創造主(神)について

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 以下では、俺は創造主について述べるつもりである。俺が創造主の意味を把握するとき、俺は父系と言語と神話の意味を把握する必要がある。この宗教では、俺は創造主を信仰の対象であり、かつ “理屈の産物” と認識する。

創造主

 以下では、俺は創造主について述べるつもりである。創造主には、宗教的な意味(神学的な意味)と人間社会における社会的な意味(人間的な意味)が存在する。

創造主の定義

定義 創造主とは、宇宙と物質と自然法則というシステム(家)を創造した主体である。

 たとえ創造主が物質のみを創造したとしても、もし創造主が物質の運動を定める法則を創造しなかったならば、自然界というシステムは存在しなかっただろう。一般的に、創造というと、その行為は物質を無から作ることであるように感じる。けれども、この宗教では、創造とは、自然界というシステムの創造である。創造主は宇宙という空間を創造して、かつ物質を創造して、かつ自然法則を創造した。

なお、この宗教では、俺は自然界というシステムは今現在無から分岐していると信仰する。そのため、俺は創造主はそのシステムを今現在も創造していると信仰する。また、創造主はこのシステムの中には存在しない。だから、俺は創造主を知覚することができない。俺は創造主を認識することができない。創造主は自然界というシステムの内部に存在しないので、俺はその創造主を信仰する必要がある。

また、この宗教では、俺は物質と意識と運転手を信仰する。俺は物質世界と意識世界と運転手世界を信仰する。自然界というシステムの創造主は必ずしも意識世界の創造主や運転手世界の創造主でないかもしれない。なぜなら、物質と意識と運転手は異なる種類の対象であるので、異なる種類の創造行為が必要になる。俺は意識世界の創造主や運転手世界の創造主を別に信仰する。さらに、俺は分岐行為それ自体を創造行為と認識しない。

創造主の性質

 性質 創造主は自然界をその目的と意志で創造した。

 正確には、創造主は自然界をその目的と意志の発動で創造した。創造主の目的とは、創造主が実現する存在及び状態及び運動である。実現するは実現したいや実現するつもりと置き換えられるかもしれない。創造主の意志とは、力の潜在的な状態である。その方向は創造主の目的向きである。創造主はその目的を定めた後に、創造主はその目的を実現(達成)するために、その意志を発動(発現)させて、自然界を実際に運動させる。意志の実際の発現が力それ自体である。

例えば、もし創造主が自然界をこのように創造するならば、その創造主は自然界をこのように創造しようという目的をその創造の前に持っていた。その目的が意志の発現の方向、つまり力の方向を定める。今、意識世界の創造主と運転手世界の創造主が存在すると仮定しよう。その時、意識世界の創造主は意識がこのようにあれという目的を持った。その目的がその意志の発現の方向を定めた。そして、意識世界の創造主は意識世界をその力で創造した。同様に、運転手世界の創造主は運転手がこのようにあれという目的を持った。その目的がその意志の発現の方向を定めた。そして、運転手世界の創造主は運転手世界をその力で創造した。

一般的に、何かを作るためには、材料が必要である。人間が電子計算機を作るために必要な材料を用意した後、人間は電子計算機をその意志で作る。自然界を作るためには、物質という材料が必要である。その後、意志とその発現が自然界を実際に作り、意志とその発現が自然界の原因になる。創造主の場合、創造主は材料である物質それ自体も無からポンっと創造した。または、別の誰かが物質を創造した。

創造主とx系統の善悪

 以下では、俺は人間社会における創造主について述べるつもりである。個人的には、俺は創造主はx系統の善悪を正当化するために人間社会において必要になったと感じている。

創造主と善悪

 経験則 人間がx系統の善悪の正当性を考える時、人間の一部は創造主を必要とする。

 人間は物事のx系統の善悪を考えることができる。しかし、それぞれの人間がそれぞれのx系統の善悪を提示するとき、どのx系統の善悪が正しいのかという問題が生じる。創造主はx系統の善悪の正当性を与える。例えば、キリスト教では、男女平等の善は最も正しい。なぜなら、キリスト教における創造主(ヤハウェやキリスト)はこの世界が男女平等になるように創造した。だから、男女平等という男女に関する状態の善は最も正しい。つまり、男女平等は善である。

