東京大学は10月14日、47都道府県に居住する日本人約1万1000名の全ゲノムSNP遺伝子型データを用いて、都道府県レベルで日本人の遺伝的集団構造の調査を実施した結果を発表した。そしてクラスター分析により、47都道府県は沖縄県とそれ以外の都道府県に分かれ、沖縄県以外は九州・中国地方、東北・北海道地方、近畿・四国地方の3つのクラスターに大別され、関東地方や中部地方の各県はひとつのクラスター内に収まらなかったとした。また同時に、主成分分析の結果、第1主成分は沖縄県との遺伝的距離と関連しており、第2主成分は緯度・経度と関連していたことも判明した。
現代の日本人(アイヌ人、琉球人、本土人)は、これまでの研究から、縄文人の系統と、渡来人の系統が混血した集団の子孫であると示唆されている。しかし、日本の7つの地域間の遺伝的異質性を指摘した先行研究があるが、中国地方や四国地方の県は含まれておらず、7つの地域に分けることの妥当性を含め、日本人集団の詳細な遺伝的集団構造やかかる構造を生じさせた要因がよく理解されていなかったという。
https://news.mynavi.jp/article/20201015-1415945/
以下で、俺は上記の研究に対する違和感を提示する。俺は人種や民族の研究には、政治的な意図が入り込むと考えているので、俺は遺伝や民族に関する研究をかなり疑ってきた。この研究でも、俺は政治的な意図が強くこの研究に入り込んでいると審判した。
上記を簡単にまとめると、大和民族は日本列島上で遺伝的な違いを持つ。琉球民族とアイヌ民族は縄文人に遺伝的に近い。弥生人と呼ばれてきた人々は大陸東洋人であり、縄文人でない。俺は専門家でないが、上記の記事をこのように読み取った。
1章 前提
本題に入る前に、俺はいつくかの前提を提示する。まずはじめに、俺は人種や民族や宗教や文明が異なる時、人種や民族に対する認識も異なることを提示する。次に、俺は俺自身の人種及び民族に対する認識を提示する。
1節 人種と人種観
世界に対する俺の認識 人種や宗教や民族や文明が異なる時、人種や民族に対する人間の認識や定義それ自体が異なる。
人種や宗教や民族や文明が異なる時、人種や民族に対する人間の認識や定義それ自体が異なる。これは科学や数学の問題でなく、審判や認識に関する問題である。例えば、ユダヤ教徒の白人が「ユダヤ人」になったり、オバマ前大統領が「黒人」になったりする。または、11億人の大陸東洋人が同じ「漢民族」になる。あるいは、ヒスパニックが「人種」になったりする。
もし俺らが自己の人種観を持つならば、俺らは彼らを見た後、俺らは「そうか、人種や民族や文明や宗教が異なると、人種観それ自体が異なってしまう。だから、違和感を感じたのだ!」と審判する。俺らが遺伝的な研究を消費するとき、俺らはこの事実を頭に入れる必要がある。
また、男性のy遺伝子を自己の人種や民族とみなすかでも、人種や民族が変化してしまう。
2節 人種及び民族に対する俺自身の認識
人種に対する俺の認識 人種は生物種の部分集合であり、小人種は人種の部分集合であり、民族は小人種の部分集合であり、部族は民族の部分集合である。人種は遺伝的な隔離の結果、他の集団から分岐して生じる生物的な事実である。
俺にとって、人種はホッキョクグマとグリズリーのような種の違いである。人間はホモ・サピエンスの側面を持つので、俺らは人種を動物的な観点から把握するべきと審判する。要するに、俺らはホモ・サピエンスの人種を樹形図のように把握するべきである。
俺の印象では、人種の分岐は3万年〜5、7万年。小人種の分岐は(数千年)1万年〜3万年、民族の分岐は2000年から数千年である。部族的な分岐は数百年である。このあたりの計算は
重要なことは3点存在する。一番目は人工と自然の区別であり、二番目は大局から局所へと把握であり、三番目は遺伝的な距離を重視することをである。
例えば、日本人とは大和民族の要素であり、日本国民とは日本国籍を所有する人間である。前者は生物的な事実であり、後者は人工的な概念である。民族という単語を使用する時、文化という人工と遺伝という自然が混ざる。もし俺らが正確な情報を獲得したいならば、俺らはこの混同を悪い(レッドカード)と認識する
次に重要なことは大局から局所への把握である。自己の民族でなく、自己の生物種を考える。次に、自己の人種、次に自己の小人種を考える、最後に自己の民族を考える。さらに、自己の部族を考える。
加えて、俺らは民族や小人種を考える時、俺らは他人からの遺伝的な距離を測定する。最終的には、個体に関する遺伝的な違いが存在するので、東洋人xが完全なる日本人であるかは定まらない。だからこそ、東洋人xが日本人であるかはその東洋人がどの東洋人に近いかで測定される。
3節 大和民族に対する俺自身の認識
大和民族に対する俺の認識 日本人とは、大和民族の要素である。大和民族は東洋小人種の部分集合である。
