俺らについて

0.0(目的)
以下では、創造主は民族宗教「俺らについて」を創造することを目的とする。

0.1(名称)
彼はこの宗教の名前を「俺らについて」とこの宗教系統の約束で約束する。彼はその略称を「俺ら」と同様に約束する。彼は信仰者の名前を「俺教徒(orekyoto)」と約束する。彼は宗教書の名前を「俺書(oresho)」と約束する。

0.2(宗教)
彼が認識するのは宗教はx教系統の社会システム(人間競技系や世界系)である。例えると、宗教はサッカーや野球やバスケのような競技系である。彼が認識するのは、宗教の目的は自己のx教系統の社会を形成することである。宗教はx教系統の人間社会を形成する原因それ自体である。彼が約束するのは俺らは部族宗教、または民族宗教である。この宗教は俺系統の人間性を俺教徒に授ける。俺系統の人間性には、俺系統の世界認識や善悪や判断、俺系統の自己や目的、俺系統の性や富や契約、俺系統の死生観や刑罰が少なくとも存在する。

1.0 世界認識

1.0(背景)
民族宗教や神話はある系統の世界認識や信仰をそれぞれの民に授ける。例えば、ユダヤ教系統の世界認識や信仰では、この世界は創造主ヤハウェによって創造された。この宗教でも、彼は世界に対する俺系統の認識を信仰者に授ける。なお、近代科学は世界に対する知覚を授けるが、世界に対する認識を授けない。例えば、たとえある主体がサピエンスの遺伝子を調べるとしても、その主体は人種それ自体も誰が大和民族であるのかも知ることができない。なぜなら、人種や民族は遺伝子や物質を基盤として人間によって認識される。そして、ある種の宗教が認識やその正当性を与える。

1.1(俺系統の世界認識)
彼は認識するまたは信仰するのは この世界には、物質と意識(蟲)と運転手(ヌシ)の3種類の何かが存在する。例えると、この世界は車体(物質)とその中の立体映像(意識)と運転手(自己)からなっている。彼はそれぞれの世界を物質世界と意識世界と運転手世界と便宜的に呼ぶ。ただ、”存在する”の意味は現時点では不明である。

1.2(物質)
彼は物質を検出する。彼は認識するのは、物質は自動的に運動する。彼は仮定するのは、物質は機械意志、または自動意志を持つと仮定する。

1.3(意識)
彼は自己の意識を知覚する。彼は他者の意識を憶測する、または信仰する。彼が認識するのは、もしある主体が意識を持つならば、その主体は完全に自動的には運動しない。彼が仮定するのは、意識を持つ主体、または意識を持つ物体は自由意志を持つ。彼が信仰するのは、生き物は物質とその物質に対応する意識の組みである。彼が仮定するのは、もしある種の物質(肉体)が存在するならば、その物質(肉体)に対応する意識が存在する。例えば、ハエの視界(視意識や視蟲)はサピエンスの視界と異なる。

1.4(運転手)
彼は自己の運転手を把握する、または信仰する。彼は他者の運転手を憶測する、または信仰する。彼が信仰するのは、もしある主体が目的的に運動するならば、その主体は運転手を持つ、またはその主体が運転手である。彼が仮定するのは、もしある主体が運転手を持つならば、その主体は目的意志を持つ。彼は目的意志を実現意志としばしば言い換える。また、彼が仮定するのは、もしある種の意識が存在するならば、その種の意識に対応する運転手が存在する。この時、もしハエの意識がサピエンスの意識と異なるならば、ハエの運転手はサピエンスの運転手と異なる。さらに、彼が仮定するのは、もしある運転手がある種の意識に対応しないならば、ハエの運転手がサピエンスの運転手と異なるのかは不明である。

1.5(分岐)
彼は信仰するのは意識は物質から分岐する。彼は信仰するのは運転手は意識から分岐する。または、彼は信仰するのは意識は物質に対応する。彼は信仰するのは運転手は意識に対応する。あるいは、彼は信仰するのは意識は物質に関係する。彼は信仰するのは運転手は意識に関係する。彼は信仰するのは、もし意識が物質から分岐するならば、意識を持つ主体は物質世界における法則に完全には従わない。彼は信仰するのは、もし運転手が意識から分岐するならば、運転手を持つ主体は物質世界及び意識世界における法則に完全には従わない。

1.6(時間)
彼が信仰するのは、意識は物質から今分岐する。彼が信仰するのは、運転手は意識から今分岐する。口語的には、世界は今現在創造されている。彼は過去の世界を現在の世界から推論する。彼は未来の世界を現在の世界から推論する。彼は認識するのは、現在の世界のみが存在する。

1.7(創造主)
彼は仮定するのは物質世界の創造主が存在する。その創造主は物質世界という世界系を創造した。その世界系は空間と物質と法則の組みである。彼は仮定するのは意識世界の創造主が存在する。その創造主は意識世界という完全でない世界系を創造した。その世界系は空間(意識がすむ世界)と意識と法則の組みである。ただし、意識の法則は不明である。彼は仮定するのは運転手世界の創造主が存在する。その創造主は運転手世界という不完全な世界系を創造した。その世界系は空間(運転手がすむ世界)と物質と法則の組みである。ただし、運転手の法則は不明である。それは人工的に創造されるかもしれない。また、世界系を創造することは物質や意識や運転手それ自体を創造することと異なるかもしれない。

