大和民族はアイデンティティという単語を使用してきた。けれども、彼らはアイデンティティの意味を把握していない。その結果、大和民族は彼ら自身の人種がモンゴロイド人種であることを知っているが、彼らは彼ら自身をモンゴロイド人種と自己認識してこなかった。以下で、俺はアイデンティティの意味を提示する。
1章 アイデンティティ(鏡像自己)
自己認識:アイデンティティ(鏡像自己)とは、自己を映す鏡(外部自己)の中に存在する自己である。
俺らが俺ら自身を鏡に映す。そのあと、俺らはその鏡に映った対象をみる。その後、俺らはその対象を自己に一致させる。さらに、俺らは一致させた自己を俺ら自身と認識する。このようにして、俺らは俺ら自身のアイデンティティを “自然に” 形成する。
俺はアイデンティティを「鏡像自己」と呼んでいる。つまり、鏡像自己とは、自己を映す鏡の中に存在する自己である。自己を映す鏡は「外部自己」と便宜的に読んでも良いかもしれない。その鏡、つまり外部自己は実際の物理的な鏡でもあったり、宗教やパスポート、名前でもあるかもしれない。
また、アイデンティティは定義、または認識される必要がある。定義や認識は人間の意志によって実行される。だから、もし俺らが意志を持たないならば、その時、俺らはアイデンティティを定義、または認識できない。俺らはその認識された自己を「認識鏡像自己」と呼ぶ。略して、「認鏡自己(にんきょう・じこ)」。認鏡自己とは、自己によって認識された鏡像自己である。
2章 自然と人工
アイデンティティには、自然な鏡像自己と人工的な鏡像自己が存在する。自然な鏡像自己には、人種や小人種や民族や性別が存在する。人工的な鏡像自己には、宗教や国民やジェンダー、言語や名前が存在する。
1節 自然な鏡像自己
自然な鏡像自己とは、自然で生物的な鏡像自己である。例えば、人種は自然な鏡像自己である。俺が自己の顔を物理的な鏡に映す時、そこにはモンゴロイド人の顔が映る。そのあと、俺はその鏡の中の対象を俺自身に一致させる。さらに、俺はその一致を認識する。このようにして、俺は俺の鏡像自己を自然に形成する。つまり、俺は自己がモンゴロイド人種であると認識する。
2節 人工的な鏡像自己
人工的な鏡像自己とは、人工的な鏡像自己である。例えば、国民は人工的な鏡像自己である。俺が自己のパスポートなどを作成する時、そこには日本名や国籍という顔が映る。そのあと、俺はパスポートの中の日本名や国籍を俺自身に一致させる。さらに、俺はその一致を認識する。このようにして、俺は俺の人工的な鏡像自己を人工的に形成する。つまり、俺は自己が日本国民であり、日本名を持つと認識する。
3章 文明と自己認識
文明と自己認識:人種や民族や宗教や文明が異なるとき、アイデンティティに対する認識や定義も異なる。
大和民族は自己の文明や宗教を持たないので、彼らは上記の意味を把握できない。例えば、西洋では、自然な鏡像自己と人工な鏡像自己がしばしば対立する。その結果、ある白人が自己はユダヤ教徒か白人のどちらかである状態が発生する。ユダヤ教徒がユダヤ人という人種的な何かになってしまう。
一方、東洋文明では、俺らは自然な鏡像自己と人工的な鏡像自己を俺ら自身の中に両立させる。だから、俺らは俺ら自身がユダヤ教徒であることと東洋人であることを俺ら自身の内部で両立させることができる。
西洋文明における人工性はユダヤ人だけでなく、アメリカ人や英語人にも応用される。ユダヤ人はユダヤ教徒であり、アメリカ人はアメリカ国民であり、英語人は英語話者である。しかし、白人は自然を人工と混同する、または両立させれないので、彼らはユダヤ人やアメリカ人を唯一の鏡像自己であると定義してしまう。