俺は日本人と大和民族を上記のように認識する。日本人は縄文人の遺伝子を持つが、彼らは縄文人でなく、むしろ大陸東洋人に遺伝的に近い。大和民族の生物種はホモ・サピエンス生物種であり、大和民族の人種はモンゴロイド人種であり、大和民族の小人種は東洋小人種である。
縄文人のホモ・サピエンス生物種であり、縄文人の人種はモンゴロイド人種であり、小人種はおそらくアメリカ小人種でないかと疑っている。または、フィリピン人のような東南アジア小人種に近い。当然、遺伝的な距離を測定する必要がある。
氷河期の時代、大和民族の先祖はモンゴル平原で生活していた。殷王朝の崩壊のあたりまで大和民族の先祖は中国の呉越辺りで生活していた。殷王朝の崩壊や春秋戦国時代あたりにかけて、大和民族の先祖は中国大陸から日本列島へと「移動」した。そして、数千年かけて、彼らは日本列島へと遺伝的に環境的に適用して、大和民族が形成された。
2章 違和感〜政治的な意図〜
本題に入る前に、俺は下記の引用を提示する。俺がこの研究を見た後、俺は下記の日本人の歴史家を思い出した。
しかし日本全国が被害を蒙った大災害の年を除けば、農民たちは、大体うまくいっていたといえる。
(省略)。
それなのに、「毎年の農民による暴動があった。鎖国時代には全部で千五百回くらいの農民一揆があった」などという日本の歴史家は多い。ところが、この「農民一揆」と数えられている事件を詳細に調べてみると、驚くべき結果が出てくる。
(省略)。
事実、「農民一揆」といわれてる出来事の大半は、天候不順のために、収穫量が落ち込んだので、農民たちが配慮を願い出るといったような正当な申し出をした〜(省略)〜だけに過ぎないことが明らかにされている。
どうして日本の歴史家たちはこぞって、「農民一揆」の目録を出来るだけたくさん集めようと躍起になったのか、いつも不思議に思っていた。しかし、彼らの書いたものを読み、その何人かと話す機会を得て、その理由が次第に分かってきた。
日本のことに多少通じているヨーロッパ人は、なにかというと、日本人は革命を起こしたことが全くないといって避難する。この避難は、支配者の圧政に反抗しなければならなかったヨーロッパ人の経験に基づく思い込みから、出発している。
ヨーロッパ人にとって、ある国で革命がなかったということは、その国の民は医師の強さに欠けていることを意味する。日本の長い歴史の中に革命があったことを示す記述を見出すことができないと、日本人には救い難い血管があると彼らにみなされる。反抗がなかったということは、ヨーロッパの諸民族と違って日本人が卑屈な意志の弱い民族だということを示す証だと言われてしまう。そこで日本の多くの歴史家は、古い資料の中に農民たちの不満が読み取れる些細な出来事を探し出して、そこに攻めて革命の火花だけでも見つけ出そうと懸命になっているのではないだろうか。暴動が一件でも多くあったということを示せば、ヨーロッパ人に対して、声を大にして「日本人だって意志強固なのだ」と言えると信じているのではないだろうか。
奢れる白人と闘うための日本近代史 松原久子
上記をまとめると、次である。日本人は白人と同じでないと不安を覚える。なぜなら、彼らは白人に批判されることを非常に恐る。その結果、日本の歴史家は日本人や日本国が白人と同じであることを証明しようとする。
または、彼らは白人と同じ状態を日本列島上に作ろうとしてしまう。下記の文章を見よう。
The results revealed that the mainland Japanese were not genetically homogeneous, and the genetic structure could be explained mainly by the degree of Jomon ancestry and the geographical location. One of the interesting findings was that individuals in the Shikoku region (i.e., Tokushima Prefecture, Kagawa Prefecture, Ehime Prefecture, and Kochi Prefecture) were genetically close to Han Chinese. Therefore, the genetic components of immigrants from continental East Asia in the Yayoi period may have been well maintained in Shikoku.
https://www.nature.com/articles/s10038-020-00847-0
According to the dual-structure model, the present Japanese population was formed by admixture between indigenous Jomon people and immigrants from continental East Asia [1].
