【11月20日 AFP】米ウィスコンシン州で昨年、警察の暴力に反対する人々が行っていた抗議デモの現場で男性2人を射殺し、1人を負傷させたとして、殺人などの罪に問われたカイル・リッテンハウス(Kyle Rittenhouse)被告(18)に対し、陪審は19日、無罪評決を言い渡した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3376870
上記の西側白人が彼の行為に関して無罪になったらしい。大和民族の一部はその無罪をなぜか喜んでいる。以下では、俺は大和民族の行為に対する違和感を提示する。
裁判と宗教
宗教
俺の認識 もし大和民族がキリスト教徒でないならば、たとえカイル・リッテンハウスがキリスト教系統の法制度で無罪になったとしても、彼らは喜ぶのは宗教的に善でない。
まず、罪という考えはキリスト教系統の考えである。加えて、米国の法制度はキリスト教系統の法制度である。たとえ東洋文明における東洋人がカイル・リッテンハウスが無罪になろうが、有罪になろうが、彼らはキリスト教徒でないので、彼らには関係ない。
大和民族の一部はカイル・リッテンハウスの無罪を喜んでいるが、俺の印象では、彼らはキリスト教徒ですらないだろう。東洋人がキリスト教系統の審判に介入することは宗教的に悪である。この行為は卓球選手がサッカー選手の行為の善悪に関して介入するような行為である。
欧州人
俺の認識 アメリカ大陸のアメリカ先住民でなく、欧州人がアメリカ大陸でキリスト教系統の法を実行していることは悪である。
アメリカ大陸のアメリカ先住民でなく、欧州人がアメリカ大陸でキリスト教系統の法を実行していることは悪である。もし欧州人がキリスト教系統の法制を欧州で実行したならば、彼らの行為は人種的にも宗教的にも善であり、その善性は正当化される。けれども、カイル・リッテンハウスは欧州人であり、イヌイットやアメリカ先住民でない。
そもそも、欧州人がアメリカ大陸でキリスト教系統の裁判を実行している状態それ自体が白人帝国主義の継続である。