1.8(物語)
彼は分岐を使用して、世界に対する次のような物語(narrative)を便宜的に提示する。物質が無から今分岐した。または、創造主が物質を無から分岐させた。この時、物質の全ては自動的に運動した。そのあと、意識が物質から今分岐した。または、創造主が意識を物質から分岐させた。意識を持つ物体は自由意志を持ち、非自動的に運動するようになった。この時、意識を持つ物体は物質世界における奴隷的で決定的な法則から少し解放された。さらに、運転手が意識から今分岐した。または、創造主が運転手を意識から分岐させた。運転手を持つ物体、または運転手それ自体は目的意志を持ち、目的的に運動するようになった。この時、運転手を持つ物体は善悪を持ち、目的的な世界を創造することができるようになった。彼の先祖、または創造主は物質を無から分岐させて、意識を物質から分岐させて、運転手を意識から分岐させた。

2.0 自己

図2

2.0(背景)
民族宗教や神話は自己をそれぞれの民に授ける。例えば、ユダヤ教系統の信仰では、誰が”ユダヤ人(ユダヤ教徒)”であるのかを定める。同様に、多くの民族信仰でも、誰がその民族であるのかを定める。日本神話は誰が大和民族であるのかを定める。道教は誰が漢民族であるのかを定める。また、仏教のような文明宗教は自己とは何であるのかを定める。例えば、仏教には、無我がある、そこでは自己は存在しないという自己のあり方が提示されるらしい。この宗教においても、彼は何が自己であるのかを俺教徒に授ける。

2.1(俺系統の自己)
彼は自己の運転手を自己と信仰する。彼は自己の意識を自己と信仰する。彼は自己の肉体を自己と信仰する。仏教では、自己は存在しないとされているらしい。しかし、この宗教では、彼は自己それ自体を把握する。ただし、自己の意識の中には、この宗教における自己は存在しない。なぜなら、運転手は意識世界に所属していない。だから、たとえ彼が彼自身の自己を意識の中に探すとしても、彼は彼の自己を発見することができない。

2.2(人種的な自己)
大和民族の一部は彼自身を西欧白人と誤認識している。日本モンゴロイド人の雌は彼女自身を西欧白人と夫と誤認識している。そこで、彼は人種的な自己を俺教徒に授ける。この人種的な自己は人種的な背乗りや民族的な背乗りを防止する。彼はモンゴロイド人種とコーカサス人種とネグロイド人種とオーストラロイド人種を認識する。自己の人種はモンゴロイド人種である。自己の小人種は古モンゴロイド人種に寄った新モンゴロイド人種である。自己の民族、または小小人種は大和民族である。

2.3(文明的な自己)
大和民族は文明的な自己を彼ら自身で形成することができない。そのため、彼らは彼ら自身が西欧文明に所属しているのか、東洋文明に所属しているのかを認識していない。彼らは西欧キリスト教文明の都合の良い部分のみを自己と感じているように見える。そこで、この宗教では、彼は文明的な自己を俺教徒に授ける。彼は俺系統の人間性を自己の人間性と認識する、かつ約束する。彼は東洋文明を自己の文明と認識する。彼は俺らについてを自己の民族宗教と認識する、かつ約束する。彼は儒教を東洋文明における自己の文明宗教と認識する、かつ約束する。この時、彼は国民国家や日本国憲法、キリスト教系統の法体系や民主制を自己と認識しない。

2.4(自己の表現)
正確には、世界認識はx教系統の世界認識である。自己はx教系統の自己である。同様に、善悪はx教系統の善悪である。彼は上記の世界認識を俺系統の世界認識と認識する。彼は上記の自己を俺系統の自己を認識する。そして、彼はその認識とその自己を彼自身の自己の認識及び自己を認識する。彼は俺系統の何かを自己と認識する。

3.0 目的

3.0(目的)
物質世界には、目的が存在しない。もしある主体が自己の社会を形成するならば、その主体は目的を創造する。例えば、サッカーという競技系では、選手は球をゴールへと入れる。これが目的である。この時、競技系が生じて、正常に機能する。仏教では、悟りを開くことが仏教系統の目的であるように見える。同様に、この宗教では、彼は俺系統の目的を提示する。

3.1(俺系統の目的)
彼は次の俺系統の目的を信仰する、かつ約束する。1番目には、彼及び彼の子孫及び俺教徒は彼の運転手、つまり自己を不死及び永遠の自己を獲得するように復活させる。彼らは俺教徒の運転手を不死及び永遠の自己を獲得するように復活させる。2番目には、彼は物質と意識と運転手の世界からさらに分岐する。または、彼は新たな世界を創造する。あるいは、彼はより分岐された新たな世界を創造する。3番目には、彼は運転手でない自己を創造する。彼が信仰するのは、もし彼がより分岐するならば、彼は運転手でない自己を創造する。彼が信仰するのは、運転手が自己であると感じるのは、それがより分岐された存在であるからである。

