卑怯な行為とその善悪の判断

俺らについて
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 俺は卑怯な行為を悪いと判断する。卑怯は幼稚のような状態でなく、行為である。卑怯は不公平とも呼ばれる。一般的に、東洋人は卑怯な人々であると見なされてきた。

卑怯な行為とその善悪の判断

 俺系統の判断1.0 俺は卑怯な行為を悪いと俺系統の善悪で判断する。

 例えば、俺は自己の民族や宗教を誤魔化す行為を卑怯と認識する。俺はこの行為を動物の行為に等しいと認識する(認識1.1)。実際、動物は自己の種や宗教を俺らに伝達しない。

そして、俺はこの行為を非分岐的な行為を認識する(認識1.2)。俺はその行為を悪いと判断する。なぜなら、その行為は分岐という目的に反する。俺は目的に反することを悪いと判断する。従って、俺はある主体が卑怯な行為を実行するを悪いと判断する。

卑怯な行為

 俺系統の認識2.0 俺はある主体が自己を誤魔化すことを卑怯な行為と認識する。

 思考の規範では、もしある主体が自己を誤魔化すならば、俺はその主体は卑怯な行為を実行したと認識する。例えば、朝鮮民族は自己の民族を誤魔化して、大和民族になりすます。一般的には、この種の行為は「背乗り」である。

 俺系統の認識2.1 俺はある主体が自己を誤魔化し、かつ他者に言及ことを卑怯な行為と認識する。

 思考の規範では、もしある主体が自己を誤魔化す、かつ他者に言及ことを卑怯な行為ならば、俺はその主体は卑怯な行為を実行したと認識する。。例えば、大和民族が自己の宗教を隠蔽して、彼らはオウム真理教を批判する。または、彼らは自己の文明的な所属を誤魔化して、民主制に賛成する。酷い場合には、彼らは民主主義に反対する対象を「独裁」と侮辱する。

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