「法律論」「学問の自由」をはるかに超える大問題 学術会議の会員任命拒否には誠実な説明が必要だ〜須藤靖東京大学教授(宇宙物理学)〜

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任命拒否に関する須藤靖の発言を見ると、俺は須藤靖を含む大和民族の学者気取りはお金と契約それ自体を認識できないように思える。彼らは現実の状態や言語に対する適切な反応を持たないので、彼らは狂った反応を表現してきた。その結果、日本国民(大和民族)の大部分は彼らはお金や契約それ自体を認識できないと審判する。

さて、以下で、俺は須藤靖の書いた文章に対する違和感を提示してみる。俺の憶測では、契約相手である日本国民の大部分も俺と同じ印象を持つだろう。

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1章 全体に関する疑問

「法律論」「学問の自由」をはるかに超える大問題 – 須藤靖|論座 – 朝日新聞社の言論サイト 10月1日、日本学術会議が推薦した会員候補のうち6名を菅総理が任命拒否したことが明らかとなった。言いようのない閉塞感と無webronza.asahi.com

1節 記事の方向の不明瞭さ〜誰に向かって書いているの?〜

 須藤靖は彼の意見を誰に向かって書いているのか俺はわからない。詳細はわからないが、大学教員にとって、日本国民は契約相手であり、官僚や政治家(統治者)は交渉相手?であるように思える。須藤靖は「説明は必要だ」と主張したが、彼は交渉相手に説明を求めるつもりであるのか?

須藤靖の態度を見ると、彼はなぜか政治家や官僚を学生や家来や部下や奴隷と勘違いしているように振舞っている。須藤靖はお金を借りる側であるのに、なぜ彼は上から目線で高慢で奴隷主のように、説明を交渉相手に要求しているのか疑問に思った。須藤靖の発言を見ると、日本人の大部分は須藤靖は身の程をわきまえろと感じる。

お金を借りる立場の人間が自己の立場を勘違いして、偉そうに説明を要求している。官僚や政治家側から見れば、アカデミアや大学も交渉相手であるので、須藤靖が説明を求めることはそれほど悪くない。しかし、須藤靖の態度や言い方は非常に悪く、勘違いした裸の王様に見える。

2節 相互性

 須藤靖は説明を政府?に求めているように思える。しかし、大学側や日本学術会議側は契約相手や交渉相手に彼ら自身の状況を政治家のように適切に説明してきたのだろうか?大和民族の学者は社会性を持たないので、人間社会における平等や公平や相互性に無頓着であってきた。

須藤靖は政府に説明をうるさく求めるが、須藤靖は彼ら自身の状況を契約相手や交渉相手に提示してこなかった。この状態は相互性の欠如であり、それは悪い(レッドカード)。もし須藤靖が説明を交渉相手に求めるならば、須藤靖は任命を拒否された学者もどきの論文のなさについてもきちんと契約相手や交渉相手に提示するべきである。

2章 部分に関する疑問

 以下で、俺は彼の文章に感じた違和感を提示する。

「法律論」「学問の自由」をはるかに超える大問題 – 須藤靖|論座 – 朝日新聞社の言論サイト 10月1日、日本学術会議が推薦した会員候補のうち6名を菅総理が任命拒否したことが明らかとなった。言いようのない閉塞感と無webronza.asahi.com

1節 「会員選出の方法は適切なのか」について

さらに学術会議の多様性を担保するために地域およびジェンダーバランスに厳しい制約条件を課している。

 アメリカ大陸の多様性は俺らモンゴロイド人種の虐殺の結果である。契約相手の大部分は大和民族(モンゴロイド人種)であるので、須藤靖は多様性をあまり賛美すべきでない。

加えて、ジェンダーやジェンダーバランスもキリスト教的な価値観である。人種や宗教や文明が異なるとき、ジェンダー(人工的な性)に対する考えも異なる。西洋文明におけるジェンダー観を東洋文明の構成要因に押し付けるべきでない。

多様性やジェンダーバランスは会員の選出法として東洋文明では不適切である。

2節 「学術会議はなぜ内閣府のもとの組織なのか」について

政府が、学術会議の独立性と中立性を尊重する限り、内閣府内からの勧告や提言であればそれなりの重みをもつ。そして、政府が何らかの判断を下す際に、学術的な観点からのフィードバックは不可欠である。過去の政府と学術会議の間では、互いの尊重と緊張関係は最低限守られてきた。逆に言えば、現在のシステムは、政府が学術界の独立した意見に誠実に耳を傾けた上でどのように政治的判断を加味するかという見識の信頼関係を前提としている。今回を契機にそれが揺らいでしまうような事態になれば、学術会議を内閣府内におくという関係性を再考する必要があるかもしれない

 「政府が、学術会議の独立性と中立性を尊重する限り」とあるがこれも高慢に見える。須藤靖は「政府(あっち)がちゃんとしてくれれば、良い提言を出せるけど」と暗に脅迫しているように見える。政府は日本国と韓国や2つの企業同士のような交渉相手であり、部下や家来でない。

