邦画の広告はダサい。これは事実である。この状態に対して、一部の日本人はこう言い訳してきた。
「広告関係者はダサいとわかっているが、こっちの方が売れるからしょうがない。仕方がない。」
彼らはまるで消費者の日本人が悪いと言いたげである。彼らは高度な感覚を持っているが、受容する消費者がバカで不細工であるので、日本の映画はクソであると。俺は彼らの意見に反対である。以下で、なぜ邦画のポスターがダサいかを提示しよう。
1:ダサい理由
1:国家や政府主導でなかった
政府や国家がポスターの表現に規制を一切かけないので、邦画のポスターが悪くなる。邦画のポスターの問題は日本列島の景観の悪さに応用される。景観の悪さは政府や国家による統治能力の欠如の結果である。
2:対峙能力の欠如
日本の邦画のポスターは他国や他人種や他民族との ‘ 対峙 ‘ を一切考えていない。だから、彼らは彼ら自身のポスターとは何か、東洋人にとってのポスターとは何かを考えない。彼らは日本人に売れれば良いとしか考えていないので、国際社会における異人種や異民族との対峙を考慮しない。
3:企業の暴走と野放し
日本政府や国家は企業の行為をきちんと統治できない。彼らはピットブルを放し飼いしてきた結果、邦画のポスターがぐちゃぐちゃになった。邦画のポスターの問題はポスターの製造者とその統治者の問題であり、消費者の問題でない。
4:善悪の判断の欠如
広告の製造者は善悪の判断を下せない。彼らは上記のポスターが悪いか、レッド・カードであるかを判断できない。彼らはだって、その方が売れるからゴネてごまかす。サッカー審判が選手の行為や状態に対して、レッド・カードを出せないので、彼らの試合(広告ポスター)はいつまでもゴミである。
2:類似例はカタカナや日本の景観や芸能
1:カタカナ用語˜
日本語には、不要なカタカナ用語が多い。日本語自体が邦画のポスターみたいになっている。企業のカタカナ用語も同じである。
2:景観
日本の景観もまた邦画のポスターと同じである。政府が企業を統治せずに野放しにした結果、日本の景観は悪くなった。
3:芸能
ジャニーズやAKBも邦画のポスターと同じである。彼らは国際的な競争力でなく、国際的な対峙能力を持っていない。
3:典型的な言い訳
入社した頃、ニュース原稿で小難しい文章を書いて上司に直されました。「視聴者は中学3年生を想定しろ」と、よく言われたものです。つまりNHKの番組は田舎のお年寄りを含めて1億人に理解されないとならないわけです。これは色んな意味で勉強になりました。
池上彰さんとも仕事をしたことがありますが、彼の語り口はNHKのノウハウなんですよ。普通のジャーナリストが「そもそもEUとは何か?」なんて書かないわけですが、彼はこどもニュースを長年担当しているうちに視聴者が子供ではないことを知ったわけです。「今さら聞けない」ことを書く。それがある種のイノベーションになったわけです。
https://oreranitsuite.com/2020/02/12/日本映画(邦画)と韓国映画〜シュリとパラサイ/3/
1:売れるから仕方がない?しょうがない?
俺が邦画のポスターがダサいという時、広告業界の人間は決まって売れるから仕方がないと返答する。彼らの本音とは、彼らは良質な広告を作る能力を持っているが、大和民族が劣等であるので、まともな広告が売れない。だから、彼らは悪くないである。
上記の引用は実に日本人的である。池田は彼は知的であるが、大和民族の視聴者が知的でないので、彼はわざと低質な番組を作ってやっている。だから、池田は悪くない。池田はそう言いたげである。しかし、俺は池田は対峙的な番組を製造できないと審判する。
実際、トヨタ自動車は他人と対峙できる商品を製造してきた。しかし、この事実は日本人の車の知識の高さの結果でない。なぜなら、トヨタは世界中で売れているのだから。池田は白人や朝鮮人やインド人に売れるような番組を作れるのか?
2:仕事が減るのが嫌なだけでは?〜とりあえず口を出したい〜
俺は邦画のポスターのがダサくなるのは、仕事が減るのを嫌がる人間の存在ととりあえず口を出したい人間の存在であると憶測する。この種の人間は他人の作った何かを口を挟んで、マウントしたい、感謝された。その結果、邦画のポスターがダサくなる。
3:お金がない
お金がないも典型的な言い訳である。彼らは相手がお金がないから、邦画のポスターがダサくても仕方がないと言っているようなものである。俺は彼らはまともな商品を製造する能力を持っていないと審判する。