 経験則 x系統の善悪は自然界に所属(存在)しない。

x系統の善悪は自然界には埋め込まれていない。だから、たとえ天才科学者が自然界の全てを明らかにするとしても、男女平等が善であるのか、男女公平が善であるのかはわからない。だから、x系統の善悪を正当化するためには、自然界に埋め込まれていない何かが必要になる。その何が創造主である。結局、俺が自然界に所属しない創造主を必要とするのは、自然界に所属しないx系統の善悪を正当化するためである。俺らはもしx系統の善悪が自然界に所属しないならば、そのx系統の善悪は自然界によって正当化されないという思考の規範を持っている。

日常的には、x系統の善悪は古代ギリシア的な論理とシステム(家)の設計によって擬似的に正当化されるように感じる。その時、この世界における様々な運動競技と同様に、様々なx系統の善悪の体系が生じる。ただし、この場合でも、宗教的には、どのx系統の善悪が最も正当であるのかという疑問には回答することができない。この疑問に対する日常的な回答は自然界にうまく適合するx系統の善悪体系が最も正当である。もし俺が宗教的に解釈するならば、自然界にうまく適合するx系統の善悪体系は自然界の創造主に最も近いと言える。

創造主と目的

 信仰 創造主の目的がx系統の善悪を正当化する。

 もし創造主の数が2以上であるならば、目的の数も2以上であるかもしれない。この場合、どちらのx系統の善悪がより正当であるのかが決定されない。男女平等の善と男女公平の善が同じ時刻に同じ場所で正当である状態が生じる。この時、俺は創造主を信仰する必要がなくなる。なぜなら、創造主はx系統の善悪を正当化するために必要であった。だから、俺は創造主の数を一つと信仰して、その目的も一つと信仰する。そうして、俺はx系統の善悪の正当性をただ一つに定める必要がある。

例えば、なぜサッカーではハンド行為が悪いのかを考えてみよう。上記の考えでは、なぜなら、サッカーシステムの創造主がそのシステムをそのように創造した。だから、サッカーでは、ハンド行為が悪。同様に、サッカーシステムの創造主は選手が球をゴールに入れるという目的を創造した。だから、選手が球をゴールに入れることが善である。

その他にも、創造主の目的はx系統の認識を正当化する。世界に対する認識もそれぞれの人間に依存する。だから、どのx系統の認識が最も正当であるのかという疑問が生じる。その系統の認識は創造主の目的によって正当化される。このx系統の何々には、x系統の富の規範とx系統の性規範、x系統の思考の規範、x系統の約束や契約観が存在する。そして、x系統の意志とx系統の力とx系統の目的が存在する。俺がこれらをまとめて、x系統の人間性を考える時、x系統の人間性の善性は創造主によって正当化される。

創造主と信仰

 信仰 もし俺がx系統の善悪を正当化するならば、俺は創造主を信仰する。

 口語的には、もし俺が自己のx系統の善悪を正当化したいならば、俺は創造主を信仰する必要がある。もし俺が創造主を信仰しないならば、俺は自己のx系統の善悪を正当化することができない。創造主の信仰が必要であるのは、x系統の善悪善悪を正当化するためである。俺が日々生活するとき、俺は善悪に関する問題に毎日毎日接する必要がある。その時、俺はその善悪を正当化するために、創造主を信仰する必要がある。男女平等の善が正当化されると信仰するためには、キリスト教徒はイエス・キリストを信仰する必要がある。

創造主の声と預言者

 以下では、俺は創造主の声、つまり神の声と預言者について述べるつもりである。一般的に、神の声というと、非常に胡散臭く聞こえる。けれども、俺が神の声を宗教的に真剣に考える時、この種の考えはそれほど奇妙でない。

