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アプリケーション・ソフトウェア関係の日本語訳

 ここでは、俺はアプリケーション・ソフトを器官・電法を日本語訳する。器官電法には、様々な種類が存在する。以下で、俺は器官電法の種類の日本語訳を提示する。 1章 生産器官(製造器官)  取り決め 生産器官とは、電文書を生産する器官電法である。  生産と製造の違いは不明であり、農作物は生産され、車は製造される。対象の部品も人間によって作られる場合、その行為は製造である。一方、対象それ自体が自然の産物であるとき、それは人間によって生産される。 例えば、蚕の製造というと、人間が蚕という昆虫それ自体を遺伝的に作る印象を持つ。作成は個人が単発的に作る印象を持つ。生産や製造はある程度の規模を持ち、産業として成立しているように思える。文書作成ソフトは本来であれば、人間の視点から見ると、生産でなく作成である。 しかし、感覚と電子計算機の視点を優先して、文書生産と呼ぶ。 文書生産  文書生産とは、文書(電文書)を生産する器官である。具体的には、wordやpagesが存在する。 文式生産  文式生産とは、文式、または文書を生産する器官である...
2020.09.11
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データの日本語訳は電材、ファイルの日本語訳は電文書、フォルダの日本語訳は入れ物

1章 電材  日本語訳 データの日本語訳は「電材」である。  電子材料の略称が電材である。一般的な意味でのデータは情報材料の略称として情材、または情報材(情報材料)である。情報とは、加工されて、かつ組み合わせられた情材である。 2章 電文書  日本語訳 ファイルの日本語訳は電文書である。  電文書の略称は電書である。データファイルは電材電書である。略称は電材書である。プログラムファイルの日本語訳は動作電書である。 ファイルサイズの日本語訳は電書である。ファイル形式の日本語訳は電書種類である。略称は電書種である。拡張子の日本語訳は種類名である。 3章 入れ物  日本語訳 フォルダの日本語訳は入れ物である。  あるいは、電容れ(でんいれ)である。ディレクトリの日本語訳は「入れ物名」である。 おまけ 文式  日本語訳 コードの日本語訳は文式である。  ソースコードの日本語訳は裏文式である。裏にあるので、裏方のように見えない。これは数式のもじりである。俺がコードを見る時、まるで数学や物理における数式のようであ...
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プログラムの日本語訳は動作法

 以下で、俺はプログラムの日本語訳を提示する。特に、俺は電子計算機におけるプログラムの日本語訳を提示する。プログラムには、命令や計画が存在する。 来日した演奏者のプログラム変更のプログラムは「計画」である。運動会におけるプログラムは「行動手順」に近い。 なお、俺は電子計算機におけるプログラムが何であるかを知らない。そのプログラムに対する俺の印象とは、何か文字列が存在して、その文字列を実行すると、電計はその文字列に沿って動作(運動)する。 1章 動作法 日本語訳 プログラムの日本語訳は動作法である。  プログラムの日本語訳は動作法である。または、プログラムを法律に対応づけて、「動作律」と翻訳することができるかもしれない。なお、ソフトウェアの日本語訳は電法であったが、これはハードウェアと対応づけた。電法系と翻訳するとき、動作法をうまく対比される。 プログラミングは「動作作り」である。 なぜ命令でないか?  俺はプログラムを命令と翻訳したくない。なぜなら、プログラムが命令であるとき、ある人間がドローンやアレクサに「アレクサ、こっち...
2020.09.05
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OSの日本語訳は骨格、アプリケーションの日本語訳は器官

 以下で、俺はOSとアプリケーションの日本語訳を提示する。その時、俺はそれらに関する正確な説明行為でなく、家畜や家畜の脳の管理や統治を優先する。単語を与えるのは、家畜や家畜の脳を外部から管理、統治するためである。 1章 骨格  オペレーティングシステム・ソフトウェアの日本語訳は「骨格電法」である。その略称は骨電(こつでん)である。 俺は日本語と英語のOSの説明を読んでも、理解できなかった。一般人にとって、電計は管理されば良いので、俺らはこう考える。 OSとは、電法の一種であり、工場における基本的な動作を司る。例えば、ドアを開けるや電気の点滅や水道の整備などである。それらはほとんどの工場で観察されて、共通点が存在する。ただし、外国や工場の骨格が異なると、ドアの開閉に関する電法が異なる。 2章 器官  アプリケーションソフトウェアの日本語訳は「器官電法」である。その略称は器電(きでん)である。 アプリケーションには、様々な種類が存在して、ブラウザ(閲覧)やメールソフト(電子手紙)や文書作成ソフトや表計算ソフトが存在する...
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ハードウェアの日本語訳は電箱、ソフトウェアは電法