4.0 善悪

4.0(善悪)
物質世界には、善悪が存在しない。もしある主体が自己の社会を形成するならば、その主体は善悪を創造する。例えば、サッカーという競技系では、選手は球をゴールへと入れることが善である。一方、選手が競技系を破壊する行為やサッカーの目的に反する行為が悪である。キリスト教では、平等が善である。なぜなら、イエス・キリストが世界を平等になるように創造した。だから、キリスト教徒はキリストの目的に沿って、平等を彼らの意志で実現することが善である。つまり、キリストの目的にそうことが善である、かつその目的に反することが悪である。この宗教でも、彼は俺系統の善悪を俺系統の目的で創造する。そして、彼はその善悪を俺教徒に授ける。

4.1(俺系統の善悪)
彼は俺系統の目的に沿うことを善と判断する。彼は俺系統の目的に反することを悪と判断する。つまり、彼は分岐に沿うことを善と判断する。彼は分岐に反することを悪と判断する。ただし、世界が実際に分岐しているのかは信仰の産物である。だから、もし世界が分岐していないならば、その時、彼は物質や動物からより離れていることを善と判断する、かつ物質や動物に近いことを悪と判断する。また、彼は善悪二元論でなく、善悪一体(陰陽思想)を採用する。もしある相手が悪を彼に実行するならば、彼はより悪をその相手に実行する。

5.0 死生観

5.0(死生観)
物質世界には、死生観が存在しない。もしある主体が自己の社会を形成するならば、その主体は死生観を創造する。なぜなら、科学的には、サピエンスやx教系統の人間は死んだら終わりである。だから、もしあるサピエンスの集団や人間集団が自己の正しい死生観を持たないならば、彼らは持続する社会を形成しようとしない。そこで、彼は俺系統の死生観を創造する。彼はその死生観を俺教徒に授ける。日常的には、死生観は安楽死に関する議論に関係する。キリスト教と儒教では、死生観が互いに異なる。だから、儒教徒をキリスト教系統の死生観で安楽死させることは殺人に近い。

5.1(俺系統の死生観)
彼は彼の自己の永続性を信仰する。なぜなら、彼は彼の運転手の復活を信仰する。この宗教では、彼は生と死を次のように信仰する。彼が生きているとは、彼の運転手が意識から分岐していることである。彼が生きているとは、彼の運転手が存在していることである。彼が死んでいるとは、彼の運転手が意識から永続的に分岐しなくなることである。彼が死んでいるとは、彼の運転手が永続的に存在しなくなることである。彼が睡眠するとは、彼の運転手が意識から分岐されなくなる、かつ俺の意識が肉体から分岐されなくなることである。彼が睡眠しているとは、彼が自動的に生きている状態になることである。彼が睡眠しているとは、自動的に生きている(状態)になる可能性がある状態である。

6.0 富

図3

6.0(富)
現代社会では、資本主義が流行している。資本主義はキリスト教プロテスタント派の富の規範である。一般的には、キリスト教では、金貸しに対する印象は宗教的に悪く、利子は禁じられてきた。一方、ユダヤ教はそうでない。このように、人種や宗教や文明が異なるとき、富に対する考えも異なる。そこで、彼は俺系統の富を創造する。そして、彼はその富を俺教徒に授ける。

6.1(俺系統の所有)
彼が信仰するのは、運転手が意識や物質を所有する。彼が信仰するのは、彼の運転手が彼の意識や彼の肉体を直接的に所有する。彼が信仰するのは、彼の運転手が彼の意識と彼の肉体を通して、外部の意識や外部の物質を間接的に所有する。

6.2(俺系統の富)
彼が信仰するのは、富は彼の運転手が所有する対象である。直富は彼の運転手が直接的に所有する対象である。間富は彼の運転手が間接的に所有する対象である。富は必要なものである。しかし、富は原因でない。

7.0 性

7.0(性)
宗教が異なると、性に対する考えも異なる。例えば、キリスト教では、性は汚い物であるように見える。また、宗教が異なると、性のあり方も異なる。例えば、キリスト教では、キリスト教系統の男性はこうあるべきである。儒教では、儒教系統の男性はこうあるべきである。同様に、この宗教では、彼は俺系統の性を創造する。そして、彼はその性を俺教徒に授ける。

7.1(俺系統の性)
彼はx教系統の人間とサピエンスを区別するように、彼はx教系統の女性と雌を区別する。同様に、彼はx教系統の男性とオスを区別する。彼は雌雄を分岐させる。彼は男女を分岐させる。なぜなら、この宗教の目的は分岐である。彼が信仰するのは、もし運転手が肉体に依存するならば、運転手には、雄系統の運転手と雌系統の運転手が存在する。この時、運転手とその性が分離されるのかは不明である。また、彼は物質の性を便宜的に導入する。なぜなら、性染色体それ自体は物質である。しかし、生き物は雌雄を持つ。この時、彼は物質性と意識性と運転手性を便宜的に仮定する。

タイトルとURLをコピーしました