他人の声

 経験則 俺は他人の目的や意志を直接的に読み取ることができないが、俺は他人の目的や意志をなんとなく察することができる。

 科学的には、俺は他人の意図や悪意や本音、そして目的を表情や反応、経験則から察してきた。俺は他人の脳内を直接的に知覚することができない。けれども、俺は他人の考えを本当になんとなく読み取ることができる。この察する能力には、個人差が存在する。アスペと呼ばれる個体は他人の意図を読み取ることを苦手としているように見える。俺がホモ・サピエンスと呼ばれる個体を見ると、彼らの一部は他人の本音を察する高い能力を持っている。

俺がこの他人の声を一般化するとき、俺は村の声を読み取ることができるようになる。さらに、俺は都市の声、市場の声、国家の声、国際社会の声を読み取ることができるようになる。そして、最終的には、俺はこの世界の声を宗教的には読み取ることができるようになる。実際、人々は株式市場における市場関係者の声をなんとなく想像しているだろう。しかし、市場も国家も国際社会も彼ら自身の物理的な口を持っていないので、彼らは実際には話さない。

上記は商売における契約や外交官にも日常的に観察される。一般的に、商人や外交官は彼ら自身の目的や意志を話さない。だから、俺は彼らの目的や意志を外部から察する必要がある。もし俺が彼らの目的や意志を察することができるならば、俺は彼らに対して優位に立つことができる。俺は彼らの未来を知ることができる。なぜなら、彼らの意志は彼らの未来を決定する。正確には、彼らの意志の発現は彼らの未来を決定する。

預言者

 定義 預言者とは、創造主の目的と意志を察する人間である。

 もし預言者が創造主の意志を読み取ることができるならば、その預言者は創造主が次に何を実行するのかを知ることができる。商人の例えでは、もし預言者が商人の意志を読み取ることができるならば、その預言者は商人が次に何を売り買いするのかを知ることができる。しばしば、意志の方向は目的によって決定される。だから、もし預言者が創造主の目的を読み取ることができるならば、その預言者は創造主の意志を知ることができる。

父系と言語と神話

 以下では、俺は父系と言語と神話について述べる。一般的に、創造主(神)は男性的な性質を持っている。俺がY染色体ハプログループJを持つセム人の創造主と印欧語族を持つY染色体ハプログループRの創造主(神々)を連想するとき、俺は人間社会における創造主に対する印象を掴むことができる。

世界における民族と神々

 セム人はY染色体ハプログループJ系統を持つ。セム人はセム語族(古い言い方)を持つ。セム人はヤハウェやキリストやアッラーを信仰する。セム人の創造主はヤハウェやキリストやアッラーである。セム人の創造主の言葉はセム語族で書かれている。現在では、この創造主が世界で支配的である。セム人は自己の系統の文字(アラビア文字)を持つ。

北アフリカ人はY染色体ハプログループE系統を持つ。もし北アフリカ人がハム人であるならば、北アフリカ人はハム語族を持つ。北アフリカ人は太陽神ラーを信仰する。彼らの創造主の言葉はハム語族で書かれた。イスラム教の勃興の後、彼らの創造主はセム人の創造主アッラーに敗北した。ハム人は自己の系統の文字(ヒエログリフ?)を持つ。

欧州人と西地中海人はY染色体ハプログループR系統を持つ。彼らは印欧語族を持つ。彼らは印欧神話における神々を信仰した。例えば、古代ギリシア人はゼウスを最高神として信仰しただろう。印欧語族を持つY染色体ハプログループRは天空神を信仰していたように見える。しかし、ロコンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認は彼らの創造主を殺した。また、ゲルマン民族はローマ帝国の文明に接して、彼らは彼らの創造主を完全に捨て去ってしまった。欧州人と西地中海人の創造主はセム人の創造主に取って代わられた。彼らの創造主の言葉はセム語族でなく、印欧語族によって書かれている。また、Y染色体ハプログループRは自己の系統の文字を持っていないように見える。アルファベットがそうであるかもしれない。

