俺らについて〜世界観の章〜

俺らについて〜世界観の章〜

俺らについて

以下では、創造主は俺らについての世界観を提示する。世界観は生活形態と宗教に関係してき た。近代科学の発達以降、近代科学や近代数学も世界観に密接に関係してきた。一般的に、宗教 や文明が異なると、世界観それ自体が互いに異なる。口語的には、世界観が異なると、住む世界 が互いに異なるように感じる。

例えば、西洋文明における世界観は牧畜とアブラハムの宗教と近代科学に関係している。牧畜的 な世界観は奴隷の存在を前提としている。そのため、自由や人と奴隷、野生動物と家畜が世界に 組み込まれている。アブラハムの宗教の世界観では、この世界は自然発生的でなく唯一の創造主 によって創造された。近代科学の世界観では、この世界は機械のような何かであり、この世界の 全ては機械のように自動的に運動する。西欧白人の世界観はこの3種類からなっている。

俺らについてでは、創造主は牧畜的な世界観も創造説も完全な機械論的な自然観も採用しない。 彼はこの世界は物質と意識からなっていると認識する。物質は自動的に運動するが、意識はそう でない。さらに、彼は意識を把握する運転手が存在すると把握する。つまり、彼はこの世界は物 質と意識と運転手の3種類の何かからなっていると把握する。

世界観〜公理と準公理〜

公理

数学や理論物理には、公理がある。数学者や理論物理学者は数学的な体系や理論物理的な体系をその公理から導いてきた。古代の人々は絶対的に確実な何かを求めて、公理を設定したかもしれない。現代の人々は公理をある種の原理的な設定と認識しているように見える。

俺らについてでも、創造主は次の実際を公理と決める。公理は彼が実際であると考える原理的な現象である。または、公理は彼が正しいと考える原理的な現象である。彼は公理や原理を変更しない。

実際1 「俺の意識は実際である。」

上記の「」は口語表現である。代表的な意識には、視界や痛みや性欲、感情や記憶がある。その他には、聴覚界や嗅覚界や味覚界がある。例えば、彼の視界には、太陽や青い空、地面が写っている。彼の視界は実際である。また、彼が彼の指を切った時、彼は痛みを感じる。彼のこの痛みは実際である。

なお、彼は物質は実際であるを初めに置かなかった。なぜなら、主観的に見ると、彼は自己の意識を把握する。その後、彼はその意識に映る物質を把握する。物理的には、物質が存在して、意識が存在する。しかし、彼は見たままを表現するとき、彼の意識は把握されて、彼の意識に映る物質が次に把握される。だから、彼は上記の実際1を初めに置いた。

また、「俺の意識は実際である。」は実際1「俺の意識」であるかもしれない。彼は[俺の意識]という単語が実際の何かに対応していることを上記で決める。上記は公理であるよりも、ある単語が実際であるのかを決める公理以前の何かである。

実際2 「俺の意識を把握するは実際である。」

または、実際1.2は「俺の意識が把握されるは実際である。」である。彼の意識が実際であることは彼の意識が把握されることは異なる。例えば、神が実際であることは神を把握することと異なる。彼の意識が実際であり、彼の意識を把握していることは実際である。

なお、彼は把握するを次のように決める。把握するは運動である、かつある主体がある対象を掴む。幾何学的には、線と半円が結合された「ー(」のような何かが存在して、その何かがある対象・と結合している。「ー(・」。

また、俺という主体が導入される前に、上記の俺の意識における俺は実際でない。しかし、自己の意識と非自己の意識を明確に区別するために、彼は俺の意識という単語を便宜的に使用した。この単語は1人称形式である。一般的に、人々は自己の意識のみを把握して、非自己の意識を把握していない。

物質の実際性

上記では、創造主は彼の意識の実際性を提示した。その実際性を使用して、彼は物質の実際性を提示する。彼は彼の視界それ自体と彼の視界に映る物質を明確に区別する。例えば、彼が眼鏡を外すと、彼の視界はぼやける。彼が眼鏡をかけると、彼の視界がはっきりする。しかし、視界に映る物質は不変であるように感じる。この時、彼は彼の視界と視界に映る物質の違いを把握する。

