信仰言語

俺らの信仰

この宗教における言語認識〜媒介か二次的なものか〜

 この宗教では、俺らは言語を世界を認識するための二次的な対象(補助的な対象)と認識する。西洋人は言語を彼らの肉体へのプログラム(動作命令)と定義する。言い換えると、西洋人は彼らの言語を機械に対するプログラムと同様のものとして定義する。 1:補助言語認識と媒介言語認識  共通認識 補助言語認識とは、人間が言語を世界を認識するための補助と認識する行為である。それに対して、媒介言語認識とは、人間が言語を媒介と定義する行為である。  言い換えると、俺らは言語を動作命令や媒介でなく、俺らの認識の「補助」や「道具」として扱う。主役は「俺らの認識」であり、言語でない。 補助言語認識  例えば、この認識では、俺らは肉体の運動→言語(プログラム)→肉体の運動と言語を認識しない。俺らは現実→自己の認識→肉体の運動→現実→自己の認識→肉体の運動と言語を認識する。 補助言語認識では、媒介としての言語が肉体の運動の間に存在しない。だから、俺らは相手によって肉体の運動を奪われない。 それに対して、媒介言語認識では、俺らの肉体の運動は相手によって奪われる可能性が存在す...
俺らの信仰

単語の付与と善悪

 これは上記の続きである。俺らは単語を対象やその存在、状態、運動に与え続ける。なぜなら、俺らは善悪をそれらに与えたい。 善悪を与えるためには、俺らは対象をきちんと定めて、新たな名前を与える必要がある。だから、俺らは単語を付与し続ける。 1:なぜ単語を与える?  理由 俺らが単語を対象に与えるとき、俺らはその対象への善悪を与えることができる。だから、俺らは単語を積極的に与える。  日本人は単語を対象に与えようとしてこなかった。特に、俺らは単語を彼らの行為(動詞)に与えようとしてきてこなかった。その結果、彼らは動詞に関する豊富な単語を持ってこなかった。 なぜなら、彼らは行為の善悪を考えてこなかった。俺の印象では、ある人間が推論や善悪に興味を持たないとき、その人間は単語を対象に与えることにも興味を持たない。なぜなら、彼らは単語に推論や善悪を適用しようとしてこなかった。 2:陽付けと条件  共通認識 陽付けとは、人間が新たな陰陽、病を対象に対応づける行為である。  この信仰では、俺らは陽付け行為を重視する。俺らはこの...
2020.07.09
俺らの信仰

単語と推論(論理)の適用

 この宗教では、俺らは対象に単語を与えることを重視する。以下で、俺らはその理由を提示する。俺らの結論では、俺らは推論を適用するために、単語を与える。 言い換えると、俺らは論理を対象に適用して結論を導きたい。だから、俺らは単語を与える。単語の付与なしに、論理の適用(正確には文字上の論理の適用)は存在しない(正確には想像するのが難しい)と解釈する。 1:なぜ単語を与える?  単語の付与の理由 俺らが論理を対象に適用する時、俺らは単語を必要とする。だから、俺らは単語を「論理を適用するため」に与える。  俺らが推論をある対象に適用するとき、俺らはその対象をきちんと定める必要がある。つまり、俺らは推論をある対象に適用するとき、俺らはその対象の定義や認識を与える必要がある。その後、俺らは推論をその対象に適用することができる。 俺らが対象をきちんと定義するとき、俺らは単語をその対象に与えられる。だから、俺らは単語を付与する。言い換えると、単語の付与なしに、俺らは対象に対して、推論を適用しずらい。 俺らが単語を与えるとき、俺らは推論をその単語に機械的に適用する...
2020.07.09
俺らの信仰

4次元定義

 以下で、俺らは4次元的定義を提示する。俺らは対象を存在と状態と運動、そして法則で定める。なお、対象とは、タンスそれ自体である。存在や状態や運動はタンスの引き出しに対応する。 この宗教では、俺らは通常の定義に加えて、4次元定義を実行することを試みる。 1:4次元定義  共通認識 4次元的定義とは、対象を対象の存在と状態と運動、そして法則の組みで定める定義である。 記法  対象=(存在、状態、運動、法則)である。ただし、この中で、法則は異質なものである。()の意味は組みである。 順序は存在、状態、運動、そして法則である。ただし、俺はこれらが並べ替えられるかを現時点で審判できない。 具体例(virus)  寄生核酸(virus)=(核酸及び蛋白質の殻(蛋殻)、蛋殻の中の核酸、寄生、自然法則)。具体例が適切であるかはわからない。寄生核酸は存在でなく、対象である。 要するに、核酸とタンパク質の殻が存在する。核酸とタンパク質が存在である。次に、核酸はその殻の中に入っている。これが状態である。 その存在は他の生物に寄生するように運動...
2020.07.09
俺らの信仰