インド人の一部(ドラヴィダ人)はY染色体ハプログループHを持っている。ドラヴィダ人はドラヴィダ語族を持つ。北インド人は印欧語族を持つ。北インド人はY染色体ハプログループR1aを持つ。インド人はY染色体ハプログループR由来の神々を崇拝している。俺はバラモン教とヒンドゥー教の違いを把握することができない。しかし、ヴェーダそれ自体はY染色体ハプログループR由来の宗教であるように感じる。Y染色体ハプログループHを持つインド人はY染色体ハプログループRの神々を信仰している。しかし、北インド人を除くと、印欧語族由来のその神々の言葉は印欧語族でなく、ドラヴィダ語族で書かれている。インドの文字は不明である。

モンゴル民族はY染色体ハプログループC系統を持ってる。モンゴル民族はアルタイ語族(諸語)を持つ。モンゴル民族はテングリ信仰を持っているように見える。このテングリ信仰における天は上記の天空神に少し似ていると感じる。ただし、モンゴル民族は自己の創造主を完全には失っていないように見える。モンゴル民族は仏教を信仰するが、仏教は自己の民族をキリスト教のように否定しない。

漢民族はY染色体ハプログループO系統を持ってる。漢民族はシナ・チベット語族を持つ。漢民族は道教または中国神話を持っている。道教における創造主が誰であるのかは不明である。俺は伏犠や女媧が創造主であると感じていた。しかし、少し検索すると、黄帝や老子が道教における創造主であるように見える。彼らの創造主の言葉はシナ・チベット語族で書かれている。漢民族は自己の系統の文字を持つ。

大和民族の一部はY染色体ハプログループD系統を持ってる。大和民族は日琉語族?を持つ。大和民族は日本神話を持っている。彼らの創造主は天皇の父系先祖である。彼らの創造主の言葉は日琉語族で書かれている。大和民族は自己の系統の文字も持つ。

創造主と父

 信仰 ある人間の創造主とは、その人間の父の父の父の…の父である。

 その父がx系統の人間性をその人間に授けた。だから、その父がその人間の創造主である。x系統の人間性には、x系統の善悪やx系統の認識やx系統の富の規範が存在する。その父はx系統の善悪やx系統の認識やx系統の富の規範をその人間に授けた。一般的に、この世界に存在する全ての系統の善悪や認識やその他の規範はある種の男性によって無から創造された。ある種の男性がx系統の人間性を創造した。その種の男性がx系統の人間性を様々な種類のホモ・サピエンスに授けて、そのホモ・サピエンスをx系統の人間にした。だから、x系統の人間の創造主はその種の男性であり、その種の男性がその人間の父系始祖である。

そして、そのx系統の人間性を父系で受け継いできた民が民族である。例えば、Y染色体ハプログループJの父はユダヤ教やキリスト教やイスラム教を創造した父である。その父がJ系統の人間性をセム人に授けて、J系統の人間にした。日常的には、アブラハムやキリストやムハンマドが彼らの父である。

Y染色体ハプログループEの父はエジプト神話を創造した父である。その父の名前は不明である。その父がY染色体ハプログループE系統の人間性を北アフリカ人に授けて、E系統の人間にした。イスラム教の勃興の後、E系統の人間性はJ系統の人間性に敗北した。その結果、エジプト人を含む北アフリカ人は彼らの父を捨てて、イスラム教徒になった。E系統の人間はJ系統の人間とその父を崇拝することになった。

Y染色体ハプログループRの父は印欧神話を創造した父である。その父の名前は不明である。その父がR系統の人間性を印欧人?に授けて、R系統の人間にした。キリスト教の勃興の後、R系統の人間性はJ系統の人間性に敗北した。その結果、R系統の人間は彼らの父を捨てて、キリスト教徒になった。R系統の人間はJ系統の人間とその父を崇拝することになった。インド人の父は印欧神話を創造した父に等しいかもしれない。

Y染色体ハプログループO(漢民族)の父は伏犠、または老子や黄帝であるように見える。漢民族の父は中国神話を創造した父である。その父がO系統の人間性を漢民族に授けて、O系統の人間にした。

大和民族の場合、天皇のY染色体ハプログループは不明である。もしそのハプログループがD系統であるならば、天皇の父系始祖が大和民族の父である。その父が大和民族系統の人間性を大和民族に授けて、大和民族系統の人間にした。