思考規範1 「もし俺の意識が実際であるならば、俺の意識の中の物質は実際である。」

ただし、彼の意識は正常であると仮定する。例えば、覚醒剤の使用時には、存在しない物質が見える可能性がある。日常的には、もし彼の意識が自動的に生成されるならば、その意識に映る物質は実際である。彼はその物質を信用可能と認識する。

感覚的には、意識と物質は互いに非常に異なる。だから、物質が実際であるのかを意識が実際であることから導いて良いのかは不明である。そのため、彼は上記を思考規範とした。彼がその思考規範を正しい、または実際であると考えるとき、彼はその規範の主節を導く。

なお、物質には、太陽や空気や水や火がある。植物やウイルスも物質的な性質を持つ。動物もx教系統の人間も物質的な性質を持つ。現代の理論物理的には、物質はエネルギを持つ何かであるように見える。

思考規範2 「もし俺の意識を把握するは実際であるならば、俺の意識の中の物質を把握するは実際である。」

公理の実際2と同様に、物質が実際であることと物質を把握することは互いに異なる。だから、彼は上記の思考規範を提示する。例えば、もし彼の視界を把握するが実際であるならば、彼の視界の中の太陽を把握するが実際である。

思考規範

物質の実際性では、創造主は思考規範1のような思考規範a→bを使用した。一般的には、aと思考規範a→bが存在する時、bが導かれる。しかし、思考規範1のような規範を証明するのは容易でない。また、aからbを数学のように変形することも容易でない。そこで、彼は次の思考規範を必要とする。なお、思考規範は論理というよりも食事作法や会話話法のような思考の作法に近い。

思考規範1 「俺がaを実際と考える。俺が思考規範a→bを実際と考える。この時、俺はbを実際と考える。」

口語的には、「俺が「俺は思考規範a→bを実際と考える」と表現する時、俺はbを実際と考える。」例えば、もし彼が思考規範1を実際と考えるならば、彼は彼の意識の中の物質は実際であるを実際と考える。より口語的には、彼が「俺は思考a→bを信仰する。」と表現する時、bが導かれる。

異なる表現は次である。彼がaを実際と考える。もし彼が思考規範a→bを実際と考えるならば、bは実際である。この時、bは実際である。ただし、この場合ももし以降がなぜ正しいのかが必要になる。彼が何らかの思考規範を正当化することができないならば、彼はその規範それ自体を実際である、または正しいと考える。そして、彼は実際として、または正しいとして主節を導く。

思考規範2 「俺がaを正しいと考える。俺が思考規範a→bを正しいと考える。この時、俺はbを正しいと考える。」

上記と同様である。「俺が「俺は思考規範a→bを正しいと考える」と表現する時、俺はbを正しいと考える。」。彼は実際と正しいを区別する。例えば、虫歯や癌は実際であるが、彼はそれらの存在は正しないと考える。だから、彼は虫歯や癌を手術で除去する。

俺という主体の確実性

公理と物質の実際性では、創造主は彼の意識を彼の意識を把握することを提示した。ここでは、彼は俺という主体を導入する。意識や把握すると異なり、俺という何かは不明瞭である。実際、俺が何らかの実体であるのかも不明であるように思える。そこで、彼は次の思考規範を信仰して、俺という主体を導入する。

思考規範1 「もし意識を把握するは実際であるならば、意識を把握するの主体は実際である。」

彼はその主体を俺と置く。すると、思考規範1は「もし意識を把握するは実際であるならば、俺は実際である。」になる。彼が思考規範1を正しい考えて、公理の実際2を使用すると、俺が実際である。上記を一般化すると、もしxを把握するは実際であるならば、その主体は実際である。

主語と動詞と目的語の歴史的な順序はOVSであるかもしれない。憶測では、始めに、サピエンスは視界に映る対象(目的語O)を主観的に把握した。次に、彼らは対象に対する運動(動詞V)を主観的に把握した。その結果として、OVという順序が生じた可能性がある。さらに、彼らは動作の主体(主語S)を主観的に把握した。その結果、SOVという順序が生じた可能性がある。上記では、彼はこの順序によって、俺という主体を導入した。

なお、公理の実際2それ自体も公理の実際1と上記のような思考規範から導かれる可能性がある。ただし、彼はその案を思い付かないので、彼は彼の意識を把握するを公理と置いた。例えば、彼はもし彼の意識が実際であるならば、彼の意識を作用する運動は実際であると置く。彼がその運動を把握すると置くとき、公理2は不要であるかもしれない。ただし、思考規範が1つ増える。

