今年7月の人事で、金融庁に初の理系出身長官が誕生した。1985年に大蔵(財務)省に入省した中島淳一氏だ。東大工学部在学時は計数工学科の研究室に所属し、コンピューターで図形処理するプログラミングを研究していたという。霞が関のエリート中のエリートである財務省では東大法学部卒が幅を利かし、理系出身者は大仰な言い方ながら“迫害”されてきた歴史がある。そんな中で誕生した「初の理系長官」。地殻変動が起こっているのだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/490953c5715870cca32db1beeeed38fe718253b6?page=1
上記の速報に対して、大和民族の一部は文系でなく理系が採用されたことを喜んでいるように見える。個人的にも、俺は文系よりも理系を高く評価する。けれども、鳩山元総理を想像すればわかるように、理系にも弱点や注意点がある。
以下では、俺は中島淳一に関する予想される問題点を提示するつもりである。なお、俺は金融庁長官が何をするのかを知らない。また、俺は大臣と金融庁長官の違いすらよくわかっていないと述べておく。
また、俺は財務省と金融庁が異なるものであるとさっき知った。俺は省と庁の違いもよく理解していない。
問題点
問題点
問題点 中島淳一は自己のx系統の富の規範を持っていないように見える。
正確には、中島淳一はx宗教が与える自己のx系統の富の規範を持っていないように見える。例えば、白人はユダヤ教系統の富の規範やキリスト教系統の富の規範を持っている。そして、彼らはユダヤ教系統の富の規範やキリスト教系統の富の規範に沿って、資本主義や共産主義、日常的には経済政策を実行してきた。
しかし、俺は中島淳一は自己の富の規範を持っていないように思える。大和民族の科学者や数学者は理系が首長になると、彼らはひどく喜ぶ。しかし、もし彼らが自己の富の規範を持っていないならば、たとえ彼らが数学や科学に長けていたとしても、彼らは日本国の富を正しく管理・統治することができないだろう。
経験的には、科学の世界や数学の世界には、「善悪(レッドカード)」は存在しない。けれども、俺らは国家システムを管理・統治するとき、俺らはサッカーという運動競技(システム)にレッドカードが必要となるように、俺らは自己の善悪を必要とする。その善悪はどんな経済政策や富の規範が正当であるかを定める。
しかし、金融庁長官も庁の大臣も自己のx系統の富の規範を持っていない。だから、俺の予想では、たとえ中島淳一が数学や科学に長けているとしても、中島淳一は自己の富の規範を持っていないので、中島淳一は富を彼の職務の範囲ですらきちんと取り扱うことができないかもしれない。