有馬哲夫とこたママ、そして平山幸子が日本国における政治活動に関してもめている。彼らは類似した政治信条を持っているのと考えられていた。しかし、慰安婦や南京事件に関する政治信条の違いから、彼らはいわゆる「うちゲバ」に陥った。
この種の状況は政治信条に関係なく、大和民族の団体や組織に頻繁に観察される。だから、これは右翼や保守だけでなく、左翼やリベラルにも応用される。一般的に、大和民族はまともな政治団体も社会組織を形成できないように見える。
以下では、俺は有馬哲夫とこたママに関する組織的な問題を提示するつもりである。この問題は一般化されるだろう。俺は有馬哲夫周りの問題を見るとき、俺は関東軍の暴走を思い出した。
組織的問題点
指揮系統の不明瞭さ
俺の認識 大和民族は不安や応答義務を隠蔽したいので、彼らはちゃんとした指揮系統を形成しない。
こたママと平山幸子は有馬哲夫を先生、先生と煽てて、彼女ら自身の想い通りにしようとする。例えば、こたママと平山幸子のどちらか、または両方は南京事件それ自体を否定したいように見える。だから、こたママと平山幸子は有馬哲夫を先生と煽てて、南京事件それ自体を有馬に否定させようとする。
しかし、こたママと平山幸子は有馬哲夫の指示に沿って、彼女ら自身の社会運動を実行しようとしない。言い換えると、こたママと平山幸子は有馬を先生と煽てるが、有馬の指示に沿って動く気が全くないように見える。この種の状態は大和民族に特有である。彼らは指揮系統の最高位を下(現場)から動かそうとする。しかし、この現場は最高位の指示に全く従わない。さらに、この現場は何かあると、責任を指揮系統の最高位にとってもらおうとする。
つまり、こたママと平山幸子は有馬哲夫を先生、先生と煽てて、南京事件それ自体を否定させようとする。しかし、たとえ有馬哲夫が南京事件それ自体を否定するなと命令するとしても、こたママと平山幸子はその命令に従うつもりはない。さらに、たとえ有馬哲夫が南京事件それ自体を否定して、社会的な事故が発生して、何らかの応答義務が生じるとしても、こたママと平山幸子はその事故の応答義務を彼女ら自身で果たすつもりがないように見える。
一般的に、こたママと平山幸子だけでなく、大和民族は先生を煽てて、自分の考えを先生に言わせようとするが、その先生に指示に従わず、事故の応答義務だけは先生にとってもらいたい。彼らはこの種の考えを持っているように見える。
宗教の欠如
俺の認識 大和民族の政治活動はどの宗教、またはどの文明系統であるのかが不明である。
有馬哲夫とこたママと平山幸子は何となく反中国で感情的につながっているだけであるように見える。しかし、彼らが政治活動を実行するとき、彼らはその政治活動がキリスト教系統の政治活動であるんか、儒教系統の政治活動であるのかを明確にする必要がある。悪くいうと、有馬哲夫とこたママと平山幸子は何となく中国、もっと言うと中国共産党が嫌いであるので、寄り添って悪口(批判)を言っているだけに見える。
一般的に、大和民族は自己の宗教も自己の文明的な所属も明らかにしない。にも関わらず、彼らはその隠蔽的な状態で、政治活動を実行しようとするので、彼らの政治活動は常に迷走して、変な方向へと向かっていく。西側白人の政治活動の大部分はキリスト教系統の政治活動であったり、ユダヤ教系統の政治活動であったりする。そして、その白人は彼らの文明的な所属を西洋文明と明確化して、かつ彼らの宗教も宗派まで明確化している。
21世紀における西洋文明は迷走しているが、影響力(負の?)があるのは政治活動の宗教的、かつ文明的な系統が明確化されているからである。これは中国にも言えて、中国の政治活動は宗教は不明であるが、東洋文明系統の政治活動であるように見える。一方、大和民族の政治活動は「〜ちゃん嫌い、あいつなんかムカつかね?」のように、単なる感情で集まっているだけであるように見える。
解決案
指揮系統の明確化
俺の認識 指揮系統を明確化せよ。
つまり、大和民族は誰が命令を出す主体であるのかを明確にする必要がある。次に、現場はその命令にきちんと従う必要がある。今回の件では、もしこたママと平山幸子が有馬哲夫を指揮系統の最高位(先生)と認識するならば、こたママと平山幸子は有馬哲夫の命令に沿って、南京事件を否定すべきでない。
その代わり、もし何らかの問題(社会的な事故)が生じた場合、その事故の応答義務はこたママと平山幸子でなく有馬哲夫に生じる。「指揮系統を明確化せよ」というのは、理論物理や純粋数学から見ると、本当に簡単で、3秒で理解できるように見える。けれども、大和民族の9割はこんな簡単なことすら実行することができないだろう。特に、政治活動や社会活動は労働と異なり、お金や生活が関係しないので、より高度な社会形成能力が要求される。
大和民族は先生を煽てて、自分の想い通りにしようとするが、彼らは彼ら自身の真理を主張して、先生の命令に沿って運動しない。しかし、彼らは彼らの行為による社会的な事故の応答義務をその先生にとってもらおうとする。彼らはこんな組織しか形成することができないだろう。