俺が下記の動画を見たとき、俺は木原貴行の話し方に非常に驚いた。木原貴行は攻撃的でなく悪い人間でない。そして、彼は基本的に無害で真面目であるように見える。また、彼の外見は東洋人としては悪くない。
しかし、俺はこの種の人間が教師でかつ先生と呼ばれているのを見ると強烈な違和感を覚える。以下では、俺は木原貴行の話し方に関して思ったことを提示する。なお、俺は上記の動画の内容を全く理解できないということを述べておく。しかし、上記の動画は丁寧に、かつある程度一生懸命作られているように感じる。
木原貴行
人種及び小人種、民族
俺の認識 木原貴行の人種はモンゴロイド人種である。木原貴行の小人種は東洋小人種である。木原貴行の民族は大和民族である。
俺は彼の部族を知らない。もし木原貴行の先祖が東北地方に住んで来たならば、木原貴行の部族は東北部族である。木原貴行は日本国民である。
性質
俺の認識 木原貴行は何らかの精神疾患や知的障害を持っているように見える。
木原貴行は非常に知的な人間である。木原貴行は悪い人間でないように見える。しかし、もし上記の動画における木原貴行の話し方が演技やネタや緊張の結果でないならば、俺は木原貴行の病気を疑った。その病気は数学者や科学者に多いタイプであり、発達障害的やアスペルガー的であると感じた。俺は医者でないので、俺は彼の病気を診断することができない。
彼の話し方は漫画やアニメのように演技がかっている。彼の声はどこか上ずっている。悪くいうと、彼の話し方は笑える話し方で、不良やチンピラにいじめられる話し方である。俺は木原貴行を馬鹿にするつもりはないが、俺も彼の話し方を聞いた時、本当に面を食らって、笑ってしまった。
大和民族の科学者や数学者は他者に対する無関心さの結果であるのか、他者への優しさの結果であるが、この種の人間をみて何も言わない。その結果、この種の人間の奇妙さが誰にも指摘されないままになるように見える。
学者と先生
病人崇拝
俺の認識 俺は病人や障害者が先生と崇拝されることを文明的でない(未開)と認識する。
大和民族の科学者や数学者には、発達障害やアスペルガーのような病的な人間が存在する。そして、その種の病的な人間が「先生」と呼ばれて神様のように崇拝されている。これは特殊な能力を持つサヴァン症候群の患者やダウン症の子供が「神様の贈り物」として崇拝されていることに似ている。
木原貴行が数学者であることは全く問題がない。しかし、病的な人間や障害者が「先生、先生」と呼ばれて、崇拝されるような状態は非常に深刻な問題を引き起こす。実際、大和民族の科学者や数学者は「先生」と呼ばれ続けて、自分を神様か何かを勘違いしている。
これはダウン症児やそのほかの知的障害者が「神様の贈り物」として崇拝されて、勘違いしてしまったことに似ている。個人的には、たとえ俺の子供や孫が数学を木原貴行から教わるとしても、俺はその状態が悪いと判断しない。しかし、もし俺の子供たちが木原貴行のような人物を「先生」と呼んで崇拝しなければいけないならば、俺は強烈な不快感を覚える。木原貴行さんで良い。
変人
俺の認識 一般人は学者を何らかの知的障害者や精神疾患者であると感じている。しかし、それを直接的に主張すると、(東洋文明的には)失礼であるので、「変人」という単語に置き換える。
一般人は学者を「変人」と呼ぶ。学者は病気のためか、変人という単語を真に受けて、自己を変人と感じように見える。そして、彼らは偉人の変人小話を真に受けて、変人のように振舞おうとする。
しかし、一般人が主張したいのは彼らが変人でなく、「(少し)病的」であることである。正常な人間は医者でもないのに、他人に対して「君は病気っぽいですね」とは主張しない。なぜなら、その種の行為は非常に失礼である。
学者は変人という単語を真に受けて、変人を病人に置き換えられないように見える。親切心で彼らに彼らの病気性をそれとなく提示すると、彼らは逆ギレして騒いだり喚いたりする。だから、一般人は気を使って、変人という単語を使用している。