正当性が「正しいこと」一般を意味するのに対して、「正統性」はもっと狭い概念である。それに相当する英語はlegitimacyで、ラテン語lex(法)の派生語であるから、元来は「合法性」(legality)を意味した(省略)
語源史的に考察すると、legalityとlegitimacyが分離した契機は、legitimacyが「嫡出」という家族法的意味をもったことにあるようである。特に君主制において、「嫡出子のみが王位継承権をもつ」という原則が支配し、正統な王とは王の嫡出子を意味した。非嫡出子が王位に就くことがあると、そのlegitimacyが問題とされた。正統性という訳語の「統」という字は、このような「血統」の意味を引き継いでいる
http://ouranos2.web.fc2.com/Legitimacy.html
legitimacyの日本語訳は「正当性」であるらしい。けれども、大和民族の大部分はこの日本語訳を感覚的に把握できないだろう。legitという文字列を見る時、彼らはその単語は法律やlegalという合法的な何かを想像する。そして、俺らはlegitimacyはligalityではダメなのかを感じる。
俺の印象では、正当性や正統性に対する東洋人と西洋人(もっと言うとコーカサス人種)の感覚が異なるので、legitimacyの日本語訳がうまく定着しないように見える。以下で、俺はlegitimacyの日本語訳を提示した後、俺はその理由をさらに提示する。
1章 いつlegitimacyは登場するか?
Undermining the legitimacy of an election—what Trump is doing now, and in fact has done for months—is how demagogues destroy faith in democracy and move us toward authoritarianism.
https://twitter.com/BernieSanders/status/1324520558722244611
現在、合衆国の選挙は終了した。バイデンとトランプは勝利をともに宣言している。そして、彼らは今回の選挙の正当性を主張したり、疑ったりしている。このlegitimacyにも単なる合法性でなく、後継や子孫の意味が含まれているように感じる。
大統領選挙は国家の統治者の「後継」を選択する行為である。だから、legalityでなく、後継や子孫という意味を持つlegitimacyが選択されたように思える。俺の勝手な印象では、legitimacyは貴族の子孫の正統性や後継政府や後継国家の存在に関する正統性において使用されてきたように思える。
2章 legitimacyの日本語訳
legitimacyの日本語訳 legitimacyの日本語訳は「照合的正統性」である。
legitimacyの日本語訳は「照合的正統性」である。西洋人と東洋人では、正統性に対する捉え方それ自体が異なる。だから、俺は照合的という修飾語を提示した。
彼らは何が正統であるかを照合によって把握しているように見える。一方、東洋人は自己の認識(の共通点)や自己への損害、自然か不自然か、違和感によって、正統性を認識している。
西洋にも東洋にも、正統性という概念それ自体が存在する。けれども、それらは互いに異なっている。直感的には、legitimacyは正統な後継性であるように思える。だから、legitimacyは正統後継性(または正後継性)でも良い。正確には、legitimacyは照合的正後継性である。日常的には、正後継で良い。
3章 西洋人の正しさという感覚
欧州人の性質 欧州人は対象の正当性を(正しいとされる)文字や音声との照合で定義する。
欧州人は対象の正当性を(正しいとされる)文字や音声との照合で定義する。彼らは何が正しいかを文字との照合で捉える。例えば、彼らは何が正しいかを創造主の言葉(文字)との一致で把握している。
創造主の言葉から法律が導出される。すると、彼らは日常的な行為をその法律と言う文字との一致で定義する。法律との一致がlegalityであるように見える。俺は西洋人の正しさの判定法を一致式(identify-type)と読んでいる。
それに対して、東洋人は世界に対する高い認識能力を持つ。だから、彼らは対象の正当性を文字との一致でなく、彼らの感覚や認識でなんとなく大局的に捉える。東洋人は文字との一致でなく、彼らの心の中にrightやrightousnessのような何かを抱えている。
東洋人は文字との一致でなく、自己の認識を優先する。だから、彼らの思考は自然であり、人工的でない。西洋人は移民が合法であるか、非合法であるかに非常に執着する。それに対して、東洋人は侵略者が自然であるか、不自然であるかに執着する。
たとえある人間が合法移民であるとしても、もしその人間が不自然であるならば、東洋人はそれがおかしいと感じる。つまり、白人や黒人がアメリカ大陸に存在することは合法であっても不自然であると感じる。なぜなら、彼らは一致的な正しさを持たない。一方、西洋人はその移民が米国の法律に一致していれば、正当な存在であると感じる。
例えば、俺は米国の存在それ自体を不自然と認識するので、正統と認識しない。しかし、白人は合衆国憲法という文字との一致性を正統と認識するので、彼らにとって米国の存在は正統である。