主語(一人称と二人称と三人称)と物と蟲とヌシ

 この信仰では、俺と君は独自の言語を持つ。以下で、俺は独自の言語を創造する。この信仰では、分岐的原則に沿って、俺と君は主語に執着する。 主語とn人称  俺は俺のヌシを信仰(把握)して、俺の蟲を認識して、俺の肉体を知覚する。しかし、君から見ると、君は俺の肉体を知覚できあるが、俺の蟲を認識できない。君から見ると、俺のヌシと俺の蟲は信仰の対象である。 信仰言語では、一人称における物と蟲とヌシと二人称における物と蟲とヌシと三人称における物と蟲とヌシを明確に区別する。なぜなら、この信仰では、それらは非常に異なる。 なお、この信仰の単語観の一つとは「蟲の口寄せ(召喚)」である。例えば、君は船という時、君の脳内に船という視蟲が口寄せされる。残念なことに、物体やヌシは口寄せされない。 たとえ君が船と唱えても、船はポンっと召喚されない。ただし、船という視蟲が君の蟲的世界に召喚されるけれども。ヌシも召喚されないで、ヌシに注意が向けられるだけである。 一人称  ヌシ世界における一人称は俺(ore)である。俺という単語の口寄せの対象は自己のヌシである。 蟲世界...
2020.05.11
俺らの信仰

俺らの単語観:名前の付与と単語の住処

 ここで、俺は俺らの単語観を君に与える。しかし、俺は以下の正当化を行えない。正当化は君らの仕事である。 1:名前の付与  付与行為:付与行為とは名前を物体や蟲やヌシに与える行為である。付与行為は人間の意志が関係する行為であるので、君は付与行為を疑う。君は機械的世界からの分岐された人間であるので、君は付与行為の奴隷にならない。 1:名前と名字  単語の付与の方法:君は単語を名字や名前のようなものと認識して、君は単語を物体に名前を与えるように付与する。 例えば、りんごは名字であり、ふじは名前である。徳川は名字であり、家康は名前である。君が単語を物体に付与するとき、君は名前を人間に与えるように単語を物体に与える。 2:付与行為の分類  名前型:名前型付与行為とは名前を付与する行為である。  名字型:名字型付与行為とは名字を付与する行為である。  変換型:変換型付与行為とは単語を別の単語に変換する行為である。 変換型の例として、even is a number which is divided ~のような定義的文?で使用...
2019.12.30
俺らの信仰

この信仰における言語観と単語観:口寄せと忍者

 この信仰における言語観について述べる。なお、俺は現時点で以下の行為の正当性を与えることができない。つまり、なぜ以下の行為が正当であるかは不明である。 日本人が日本語を話す時、日本人は彼ら自身の単語で彼ら自身の肉体を操縦するような印象を持たない。一方、英語を操る白人は彼ら自身の肉体を彼ら自身の言語で操縦しようとする。俺は後者を「命令型言語」と呼び、そこでは言語は機械に対する命令(行動手順)と同じである。 英語的世界では、君の肉体と君の言語の関係は機械と命令文の関係に近い。しかし、この信仰では、分岐が良いと判断されるので、君はこの関係を採用しない。口寄せは忍者を想像せよ。 1:単語は蟲の口寄せや召喚の手段  口寄せ行為:口寄せとはヌシが画像や映像をヌシの蟲的世界に製造?する行為である。ただし、君は認識を重視する。君は単語を経由しなくても、画像や映像を直接的に召喚できるように訓練する。 例えば、君=ヌシが「りんご」と発話する時、君は君の蟲的世界の中にりんごを口寄せ(または召喚)する。その後、君は動けと唱える時、そのりんごは運動する。 1:蟲的世界に...
2019.12.30
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