この電飛では、俺らは父のヌシと息子のヌシが連続的でなく離散的であると宗教的に把握した。けれども、俺らは父の遺伝子と息子の遺伝子は遺伝的に連続していると知覚している。だから、俺らは父のヌシと息子のヌシを遺伝的な連続性のように連続させたい。
以下では、俺は父のヌシと息子のヌシの連続性を宗教的に把握する。結婚では、俺らは結婚を通して俺らのヌシと俺らの系統の人間性を相手へと注いだ。俺らはこの信仰を利用して、俺らは父のヌシを息子のヌシへと連続的に接続する。正当化はまだ考えていない。
父から息子へのヌシの授与
父から息子へのヌシの授与
父から息子へのヌシの授与:父は自己のヌシを息子へと宗教的に授けたと信仰する。
父は自己のヌシを息子へと宗教的に授けたと信仰する。このとき、俺らは父のヌシと息子のヌシは遺伝子のように何らかのつながり(父のヌシと息子のヌシの連結性、または一貫性)を持っていると信仰する。遺伝子との違いとは、父のヌシは息子のヌシと連続していないことである。
対応
対応:もし俺らのヌシが物質や蟲に一意的に唯一に対応するならば、俺らは上記の父から息子へのヌシの授与を信仰する必要はない。
もし俺らのヌシが物質や蟲に一意的に唯一に対応するならば、俺らは上記の父から息子へのヌシの授与を信仰する必要はない。なぜなら、そのとき、父と息子は遺伝的に連続的、かつ連結的であるので、父のヌシと息子のヌシもまた(連続的でないが)連結していると知覚、または認識することができる。