信仰言語

俺らの信仰

主語(一人称と二人称と三人称)と物と蟲とヌシ

 この信仰では、俺と君は独自の言語を持つ。以下で、俺は独自の言語を創造する。この信仰では、分岐的原則に沿って、俺と君は主語に執着する。 主語とn人称  俺は俺のヌシを信仰(把握)して、俺の蟲を認識して、俺の肉体を知覚する。しかし、君から見ると、君は俺の肉体を知覚できあるが、俺の蟲を認識できない。君から見ると、俺のヌシと俺の蟲は信仰の対象である。 信仰言語では、一人称における物と蟲とヌシと二人称における物と蟲とヌシと三人称における物と蟲とヌシを明確に区別する。なぜなら、この信仰では、それらは非常に異なる。 なお、この信仰の単語観の一つとは「蟲の口寄せ(召喚)」である。例えば、君は船という時、君の脳内に船という視蟲が口寄せされる。残念なことに、物体やヌシは口寄せされない。 たとえ君が船と唱えても、船はポンっと召喚されない。ただし、船という視蟲が君の蟲的世界に召喚されるけれども。ヌシも召喚されないで、ヌシに注意が向けられるだけである。 一人称  ヌシ世界における一人称は俺(ore)である。俺という単語の口寄せの対象は自己のヌシである。 蟲世界...
2020.05.11
俺らの信仰

俺らの単語観:名前の付与と単語の住処

 ここで、俺は俺らの単語観を君に与える。しかし、俺は以下の正当化を行えない。正当化は君らの仕事である。 1:名前の付与  付与行為:付与行為とは名前を物体や蟲やヌシに与える行為である。付与行為は人間の意志が関係する行為であるので、君は付与行為を疑う。君は機械的世界からの分岐された人間であるので、君は付与行為の奴隷にならない。 1:名前と名字  単語の付与の方法:君は単語を名字や名前のようなものと認識して、君は単語を物体に名前を与えるように付与する。 例えば、りんごは名字であり、ふじは名前である。徳川は名字であり、家康は名前である。君が単語を物体に付与するとき、君は名前を人間に与えるように単語を物体に与える。 2:付与行為の分類  名前型:名前型付与行為とは名前を付与する行為である。  名字型:名字型付与行為とは名字を付与する行為である。  変換型:変換型付与行為とは単語を別の単語に変換する行為である。 変換型の例として、even is a number which is divided ~のような定義的文?で使用...
2019.12.30
俺らの信仰

この信仰における言語観と単語観:口寄せと忍者

 この信仰における言語観について述べる。なお、俺は現時点で以下の行為の正当性を与えることができない。つまり、なぜ以下の行為が正当であるかは不明である。 日本人が日本語を話す時、日本人は彼ら自身の単語で彼ら自身の肉体を操縦するような印象を持たない。一方、英語を操る白人は彼ら自身の肉体を彼ら自身の言語で操縦しようとする。俺は後者を「命令型言語」と呼び、そこでは言語は機械に対する命令(行動手順)と同じである。 英語的世界では、君の肉体と君の言語の関係は機械と命令文の関係に近い。しかし、この信仰では、分岐が良いと判断されるので、君はこの関係を採用しない。口寄せは忍者を想像せよ。 1:単語は蟲の口寄せや召喚の手段  口寄せ行為:口寄せとはヌシが画像や映像をヌシの蟲的世界に製造?する行為である。ただし、君は認識を重視する。君は単語を経由しなくても、画像や映像を直接的に召喚できるように訓練する。 例えば、君=ヌシが「りんご」と発話する時、君は君の蟲的世界の中にりんごを口寄せ(または召喚)する。その後、君は動けと唱える時、そのりんごは運動する。 1:蟲的世界に...
2019.12.30
タイトルとURLをコピーしました