東京五輪の閉会式におけるアオイヤマダ(aoiyamada0624)の問題点

大和民族
https://unsplash.com/photos/88IMbX3wZmI
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 アオイヤマダは自称表現者であり、彼女は謎の踊りを東京五輪の閉会式披露した。その行為に対する評価は非常に悪かった。以下では、俺はアオイヤマダを含む大和民族の自称芸術家の問題点を提示するつもりである。

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アオイヤマダの問題点

問題点

 問題点 アオイヤマダは対外的な意思疎通に完全に失敗した。

 言い換えると、アオイヤマダは閉会式における外交に失敗したように見える。誰もアオイヤマダの踊りの意味を把握できなかった。実際、俺もまたアオイヤマダの踊りから、彼女の踊りは東洋文明に所属するのか、西洋文明に所属するのかすら認識できなかった。

 世界中の人が注目する中で、無事パフォーマンスを終えたヤマダさん。演技後には、自身のSNSで「この機に“追悼”について資料をみたり、考えたりしました。戦争のこと、差別のこと、コロナのこと」と明かした。 そして「“追悼”という言葉は生きている人が亡くなった方にむけた言葉ですが、この概念を緩めることができるのが踊り、ダンスだと思っています」と持論を展開し、今回踊った際の想いを綴った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0afdb7de4eec9edc5c13e9f0a4bef265c3ddb4db

上記では、アオイヤマダは追悼に関する資料を見て、彼女は追悼の踊りを披露したらしい。けれども、俺は彼女の踊りから、彼女はキリスト教の死生観を持っているのか、仏教の死生観を持っているのか、儒教の死生観を持っているのかすら読み取れなかった。アオイヤマダの踊りはただノリや雰囲気で感情をぶちまけているだけに見えた。

アオイヤマダには、所属する文明が存在しないので、とにかく意味不明で不気味に見えた。もしアオイヤマダが東洋文明に所属しているならば、彼女は儒教的な死生観を持って、儒教的な踊りを披露する披露する必要があった。儒教における死生観は天国や地獄を持たず子孫と先祖の繁栄と永続性を願うものであるので、子孫への伝達と希望を重視して、明るい感じにするべきであった。

大和民族の問題点

問題点

 問題点 大和民族は真性のコミュ障であり、彼らは対外的な意思疎通や対峙、そして外交を担うことができない。

 アオイヤマダの踊りは非常に評判が悪かった。なぜなら、アオイヤマダの踊りは外交に完全に失敗してしまった。彼女は仏教的な踊り(追悼)や儒教的な踊り(追悼)を披露して、自己の所属文明を表現する必要があった(当然、彼女には責任はない)。

上記でも述べたが、アオイヤマダの追悼の踊りからは、俺らは彼女の踊りはどの系統の死生観を持ち、どの文明に所属しているのかすら読み取ることができなかった。大和民族が何かを踊るとき、彼らは彼らの踊りがどの系統の踊りであるのかを彼ら自身の言葉で表現する必要がある。

例えば、アオイヤマダの追悼の踊りは東洋文明系統の踊りであり、宗教的には儒教系統の踊りである…などである。大和民族は現場主義であり、彼らは現場の感情を表現したありのままの踊りを表現することを許可してしまう。その結果、その表現が意味不明になる。

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