以下では、俺らは殺人行為に関する死生観を提示するつもりである。正確には、俺らはホモ・サピエンスと呼ばれる対象の “破壊行為” に関する俺らの信仰を提示するつもりである。
正当化はあとで実行する。
殺人行為に関する死生観
殺人行為に関する死生観
殺人行為に関する死生観:俺らは「ホモ・サピエンスと呼ばれる個体は自然法則に沿って自動的に(勝手に)崩壊する(死ぬ)」と認識する。
俺らは「ホモ・サピエンスと呼ばれる個体は自然法則に沿って自動的に(勝手に)崩壊する(死ぬ)」と認識する。言い換えると、俺らは「創造主がホモ・サピエンスと呼ばれる対象の肉体をわざわざ勝手に崩壊するように創造したのに、俺らがわざわざ破壊する必要はない」と信仰する。もしホモ・サピエンスと呼ばれる対象の肉体が永遠に崩壊しないならば、そのとき、俺らはその対象を俺ら自身で破壊する必要があるだろう。
けれども、生物のほとんどは自動的に死ぬ運命である。もし相手が損害を俺らに将来的に与えないならば、俺らが費用をかけて、彼らを俺ら自身で破壊する必要はないと信仰する。愚かな人々は憎い相手を彼ら自身で破壊しようとする。けれども、この種の行為こそが愚かである。
俺らは自動的に死ぬ運命にある対象を俺ら自身で破壊する必要はない。その費用は無駄である。俺らは相手が損害を俺らに将来的に与えないような家を創造して、相手を自動的な崩壊にうまく追いやる必要がある。口語的に言うならば、ホモ・サピエンスと呼ばれる個体は勝手に死ぬので、損害を俺らに永遠に与えないように束縛すれば十分である。
繁殖の防止
繁殖の防止:俺らは対象の繁殖を防止することを破壊行為に優先させる。
俺らは対象の繁殖を防止することを破壊行為に優先させる。最も重要なことは対象の破壊でなく、対象の繁殖の防止である。俺らは俺らの費用を繁殖の防止に使用する。
上記でも述べたが、対象の崩壊は自動的である一方、繁殖にも自動的な部分が存在する。この自動的な部分を破壊することができるならば、そのとき、対象の崩壊も自動的である。自動的に壊れるものを俺ら自身で壊す必要はない。けれども、自動的に生まれるものを防止する必要はある。