https://www.nature.com/articles/s10038-020-00847-0
上記では、日本人研究者はwere not genetically homogeneousと書いて、日本にもアメリカと同じように多様性が存在すると主張している。加えて、彼らは現在流行のimmigrantsという単語を使用している。つまり、彼らは日本にもアメリカと同じような多様性が存在して、日本人もアメリカ白人と同じような移民であったと主張したい。
実際、彼らはなぜか縄文人をindigenousといって、大和民族の先祖をimmigrantsと言っている。しかし、大和民族自身は日本列島上で遺伝的に分岐した先祖であるので、彼らも民族的にはindigenousである。もし縄文人がindigenousであるならば、大和民族も縄文人以外の全ての人間にとって、indigenousである(2nd indigenous)。
俺の印象では、縄文人と大和民族の関係はアメリカモンゴロイド人(ナバボ族など)とイヌイットの関係に似ている。イヌイットはアメリカ大陸のindigenousであるが、後発であるだろう。上記の文章の視点はなぜか大和民族を白人のようなimmigrantsにしていて、縄文人をアメリカ先住民のようなindigenousとしている。
殷王朝の時代、大和民族の先祖は中国大陸で生活していた。その時、彼らの先祖と当時の呉越辺りの大陸東洋人は現在ほどの遺伝的な距離を持っていなかったはずである。殷王朝の崩壊辺りから、大和民族は中国大陸から日本列島へと移住して、日本列島で遺伝的に適応した。
この様子は氷河期?辺りにイヌイットの先祖がユーラシア大陸からアメリカ大陸へと移住して、アメリカ大陸の北部に遺伝的に適応したことに似ている。この研究における正当な視点とは、大和民族を白人の米国民と置きじ、縄文人をアメリカ先住民と置くことでなく、大和民族をイヌイット、そして縄文人をアメリカ小人種と置くことである。
だから、上記のimmigrantsは2nd indigenousと置かれるべきである。あるいは、native Japanese。
In other words, the mainland Japanese are genetically closer to the Yayoi immigrants from continental East Asia than the Ryukyuans are.
(省略)
The Yayoi immigrants are expected to be genetically related to the present-day Han Chinese.
(省略)
Individuals in Tohoku and Kyushu seem to be genetically close to the Jomon people. On the other hand, individuals in Kinki and Shikoku appear to be genetically close to the immigrants from continental East Asia.
(省略)
Therefore, it is considered that the genetic components of Yayoi immigrants from continental East Asia have been well preserved in the Shikoku region. It is highly possible that immigrants first arrived in the northern Kyushu, since wet-field rice farming, introduced by immigrants from continental East Asia, began in northern Kyushu. If this is true, migration from the Asian continent to the Shikoku region requires crossing the Seto Inland Sea via the Chugoku or Kyushu regions. Nevertheless, prefectures in the Shikoku region were genetically closer to Han Chinese than those in Chugoku or Kyushu regions were (Fig. S3), implying that the degree of Yayoi ancestry does not always agree with the migration route of immigrants from continental East Asia.
https://www.nature.com/articles/s10038-020-00847-0
当然であるが、弥生人は大和民族の主流な先祖であり、彼らこそが大和民族のご先祖様である。genetically related to the present-day Han Chineseも不明瞭な表現である。なぜなら、Han-Chineseが何であるかが不明である。俺は11億人以上の大陸東洋人が同じ漢民族であると審判しない。
だから、Han-Chineseに近いと言われても、答えようがない(今回では北京あたりでとったのかもしれない)。俺はHan-Chineseをもう少し細分化する必要があると審判する。個人的な印象では、俺は大和民族は中原辺りの大陸東洋人か、中原の少し南方の大陸東洋人に近いように思える。
北方の大陸東洋人は酒に強く、気質も大和民族と異なる。大和民族の気質も酒に対する耐性も体格も南方の東洋人由来である。
加えて、上記の研究では、研究者は日本列島における遺伝的な多様性を証明したいらしい。けれども、俺はその遺伝的な距離は民族的な距離よりも部族的な距離に近いように思える。イングランド人とスコットランド人とアイルランド人の部族的な距離や北朝鮮人と南朝鮮人の部族的な距離、モンゴル人と満州人の部族的な距離に近いように思える。
上記では、多様性やhomogenerousでないことが強調されている。部族的には、homogenerousでないが、民族的にはhomogenerousであるだろう。これは東洋地域全体で類似した結果が生じる。もしhomogenerousでないならば、遺伝子汚染や民族浄化が存在している。
3章 違和感のまとめ
本音 日本人研究者はアメリカの上の白人と同じような多様性を日本列島上で証明したい。なぜなら、彼らは白人による避難や白人との意見対立を何よりも恐れる。
21世紀の欧州人や白人の米国民は彼らの多様性を賛美してきた。そして、彼らは日本列島をhomogenerousでないと言って侮辱してきた。日本人研究者は白人と同じでないと不安に感じる。
日本人研究者は白人に批判されることを恐れる。彼らは次のように考える。もし日本人研究者が日本列島上での多様性を証明するならば、彼らは白人によって日本には多様性がないと避難されない。その時、彼らは安心感を覚える。だから、日本人研究者は生物学を通じて、日本人の遺伝的な多様性を証明しようとする。
その時、彼らは日本にも多様性が存在すると主張して、彼らは白人との対峙を巧妙に回避しようとする。さらに、彼らは大和民族をアメリカ大陸の白人にたとえて、縄文人をアメリカ先住民に例える。その時、彼らは白人と対峙を回避できて、彼らは安心感を覚える。