自治体に関する重要事案について住民が直接、意思表示する住民投票に、外国人も参加できる住民投票条例を制定する自治体が増えており、川崎市や広島市ですでに外国人の投票が可能になっている。この条例は公職選挙法や地方自治法の適用を受けないため、外国人の投票も問題ないとされるが、実質的に外国人地方参政権を認めることになるとの懸念の声もある。
https://www.iza.ne.jp/kiji/politics/news/141103/plt14110308000001-n1.html
外国人参政権には、制度それ自体の問題と議論的な問題が存在する。以下で、俺はそれについて述べる。また、俺は民主制度や国民国家はもはや古いと審判した。日本人及び日本国は幕藩体制に戻るべきである。
外国人の投票行為それ自体の問題
奴隷化と家畜化
外国人による投票は土着の先住民や原住民を奴隷化や家畜化する。例えば、俺がカメルーンの選挙権を持ち、カメルーンの選挙に介入する時、俺はその黒人を奴隷化・家畜化している。
アメリカは資金を他国に投下した後、彼らは他国の選挙に干渉して他国をめちゃくちゃにしてきた。外国人参政権はまさにこの状態に等しい。あるいは、俺が君の家庭や君の妻のお腹の中の子供に干渉する時、君はそれを奴隷化や家畜化と認識するだろう。
他人のお腹の中の子供に干渉できないのはその行為の責任や後始末を取れないからである。外国人による投票は他人の家庭に口を出すようなものである。
責任能力と後始末能力
投票行為の正当性は税金でなく、投票者の責任能力や後始末能力である。一部の人間は投票行為を税金に結びつけるが、投票行為の正当性は責任能力と後始末能力である。
もし税金が投票行為の正当性を与えるならば、その時、富裕層が他人の家庭に干渉できるだろう。
議論の問題点
外国人参政権の問題には、議論の問題も存在する。
正当性を認識できない日本人
参政権や投票行為には、正当性が存在する。日本人が何かを議論する時、彼らは行為の正当性に着目できない。この状態は悪い。
参政権や投票行為の正当性はお金や税金でなく、責任能力や後始末能力である。
引用や実況ばかり
日本人は引用や実況ばかりを繰り替えして、参政権を外国人に与えようとする。この状態は非常に悪い。なぜなら、この種の引用者や実況者は自己の発言の責任や後始末を彼ら自身でつけるつもりがない。
彼らは彼ら自身の意見と正当性を彼ら自身で表現しなければいけない。