意識の関する公理

公理の実際1では、創造主は彼の意識の実際性を提示した。また、彼は彼の意識を把握することの実際性を提示した。ここでは、彼はこれらの実際的な単語を使用して、彼は公理を提示する。おそらく、下記の公理は数学や物理における公理に近いかもしれない。なぜなら、実際であるという述語を持たない文が成立している。

実際1 「俺は俺の意識を把握する。」

彼が俺という主体の確実性の思考規範1を実際であると考える。彼は公理の実際2を使用する。このとき、彼は彼の意識を把握する主体を実際と考える。彼はその主体を俺と置く。彼はこの俺と公理の実際2を使用する。すると、彼は上記の実際1を獲得する。

例えば、彼は彼の視界を把握する。彼は彼の感情を把握する。彼は彼の性欲を把握する。彼は彼の記憶を把握する。彼は彼の痛みを把握する。物質と異なり、彼の意識はエネルギを持っているのかは不明である。

物質に関する公理

意識に関する公理と同様に、創造主は物質に関する公理を提示する。意識に関する公理や物質に関する公理は実際な単語を使用して、組み立てられた実際な文であるかもしれない。

実際1 「俺は俺の意識の中の物質を把握する。」

本来であれば、上記の実際1には、「もし俺の意識の中の物質を把握するは実際であるならば、俺の意識の中の物質を把握するの主体は実際である。」が必要である。彼はこの思考規範と物質の実際性の思考規範2を実際と考えて、主節を導く。その主体を俺と置く。彼は物質の実際性の思考規範2と俺を使用して、「俺は俺の意識の中の物質を把握する。」を獲得する。

しかし、感覚的には、次がある。物質は彼の意識の中にある。だから、もし彼が彼の意識を把握するならば、彼は彼の意識の中の物質を把握する。彼がこの思考規範を使用するとき、彼は実際1を導く。すでに、彼は彼の意識を把握しているので、彼がその中の物質も把握するのは自然である。

例えば、彼は太陽を把握する。彼は海を把握する。彼は水を把握する。彼は火を把握する。彼は岩を把握する。彼は植物を把握する。彼は動物を把握する。

実際2 「俺は意識の中の俺の物質を把握する。」

彼は俺の物質を一つの単語と決める。彼は俺の物質を俺の肉体を言い換える。この時、実際2は「俺は俺の肉体を把握する。」になる。また、彼は彼でない物質を把握する。

意識と物質の等号性に関する認識

近代科学では、この世界は物質のみからなっている。しかし、公理1によると、意識は実際である。もし意識が物質と異なるならば、物質のみからなるという世界観は実際でない。感覚的には、彼の視界それ自体は物質でない。しかし、視界を発生させる土台は物質である。この時、彼はこの世界には、少なくとも2種類の異なる何かが存在すると感じる。創造主は彼の意識が物質と同じであるのかを提示する。

認識1 「俺の意識は物質と異なる。」

彼の意識が物質と異なるのかどうかは把握される物でなく、認識されるものである。把握するは、ある主体がある対象を掴む印象である。だから、彼は実際でなく、認識を提示した。上記の認識は実際でもある。この認識は原理的な認識である。

正確には、実際1は「俺が把握するのは、俺の意識は物質と異なる。」になる。または、認識1は「俺が認識するのは、俺の意識は物質と異なる。」である。言い換えると、彼の意識は物質でない。彼の意識は非物質である。彼が実際と考えるのは、物質と俺の意識という互いに異なる少なくとも2種類の何かが存在することである。彼の肉体は彼の意識でない。

なお、彼はある現象を把握することができるのかは不明である。できない場合、実際1は「俺が実際と考えるのは、俺の意識は物質と異なる。」である。一般的は、把握するという動詞は対象に対して使用されるように見える。場合により、彼は現象を対象化する。

また、彼は異なると等しくないと区別していない。例えば、物資はエネルギを持つ何かであるとし、意識はエネルギを持たない何かとする。この時、物質は意識に等しくない。等しくないが異なるであるのかは不明である。

準公理

公理の実際1は意識の実際性を提示した。感覚的には、もし彼の意識が実際であるならば、意識それ自体が彼自身でない限り、その意識を把握する主体も実際であるように思える。そして、その主体は必ずしも意識それ自体でない。例えば、彼の視界が実際であるとき、彼の視界を把握する主体は彼の視界それ自体でない可能性がある。このとき、創造主は物質や意識でない新たな何かを仮定する。