 ハードウェアとソフトウェアの適切な日本語訳は提示されていない。以下で、俺はその日本語訳の案を提示する。 なお、俺はコンピュータの日本語訳を機械計算機としたい。略称は機械と計算機の頭文字をとって、機計(きけい)である。電子計算機の略称は電計(でんけい)である。 1章 電箱(でんはこ) 日本語訳 ハードウェアの日本語訳は「電箱」である。  電箱の箱は箱物行政の箱に由来する。箱物の意味は、無意味な建物であり、それは建物だけではうまく機能しない。 同様に、電箱は電法がないと、箱物業績の箱物と同じであり、うまく機能しない。つまり、電箱だけでは、電子計算機の役割を果たせない。 電子計算機に無関係な場合、機械箱の略で「機箱(きはこ)」である。 2章 電法(でんほう) 日本語訳 ソフトウェアの日本語訳は「電法」である。  電法は電子的な法則の略称である。例えば、ハードウェアをコロシアムのような建物と仮定すると、ソフトウェアはその中の競技に対応する。正確には、競技者の行為を定める決まり(運動ルール)に対応する。 電箱(ハード...
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システムの日本語訳は「家」

 システムというカタカナ用語は頻繁に使用されてきた。しかし、俺らはシステムという単語を日本語訳に置き換えることができてこなかった。ここでは、俺はシステムというカタカナ用語を日本語へと置き換える。 1章 システムの日本語訳は「家」 日本語訳 システムの日本語訳は「家」である。  システムの日本語訳は「家」である。または、陣。一般的に。システムは制度や組織、系や体系、あるいはからくりや機械仕掛けと訳されてきた。 家が混同される場合、俺らは電家(電子的な家、でんか)や機械家(きかいか)呼ぶ。システム設計は家設計。日本語では、システムでないものもシステムと呼ばれているように思える。 その場合、俺らは異なる日本語訳を与える。 2章 家とは何であるか?  システム(system)は、相互に影響を及ぼしあう要素から構成される、まとまりや仕組みの全体。一般性の高い概念であるため、文脈に応じて系、体系、制度、方式、機構、組織といった多種の言葉に該当する。システ   A system is a group of interacting o...
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対象の3態〜存在と状態と運動〜

 対象の存在と状態と運動は物体の気体と液体と固体のように互いに関連する。ここでは、俺らは対象の存在と状態と運動の関連を見てみよう。 1:具体例(種子と芽と花)  対象を種子とする。種子を畑に存在させる時、種子の状態は変化する。その状態の変化は発芽という種子の運動を導く。 発芽する時、新たな対象(芽)が存在するようになる。対象が存在する時、その対象の状態が変化する。その状態が花という新たな対象を生む。 このように、存在は状態を変化させて、状態は運動を変化させる、運動は存在を変化させる。電場と磁場のように、存在と状態と運動は互いに互いを導く。 2:それぞれの性質の相互的な変化  現時点で、俺は良い例を思いつかない。対象はその存在と状態と運動、そして決まりによって捉えられる。だから、それらが変化する時、対象それ自体も変化する。f(存在x、状態y、運動z、決まりw)=対象。 存在⇄状態  俺らが宇宙空間の中に人間を強制的に存在させる時、その人間の状態は変化する。当然、その人間の存在は消失する。 状態⇄運動  例えば、ある...
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プラトンのイデア論の意味〜対象の存在と状態と運動、そして人間の知覚〜

 以下で、俺はプラトンのイデア論の意味を提示するつもりである。プラトンのイデア論は以下のように解釈されてきた。俺らの不完全な世界には、「完璧な三角形」は存在しない。 けれども、俺らは人間は三角形が何かを認識している。では、その完璧な三角形はどこに存在するのだろうか?この問いに対して、プラトンはその三角形はイデアに存在するのだと回答したらしい。 イデアに対する日本人の考えは大方こんな感じであるだろう。実際、プラトン自身もそのように解釈したのかもしれない。以下では、俺はプラトンのイデア論を非常に好意的に解釈しよう。 1:対象の存在と状態と運動  俺らがプラトンのイデア論を考える時、俺らは対象と存在と状態と運動を感覚的に把握する必要がある。対象それ自体は存在でない。では、対象とは何か?存在とは何か? 定義でなく、感覚的に把握しよう。俺らが対象を物体と仮定するとき、俺らは対象の存在や状態や運動を物体の気体と液体と固体に強制的に対応させよう。そして、俺らは対象の存在と状態と運動を対象の三態と便宜的に呼ぼう。 物体が固体と気体と液体に相互的に変化するように、対...
2020.08.14
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自由の意味〜自由は人間の本質か?〜

 西側白人の世界では、自由という概念が重視されてきた。その結果、言論の自由や学問の自由という概念がその自由から導かれてきた。この自由は自由意志の自由でもある。 しかし、日本人の大部分、学者ですら自由の「意味」を把握できてこなかったように思える。彼らは自由という概念になんとなく賛成してきた。彼らは自由の意味を把握できず、かつ自由を彼ら自身の人間の本質と認識してこなかった。 以下で、始めに、俺は自由の「意味」を俺なりに提示するつもりである。次に、俺は自由の背景を提示する。最後に、俺は自由が人間の本質でないこと、そして将来における人間の本質が何であるかを提示するつもりである。 1 自由の意味  自由や自由意志の意味には、「人間と動物を区別する」という意味と「国家の構成要素を定義する」という意味が存在する。つまり、もしある対象が自由意志を持った対象であるならば、その対象は人間である。または、人間とは、自由意志を持った対象(生物)が人間である(俺はこの文を嫌うけど)。 俺らがある対象が人間であるかを審判したい時、俺らはある対象の持つ自由意志から、その対象が人間であ...
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