孫武による孫子兵法とクラウゼヴィッツ戦争論〜東洋と西洋の戦争観〜対決世界観vs大洪水世界観

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 カール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ: Carl Philipp Gottlieb von Clausewitz (Claußwitz)、1780年7月1日[2] – 1831年11月16日)は、プロイセン王国軍人軍事学者である。最終階級は少将クラウゼビッツとも表記[3]ナポレオン戦争にプロイセン軍の将校として参加しており、シャルンホルスト将軍およびグナイゼナウ将軍に師事。戦後は研究と著述に専念したが、彼の死後1832年に発表された『戦争論』で、戦略、戦闘、戦術の研究領域において重要な業績を示した。特記すべき業績としては絶対的戦争、政治的交渉の延長としての戦争概念、摩擦戦場の霧重心軍事的天才防御の優位性、攻勢極限点勝敗分岐点などがある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・フォン・クラウゼヴィッツ

 これは「https://oreranitsuite.com/2019/12/14/東洋と西洋白人の戦争観戦術戦略世界観孫子中国/」の続きである。

 孫武は春秋戦国時代の人間であり、クラウゼヴィッツは近代の人間である。生きている時代が2000年近く異なるので、単純には比較できないだろう。しかし、孫武とクラウゼヴィッツには、東洋人と西洋人の違いが表現されている。

クラウゼヴィッツは戦争それ自体を対象として分析できた。西洋では、白人は戦争を試合のような対象として認識してきた。また、白人は試合を局所から大局へと拡大させて戦術→戦略→対決世界観と局所から大局へと構成した。

しかし、この種の西洋人の思考には、重大な欠点が存在する。その欠点とは、彼らは戦争を含む世界や物事を把握することが苦手であることである。その結果、白人はなぜ白人は戦争してきたのか、その理由を把握できない。以下でそれを見よう。

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白人の対決世界観の弱点〜構成的思考〜

 対決的世界観とは、白人が彼らの敵と対決して勝利するという価値観である。大局図的世界観とは、東洋人が大局的な世界を描き、彼らの目的を達成する世界観である。別名は大洪水的世界観

https://oreranitsuite.com/2019/12/14/東洋と西洋白人の戦争観戦術戦略世界観孫子中国/3/

 構成的思考とは、白人が対象を局所から大局へと論理的に構成する思考である。把握的思考とは、東洋人が対象を大局から局所へ把握的に認識する思考である。

 白人の戦争観や世界観はこの対決世界観とこの構成的思考によって形成される(後は分析的思考)。西洋と東洋では、人間の思考が完全に逆である。以下で、俺は白人の思考の弱点を語ろう。

白人は物事を把握することを苦手とする。その結果、白人は戦争を構成して、それを分析することを得意とするが、戦争を把握することを非常に苦手とする。だから、白人は変な戦争や虐殺を繰り返してきた。

例えば、白人は戦争をインド大陸やアフリカ大陸やアメリカ大陸などの他人の土地で構成する。俺はこれを見て、他人の土地で何をやっているかと怒鳴りたくなる。白人は戦争を把握できないので、彼らはこの異常性や不自然さを認識できない。

世界大戦とナチス〜なぜ白人は戦争したか?〜

 日本人は第一次世界大戦や第二次世界大戦の理由をいまいち把握できない。俺の憶測によると、白人は物事を把握するのが苦手であり、戦争を把握するのでなく、戦争を構成しようとする。その結果、彼らはよくわからない戦争を始めてしまった。

ナチスにおけるユダヤ教徒の白人に対する虐殺も非常に意味不明である。俺はドイツ人は虐殺を把握するのでなく、構成しようとした。その結果、奇妙な虐殺が生じたと憶測する。

振り返ってみると、なぜ白人はあんなに大きな世界大戦を引き起こして、多くの人々を虐殺したのかわからない。俺にとって、白人による世界大戦は大規模な戦争と虐殺の構成である。

宗教に弱い〜殺しても殺しても湧いてくる!〜

 宗教に関する争いは試合のように綺麗に展開されない。宗教戦争は敵を殺しても殺しても、彼らはまるでゾンビのように洪水のように湧いて出てくる。白人はこの種の宗教戦争に非常に弱い。

なぜなら、きちんと試合が発生しないとき、彼らはそれに弱い。イスラム教徒の中東小人種はキリスト教徒及びユダヤ教徒の白人に勝利するだろう。白人はゾンビ映画を好むのは彼らの根源的な恐れの表現である。対決世界観を持つ白人はゾンビと対決できないことを恐れている。彼らはゾンビに洪水のように飲み込まれることを恐れる。

一方、東洋人は世界を大洪水のような対象と捉えて、それを把握しようと努める。言い換えると、東洋人にとって、戦争とは大洪水の中での単なる出来事であり、重要なことは大局的な世界観の象徴たる洪水に飲み込まれないように振る舞うことである。大洪水の一部の現象(戦争)は人為的に制御されるが、人間が洪水の全てを制御できないと東洋人は考える。

 流れに身を委ねよ 何事にも流れが存在する それが見えれば負けはなく勝ちもない

出典:封神演義 キャラ:太上老君 著者:藤崎竜

https://twitter.com/dietdog11/status/690994081590214657
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