準実際1 「俺の意識を把握する俺の意識や物質でない何かは実際である。」

彼は準公理を副次的な公理と決める。口語的には、準公理は公理ほど実際的でない、または公理ほど正しくない。基本的には、彼は準公理を変更しない。この何かが何であるのかは不明である。しかし、彼の視界を把握する何かや彼の痛みを把握する何かは実際であるように思える。

俺という主体の確実性の思考規範1を実際と考える。公理の実際2により、彼の意識を把握するは実際である。規範1と実際2を使用すると、彼の意識を把握する主体は実際である。彼はこの主体を何かと置く。そして、彼は上記の準実際1を提示する。

彼は彼の意識や物質でない何かを運転手と置く。すると、上記の実際1は「俺の意識を把握する運転手は実際である。」になる。規範1と実際2のみであるとき、上記の何かは既存の対象である物質や意識である可能性もある。そのため、彼はその主体を物質や意識でない何かと置いた。

準実際2 「俺は俺の意識を把握する運転手を把握する。」

上記では、俺の意識を把握する俺の意識や物質でない何かが準公理として提示された。彼はその何かを使用して、彼は上記の準実際2を作る。この準実際が実際の準公理に近い。上記の意味は次である。彼は彼の運転手それ自体を把握する。

彼が彼の運転手それ自体であるとき、彼は彼自身を自己把握する。上記の把握するという動詞は自己把握するであるかもしれない。その場合、自己把握するが実際であることを正当化する必要がある。また、その場合、準実際2は「俺は俺の意識を把握する運転手を自己把握する。」である。

物質と意識と運転手に関する認識

創造主は彼の意識は物質と異なると認識した。同様に、彼は彼の運転手は彼の意識や物資と異なると認識する。彼は彼の運転手は物質と異なると把握する。さらに、彼は彼の運転手は彼の意識と異なると把握する。

準実際1 「俺の運転手は物質と異なる。」

準実際1は「俺が認識するのは、俺の運転手は物質と異なる。」になる。異なる表現では、準実際2.1は「俺が認識するのは、俺の運転手は俺の肉体と異なる。」になる。なお、準公理の準実際1では、何かは彼の意識や物質でないと仮定されている。だから、上記の認識は定理のような文でもある。ただ、彼はその何か彼の意識や物質でないと認識したので、彼は準公理の準実際1を提示した。

準実際2 「俺の運転手は俺の意識と異なる。」

準実際2は「俺が把握するのは、俺の運転手は俺の意識と異なる。」になる。ただし、これが実際であるのは不明である。確実に言えるのは、彼は物質と彼の意識という少なくとも2種類の何かを把握する。彼は物質と彼の意識とそれを把握する何かを把握する。

実体二元論と実体三元論

古代から、人々は肉体と精神という二元論を考えてきた。ただ、この精神という単語は曖昧であってきた。近代科学の発達以降、この二元論は否定されて、この世界の全ては物質であると考えられるようになった。しかし、創造主が意識と考えるとき、意識それ自体は物質でない。そして、この世界は物質と意識という二つの何かからなっていることがわかる。つまり、彼が精神と意識とおくとき、肉体と精神という二元論が現代に再び登場する。さらに、彼が運転手を意識や物質でない何かと考えるとき、物質と意識と運転手という三元論が新たに登場する。

思考規範1 「もし俺が準公理の準実際1及び準実際2と物質と意識と運転手に関する認識の準実際1及び準実際2を実際と考えるならば、俺は物質及び俺の意識及び俺の運転手を把握する。」

上記は定理に近いかもしれない。公理の準実際2により、彼は彼の運転手を把握する。また、物質と意識と運転手に関する認識の準実際1及び2により、その運転手は物質及び彼の意識と異なる。さらに、意識に関する公理の実際1と物質に関する公理1、意識と物質の等号性に関する認識の認識1により、物質は彼の意識と異なる。従って、彼は物質と彼の意識、そして彼の運転手という3種類の異なる何かを把握する。彼はこの3種類の異なる何かを実体三元論と解釈する。この時、世界は実体二元論でなく実体三元論である。

思考規範4.2 「もし俺が準公理の準実際1及び準実際2と物質と意識と運転手に関する認識の準実際1及び準実際2を実際と考えないならば、俺は物質及び俺の意識を把握する。」