もしある女性がx系統の人間性を創造したならば、その女性がある人間の創造主である。この場合、その人間の創造主とは、その人間の母系始祖である。しかし、俺の知る範囲では、任意のホモ・サピエンスの雌は自己のx系統の人間性を創造することができてこなかった。ホモ・サピエンスの雄の本当にごく一部のみが自己のx系統の人間性を創造することができた。だから、ある人間の創造主は母でなく常に父である。

この宗教における創造主

 以下では、俺はこの宗教における創造主を提示するつもりである。

創造主

 信仰 もし俺が創造主を信仰するならば、俺は物質世界の創造主と意識世界の創造主と運転手世界の創造主を信仰する。

 物質世界の創造主は物質世界をその目的と意志で創造している。便宜的に、俺は物質世界の創造主をキリイと呼ぶ。意識世界の創造主は意識世界をその目的と意志で創造している。便宜的に、俺は意識世界の創造主をギンコと呼ぶ。運転手世界の創造主は運転手世界をその目的と意志で創造している。便宜的に、俺は運転手世界の創造主をヌシと呼ぶ。たとえその3つの創造主が同じであるとしても、その創造主は異なる種の創造行為を実行した。なぜなら、物資と意識と運転手は互いに異なる。一般的に、ある主体が異なる種の対象を創造するためには、異なる種類の創造行為が必要である。だから、3種類の創造行為が存在する。

キリイは物質世界をこのようになるようにその意志で創造している。つまり、この自然界のあり方がキリイの目的それ自体である。キリイの意志の発現は物質世界を分岐させ続ける力である。日常的には、キリイの意志の発現は物質を運動させる力である。理論物理的には、力には、重力と電磁気力などが存在する。キリイの力は物質を完全に機械的に運動させる。その結果、物質は機械のように自動的に運動するようになった。

ギンコは意識世界をこのようになるようにその意志で創造している。つまり、この意識のあり方がギンコの目的それ自体である。ギンコの意志の発現は物質世界から意識世界を分岐させ続ける力である。その結果、意識を持つ主体は自由な運動を獲得した。その主体は完全には自動的に運動しなくなった。その主体は自己の行為を自由な意志(本能?)で選択することができるようになった。ギンコは意識世界の創造主よりも意識を分岐させた主体である。または、ギンコは意識を創造した主体である。

俺はヌシについてよくわからない。なぜなら、もしヌシがこのようになるようにその意志で創造しているならば、なぜ俺の運転手が俺であることが説明される。なぜなら、ヌシがそのようにその意志で創造した。このヌシのあり方と俺のあり方(俺が俺であること)がヌシの目的それ自体である。ヌシの意志の発現は意識世界から運転手世界を分岐させ続ける力である。その結果、運転手は実現的な運動を獲得した。または、運転手は目的的な運動を獲得した。ヌシも運転手世界の創造主よりも運転手を分岐させた主体である。または、ヌシは運転手を創造した主体である。

なお、この宗教では、俺はこの世界は今現在創造されていると信仰する。創造行為それ自体は実行され続けている。その創造行為が進行形であるのか、完了形であるのか、継続形であるのかは不明である。または、完了された創造行為が今現在も実行され続けているのかもしれない。

 信仰 この宗教では、俺が父である。

 言い換えると、俺が父系始祖である。俺は俺系統の人間性を子孫に父系で授ける。俺系統の人間性には、俺系統の目的と俺系統の善悪と俺系統の認識、俺系統の約束と俺系統の富の規範と俺系統の性規範、俺系統の思考の規範と俺系統の言語が存在する。

もし俺が俺系統の善悪を創造したならば、俺は俺系統の善悪を創造する力を持つ。目的は善悪を導く。もし俺が俺系統の目的を創造したならば、俺は俺系統の目的を創造する力を持つ。同様に、もし俺が俺系統の言語を創造したならば、俺は俺系統の言語を創造する力を持つ。「(創造)した」は完了形である。つまり、俺系統の力が存在する。

俺らについて