政府と学術会議の良い関係性が保たれれば、契約相手に対する利益にもなるが良いように思える。

 ちなみに、学術会議に約10億円程度の税金が使われていることを問題視する意見が散見されるが、これは世界的にみて決して多い金額ではない。例えば全米アカデミーズは約230億円だとのことである。それ以外の各国との比較も参照のこと。

 上記の文章も非常に悪い。須藤靖は「10億円程度」と発言しているが、10億円は大金である。加えて、須藤靖はお金や契約に加えて、「信用」を認識できない。

もしある人間が10円を友人から借りると約束したのに、返さなかったならば、たとえその金額が10円であるとしても、その人間は友人の信用を失い、以降お金を借りれなくなる。

さらに、須藤靖は「税金が使われている」とまるで他人事や自然現象のように言ったが、おそらく、その税金は知的労働や学術論文との交換である。契約相手は税金を須藤靖にあげているわけでない。

 須藤靖のような学者は真理や事実を提示すれば、相手がそれに同意して、批判の矛先を納めてくれると考える。だから、彼らは上記のような奇妙な文章を書く。

俺は須藤靖は10億円はアメリカと比較すると、大した金額でないので、10億円の用途が多少不適切でも、問題ない(ごちゃごちゃ言うな)と言っているように感じる。この時、須藤靖が失うのはお金でなく、「人間としての信用」である。お金のやりとりに「少額だから」とか「先っちょだけ」は通用しない。

 ただし、学術会議を完全に政府と独立な組織にすることには同意しない。その結果、学術界からの意見が適切に政府に届かなくなり、一部の都合の良い意見だけを学術界の総意であるかのように操作されてしまう危険性が懸念されるからだ。そして、今回の問題はまさにそれが政府の意向として起こりつつあることを示している。

 「(須藤靖が?)学術会議を完全に政府と独立な組織にすることには同意しない」という文章も奇妙である。須藤靖は「彼は学術会議を完全に政府と独立な組織にすることに反対する」と書くべきである。

彼はまるでその会議を独立な組織にする権限を一方的に持っているように書いているが、独立は須藤靖でなく日本国の統治者が決定する事項である。須藤靖は老人であるが、まるでイヤイヤ期の子供のような文章を書く。須藤靖は「僕が独立に同意しないので、独立はいやいやっ!」と言っているように見える。

また、上記の文章は学問を装った権力闘争や権益の獲得にも見える。

3節 「学術会議だけの問題でなく」

 実際私は、これは学術会議と政府、あるいは学問の自由と政府、という観点よりもはるかに大きな問題を提起していると考えている。学術会議法の規定にある「任命」という行為が、法的にどのように解釈されるのか私にはわからない。しかしそれとは無関係に、当然の疑問に対して誠実に回答しないという強硬な姿勢は、民主的な社会のルールから考えて承認できるものではない。仮に任命しないという行為が法的に正当化されるという論理を展開するとしても、ではなぜ任命しなかったかを納得できるように説明しなくてよいという理屈にはならない。これは法律以前にもっと基本的な社会のルールである。そしてこの不可解な姿勢こそ、前政権で顕在化し店晒しのままとなっている諸問題と同じく、国民に真実を知らせることなく自らの決定をゴリ押しするという悪例の発展形にほかならない。

 上記の発言は須藤靖にそのまま返ってくる。須藤靖や日本学術会議こそが日本国民に向けて、公的な場所で、彼らがどのような活動をしてきたのかをきちんと提示するべきである。構成要因がどのような論文を書いてきたのか?

日本学術会議の会員の研究室での振る舞いや性的嫌がらせや暴力的嫌がらせ、そして、お金のやり取りに関する詳細な記録。俺はなぜ大和民族の学者は彼らの状況を契約相手にきちんと説明しないのか疑問に思う。

彼は民主的な社会のルールと主張するが、彼ら自身は民主的なルールに沿って生きているのだろうか?研究室での振る舞いを知ると、俺はそのように思えない。須藤靖は他人に彼が納得いくまで説明を求めるが、彼自身は契約相手に何も説明しない。

 それだけでなく、須藤靖を含む学者はなぜか契約相手に先生、先生と呼ばれて、おだてられてきた。この状態は政府よりも異常である。

 今や小学校では道徳の授業が科目化されている。しかしながら、多様かつ自由な意見の交換、反対意見であろうとその立場を理解しようとする態度、といった社会生活においてもっとも大切な原則が政府から失われつつある現状を小学生たちにどのように教えることができるのだろう。都合の悪いことには決して答えない、さらには小学生が聞いても呆れてしまうような意味不明の答弁を官僚トップが繰り返す国会中継は計り知れない負のインパクトをもたらす。優秀な大学生ほど、国家公務員や官僚のキャリアに見切りをつけているという現状は、今回の問題を学術会議とか学問の自由といった観点だけに矮小化してはいけないことを如実に物語る。反対意見を排除して多様性を隠して突き進む体制は、長期的な社会の安定性を著しく損なう、進化論的にもマイナスの選択だ。世論を二分して、どちらかが絶対悪、どちらかが絶対善、といった議論を助長することは絶対避けるべきだ。

 最後は須藤靖が何を言いたいのかよくわからなかったので、省略する。

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