合が存在しない状態である。

以下で、俺らは信仰を運動競技やその試合に例えながら、信仰の必要性を見よう。

1:運動競技と試合が無いとは?

 信仰は世界と人間と目的を与える。信仰が存在しない状態とは人間が存在しない状態である。運動競技や試合なしに、選手が存在しないように、信仰なしに人間は存在しない。

その時、殺人行為も存在しない。なぜなら、殺人行為とは人間が人間を殺す行為である。ただし、ホモ・サピエンスに対する動物虐待は存在する。

2:行為の正当性となんでもありな状態

 球蹴り競技では、選手(要素)は球を両手で持つことは赤札(レッドカード)であると取り決められた。信仰が存在しない、つまり運動競技が存在しないことはホモ・サピエンスの行為の正当性が存在しないことである。喩えると、球蹴り選手がその競技場で好き勝手に競技することに等しい。

その時、まともな試合が機能しないように、もし信仰が存在しないならば、まともな人間社会は機能しない。なぜなら、人間社会の要素である人間がハンドを繰り返す球蹴り選手ように好き勝手に競技する。

3:この信仰「俺らについて」の人家(system)

 ここで、俺はこの信仰俺らについての骨格を提示しよう。当然、この信仰も世界と人間と目的からなる。

1:俺らの世界(世界)

 俺らの世界とは分岐世界と巴世界と演繹的現在発現世界の ‘ 和 ‘ である。分岐世界とは、物質が無から分岐して、蟲が物質から分岐して、ヌシが蟲から分岐した世界である。巴世界とは物質と蟲とヌシが三重に存在する世界である。

物質とは、肉体や検出器によって検出される対象である。物質世界とは、物質からなる世界である。蟲とは、物質が肉体によって検出される時にその肉体に対応して生じる対象である。蟲的世界とは蟲からなる世界である。

ヌシとは、蟲を知覚する主対象である。ヌシ的世界とはヌシからなる世界である。演繹的現在世界とは、物質と蟲とヌシが現在においてのみ演繹的に発現する世界である。

2:ヌシ(人間)

 俺らは人間をヌシと信仰する。俺らはヌシを自己と信仰する。

3:ヌシの復活(目的)

 俺らは俺のヌシを実現させる。俺らは俺のヌシの復活の実現をこの信仰の目的と信仰する。この信仰の目的は分岐である。俺らは俺らの肉体を現在の世界から分岐するように操縦し続ける。

俺らはヌシでない自己を創造する。

4:この信仰「俺らについて」の機能的信仰

 信仰機能は信仰を実際に機能させるために必要である。たとえ俺らが人家を創造するとしても、もし俺らが性規範やお金の規範、死生観を設定しないならば、俺らは現実的な世界を生きていけないだろう。

だから、俺らは創造した人家を実際に機能させるために、信仰機能を提示する。そして、俺らはその信仰機能を人家に与えて、機能的信仰を作り上げる。

1:復活的死生観(死生観)

 復活的死生観とは、俺らの子孫が俺のヌシの復活の実現を信仰する死生観である。

2:ヌシ所有的富観(お金の規範)

 認識約束観とは、ヌシが物事とそれに関する取り決めを相互的に認識する約束観である。

3:分岐性規範(性の規範)

 分岐性観とは、人間は動物的な性行為や性に関する物事から分岐するように彼の肉体を操縦する性観である。

4:認識的約束観(契約)

 ヌシ所有的富観とは、ヌシが肉体を含む物体及び蟲を直接的に、または間接的に所有する状態である。ヌシ所有とは、ヌシが肉体を含む物体及び蟲を直接的に、または間接的に所有する行為である。

5:分岐正当性(善悪)

 分岐正当性とは、ヌシがより分岐された物事を正当であると判断する人為である。分岐正当観とは、分岐正当性が正当である正当観である。

6:人誅刑罰観(刑罰)

 人誅刑罰観とは、ヌシが人間の意志や怨念をその人間の代わりに現実世界に実現する刑罰観である。人誅とは、ヌシが人間の意志や怨念をその人間の代わりに現実世界に実現する人為である。

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