「落ち着いて、落ち着いて……」。震える手で聖火を引き継ぎながら、私は自分に言い聞かせていた。小さな炎は幾多の試練をくぐり抜けて、ここまでたどり着いたのだ。数知れない人たちの手を渡ってきただけではない。全世界が団結し、実現不可能と思われた東京五輪を開催にこぎ着けた。聖火台への階段を慎重に上りながら、私は世界の目が自分に注がれていると感じた。この炎は人々の心に希望をともす。無観客ではあっても、皆が見…
https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH10B3R0Q1A810C2000000/
俺は上記の記事に強く反対する。以下では、俺は上記の記事に対する応答を提示する。H.S. Kim(xcvbnm67890)は上記の記事に好意的であるが、彼は朝鮮民族であり、日本列島の上の原住民を嫌っているのだろう(Kimは自分を “日本人” と嘘ついてる)。
なお、大坂なおみの寄稿は日本国への感謝(アメリカ的なお世辞)も含まれているだろう。なぜなら、彼女は悪い人間でなく、優しい心を持っている。ここでは、俺らはこの種の “優しさ” を考慮しない。
大坂なおみ
俺の認識
俺の認識 大坂なおみは日本人でなく、日本国民である。
日本国民とは、日本国籍の所有者である。もし彼女が日本国籍を所有するならば、彼女は日本国民である。それに対して、日本人とは大和民族の要素である。大和民族は東洋小人種の部分集合である。
大坂なおみの人種はモンゴロイド人種とネグロイド人種の中間種であり、かつ父系である。俺はこの種の中間種を “メラネシア的中間種” と呼ぶ。トランプやオバマがイヌイット人やアパッチ人でないように、大坂なおみは日本人(和人や大和人?)でない。これは大和民族の北海道民が必ずしも “アイヌ人” でないことに似ている。
また、大坂なおみは軽々しく日本人(日本国民)という単語を英語で使用しているが、この使用は北海道民がアイヌ人と言っているようなものである。さらに、彼女は日本人としてと主張するが、彼女は東洋地域における原住民と彼らの言葉で意思疎通できない。加えて、おそらく宗教も異なるし、彼女の視点はアメリカ国民であるのだろう。さらに、俺らは彼女と歴史観すら共有していない。
俺の認識
俺の認識 大坂なおみは土着の有色人の原住民を無意識的に悪魔化している。
彼女の寄稿の一部を見ると、彼女はまるで日本列島の上の原住民が閉鎖的であると言っているように見える。そして、彼女は日本列島の上の原住民はアメリカと比較すると遅れていて、先進的でないと言っている。
なぜなら、アメリカには、黒人やアジア人、その他のいろんな人種が存在するのに、日本国はそうでない。なぜなら、日本列島の上の原住民は遅れているからである。彼女はそのように言っているように見える。上記では、”新しい風” という単語が使用されている。
この風が土着の原住民を隅に追いやるものであるならば、彼女は原住民の抹殺に関して責任を負う必要がある。土着の原住民が代表に選択されず、そうでない原住民が代表に選択されるならば、その状態は植民地や奴隷地の状態である。サブサハラから白人が台頭したり、現在のアメリカ合衆国ではアメリカ先住民がなぜか代表でない。この種の状態はモンゴロイド人種にとって悪く賛美される状態でない。
大和民族
俺の認識
俺の認識 大和民族は人種も民族も認識していない。
大和民族は人種や民族を認識していないので、彼らは誰が日本人であるのかをその場のノリや雰囲気で決定する。正常な人間は大坂なおみを人種的な意味で日本人と認識していない。なぜなら、人々は彼女の半分がネグロイド人種、米国的には「黒人」と認識している。
けれども、大和民族は大坂なおみを「日本人」と呼ぶ。日本人は朝鮮人や漢人と人種的に近い。次に、日本人は東南アジア人やアメリカ先住民と遺伝的に近い。けれども、大和民族はこんな簡単なことすら認識できない。菊池誠や牧野淳一郎や大栗博司や村山斉のような学者ですら人種や民族それ自体を認識していない。
この性質は大和民族の雌やフィリピン人やインドネシア人のような東南アジア人と同じである。彼らもまた人種や民族それ自体を認識できていない。けれども、彼らはその状態を先進的であると感じているように見える。大和民族は人種も民族も血統もめちゃくちゃであり、土人の乱行状態である。
俺の認識
俺の認識 大和民族は自己の国家それ自体を認識してない。
言い換えると、大和民族は自己の国家(日本国)と非自己の国家(米国)の違いを認識していない。これは上記のH.S. Kim(xcvbnm67890)も大坂なおみもそうである。東京五輪では、大坂なおみが最終的な走者として選択された。
けれども、彼女は日本列島の上の原住民と彼らの言語で意思疎通できない。加えて、彼女は米国的な視点及び歴史観を持っている。さらに、彼女はキリスト教徒であるのか、仏教徒であるのか、儒教徒であるのかも不明である。大坂なおみは人種も民族も部族も言語も宗教も歴史も視点も日本列島の上の原住民と異なるにも関わらず、彼女が日本国の代表として選択された。
この事実は大和民族が人種も民族も部族も言語も宗教も歴史も、そして自己の国家すら認識していないことを暗示する。例えると、アラビア語を話すアボリジニが米国の代表として選択された程度には奇妙である。この時、誰もそのアボリジニと外交できないように、東洋地域における東洋人は誰も大坂なおみと外交できない。なぜなら、何も共有していない。大和民族は人種も民族も部族も言語も宗教も歴史も視点も異なると、同じ社会や同じ国家、同じ文明で一緒に競技できないことを認識できない。なぜなら、彼らは文明が何であるのか、国家が何であるのかを認識していない。
俺の認識
俺の認識 大和民族は彼ら自身が植民地(搾取地)や人種浄化(民族浄化)されていることを認識することができない。
日本列島で、ネグロイド人種やその中間種が増加することは、アメリカ合衆国に植民地にされていることである。けれども、彼らはその状態が先進的であると感じているように見える。つまり、彼らは彼ら自身が閉鎖的な朝鮮や中国と異なり、開放的であるので、大坂なおみのような中間種を代表として選出することができていると感じている。
けれどもん、現在の日本国のその状態は、大和民族のアメリカ先住民化(原住民化)である。日本列島がアメリカ合衆国のような状態になることは先進的でなく、アメリカ合衆国の植民地化(奴隷化)である。けれども、大和民族は文明的にも国家的にも強姦されることを喜んでいるように見える。これは戦後のパンパンや白人に強姦されて喜ぶフィリピン人と同じである。なぜなら、その時、彼らは白人の遺伝子に乞食することができて、彼らはちやほやされると感じる。