さらに、意識に関する公理の実際1と物質に関する公理1により、彼は物質と彼の意識を把握する。意識と物質の等号性に関する認識の認識1により、物質は彼の意識と異なる。従って、彼は物質と彼の意識という2種類の異なる何かを把握する。彼はこの2種類の異なる何かを実体二元論と解釈する。この時、世界は実体二元論である。

世界観2~自己と非自己の意識及び運転手~

自己に関する信仰

日常的には、何が自己であるのかは決まっていない。ある主体はその肉体を自己と感じる。別の主体は見た対象や周りの対象を自己と感じる。あるいは、別の主体はその意識を自己と感じる。ここでは、創造主は自己が何であるのかを決める。

信仰1 「俺は俺の自己を俺の運転手と信仰する。」

信仰1は「俺は俺の自己を俺の運転手と決める」である。この場合、彼は信仰1を決定1と言い換える。信仰1を言い換えると、上記は「俺が正しいと考えるのは、俺が俺の自己を俺の運転手とする。」になる。なお、俺の自己は俺自身である。彼の自己は彼自身である。

信仰するは運動である、かつある主体がある現象が正しいと考える。または、信仰するは運動である、かつある主体がある対象を正しいと考える。運転手を仮定しない自己は次である。

信仰2 「俺は俺の自己を俺の意識と信仰する。」

または、信仰2は「俺は俺の自己を意識と決める。」になる。あるいは、信仰2は「俺は俺の自己を意識の性質か何かと信仰する。」になる。この場合、彼は信仰2を決定2と言い換える。

この場合、彼の自己は彼の視界や彼の感情それ自体である。または、彼の自己は視界や感情の性質である。その性質は上記の運転手のような別の種類の何かでない。その自己は意識それ自体である。ただし、この場合、彼が眼鏡を外すと、彼の視界がぼやけて、彼の視界が変化する。彼の自己が彼の意識であるとするとき、その時、彼の自己も変化する。この場合、自己は常に変化して、自己は名前のような不変性を持たない。これが実際であるのかは不明である。

なお、運転手の存在はより実際的でない。そのため、信仰2は信仰1より実際的である。場合により、彼は信仰1を準信仰1と置き換える。この時、彼は信仰2を信仰1と置き換える。

自己と非自己に関する導出

創造主は次の定理を自己に関する信仰の信仰1及び信仰2から導出する。ここでは、定理は実際や準実際、信仰から導出される現象である。彼は定理を導出と言い換える。場合により、彼は準十歳から導出される導出を準導出と呼ぶ。

導出1 「俺は俺の自己を俺の肉体と信仰しない。」

彼の肉体は彼の物質である。言い換えると、彼は自己を物質と信仰しない。正当化は次である。彼は「俺は俺の自己を俺の肉体と信仰する。」を仮定する。この仮定は「俺は俺の自己を俺の運転手と信仰する。」に反している。この括弧は自己に関する信仰における信仰2による。仮定を否定して、彼は「俺は俺の自己を俺の肉体と信仰しない。」を獲得する。

導出2 「俺は俺の自己を俺の意識と信仰しない。」

彼は自己を彼の意識と信仰しない。正当化は次である。彼は「俺は俺の自己を俺の意識と信仰する。」を仮定する。この仮定は「俺は俺の自己を俺の運転手と信仰する。」に反する。この括弧は自己に関する信仰における信仰1による。仮定を否定して、彼は「俺は俺の自己を俺の意識と信仰する。」を獲得する。

人称に関する実際

創造主は彼の意識を把握した。また、彼はサピエンスの肉体にも意識が存在しているように感じる。しかし、現実的には、彼は非自己の意識を把握することができない。彼は非自己の意識が存在すると類推や憶測や推論で考えている。彼は彼が非自己の意識を把握しないを一つの事実として提示する。

実際1 「俺は非自己の意識を把握しない。」

言い換えると、実際1は「俺は俺以外の意識を把握しない。」になる。彼は他者の意識を把握していない。ただし、彼は他者にも意識が存在すると感じる。誰も他者の意識を直接的に把握したことがない。例外には、結合児が存在する。結合時の場合、一方はもう一方の感情を感じることができるらしい。これは脳が明確に分離されていないから生じる可能性がある。

