父のヌシと息子のヌシの連続性〜父のヌシと息子のヌシは連続的でなく、離散的である。〜

ヌシ
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 この宗教では、俺らはホモ・サピエンスの雄の一部の肉体のみにヌシ(運転手)の存在を信仰する。俺らは運転手の存在をホモ・サピエンスの雌の肉体の中に信仰しない。このとき、俺らは父から息子へと運転手の連続性に関する問題を抱える。

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父のヌシと息子のヌシの連続性

 俺らの信仰:父のヌシと息子のヌシは連続的でなく、離散的である。

 父のヌシと息子のヌシは連続的でなく、離散的である。ただし、もし物質的世界が連続的であるならば、父のヌシと息子のヌシは遺伝的に、物質的には連続している。言い換えると、父のY染色体は息子へと連続的に伝達される。

父の肉体には、ヌシ(運転手)が存在している。けれども、父の精子には、ホムンクルスのような小人のヌシ(運転手)は存在していない。ホモ・サピエンスの雌の肉体(畑)の中で、精子と卵子が結合すると、息子や娘が発生して、雌の肉体(畑)から生まれてくる。

息子が生まれた場合、息子の成長に伴い、運転手(ヌシ)が成人した息子の肉体の中にはっきりと存在し始める。この経過を運転手(ヌシ)の観点から眺めると、父の運転手(ヌシ)→父の精子→息子の出産→成人時の息子の運転手(ヌシ)の発生。「→父の精子→息子の出産→」の部分には、運転手(ヌシ)が存在していない。

 まとめると、父から息子への運転手は連続的でなく、離散的である。一般的に、先祖から子孫は連続的につながっているように感じる。けれども、俺らはヌシ(運転手)を主体(自己)と信仰するとき、先祖から子孫への何らかの連続性を把握することができない。

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