同様に、彼は自己の運転手を把握する。しかし、彼は非自己の運転手を把握しない。たとえ非自己の運転手が存在するとしても、彼は非自己の運転手が存在すると類推や憶測や推論で考えている。彼は彼が非自己の運転手を把握しないを一つの事実として提示する。

実際2 「俺は非自己の運転手を把握しない。」

言い換えると、実際2は「俺は俺以外の運転手を把握しない。」になる。彼は他者の運転手を直接的に把握しない。おそらく、結合児も非自己の運転手それ自体を把握しないように思える。

肉体の種類と意識の種類の関係

創造主は彼の意識を把握した。彼の意識の種類は彼の肉体の種類に対応しているように感じる。つまり、意識の種類は肉体の種類に対応しているかもしれない。しかし、彼は意識という非物質の種類を物質の種類から推論することができるのかを証明することができない。そこで、彼は次の思考規範を提示する。

思考規範1 「もし俺の肉体の種類がaであるならば、俺の意識の種類はaである。」

言い換えると、彼の意識の種類は彼の肉体の種類に対応する。彼の肉体の種類はサピエンスである。だから、彼の意識の種類はサピエンスの肉体の種類に対応する。つまり、彼の意識の種類はサピエンス系統である。なお、彼の肉体の種類を哺乳類と仮定するとき、彼の意識の種類は哺乳類系統である。

ただし、もし彼が上記の思考規範を正しいと考えないならば、彼の意識の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。または、もし彼が上記の思考規範を実際と考えないならば、彼の意識の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。

思考規範2 「もし俺の意識の種類がaであるならば、俺の肉体の種類はaである。」

これは思考規範1の逆である。公理では、彼は彼の意識が実際であると仮定した。その後、彼は彼の意識に映る物質が実際であると仮定した。この順序を使用すると、彼の意識の種類をaと仮定する。その後、彼はその種類aから彼の肉体の種類aを導く。

ただ、彼は彼の意識が実際であるとすでに仮定した。彼は彼の肉体が実際であると仮定した。だから、彼は彼の肉体の種類から彼の意識の種類を導くことは間違いでないように思える。

同様に、ただし、もし彼が上記の思考規範を正しいと考えないならば、彼の意識の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。または、もし彼が上記の思考規範を実際と考えないならば、彼の意識の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。

非自己の意識の実際性

創造主は彼の意識を把握した。しかし、彼は非自己の意識を把握しない。これは人称に関する実際の実際1に依存する。しかし、彼はサピエンスもまた意識を持っていると感じる。そこで、彼は非自己の意識の実際性を次のように考える。

思考規範1 「もし俺の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの意識は実際である。」

言い換えると、もし彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの意識は存在する。ただし、彼の肉体が睡眠状態にある時、上記は成立しない。より正確には、彼の肉体の種類がaである。そして、彼の意識が実際である。この時、もし彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの意識は実際である。

なお、彼の意識と彼の肉体では、初めに、彼の意識が実際である。次に、彼の肉体が実際である。しかし、上記では、別の肉体bが実際である。次に、彼の意識が実際である。つまり、肉体と意識の実際性の順序が逆になっている。なお、上記の肉体bを彼の肉体と置くと、彼の意識が実際であることも彼の肉体から導かれる。ただし、その場合も、彼の肉体が実際であるという公理が必要である。

ただし、もし彼が上記の思考規範を正しいと考えないならば、肉体bの意識は実際で必ずしも実際でない。または、もし彼が上記の思考規範を実際と考えないならば、肉体bの意識は必ずしも実際でない。

具体的な使い方は次である。彼の肉体の種類はaである。もし彼の肉体の種類がaであるならば、彼の意識の種類はaである。だから、彼の意識の種類はaである。また、彼は別の肉体bの種類がbであると仮定する。さらに、彼は彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいと仮定する。この時、肉体bの意識は実際である。

上記の思考規範を使用すると、次が得られる。例えば、彼の肉体の種類が別のサピエンスの肉体の種類に等しいとき、そのサピエンスは彼の意識を持つ。また、彼の肉体の種類が猫の肉体の種類に等しいとき、その猫はその意識を持つ。ただし、もし彼が上記の思考規範を実際、または正しいと信仰しないならば、肉体bの意識は必ずしも実際でない。

非自己の意識の種類

創造主は彼の意識を把握した。彼の意識の種類は彼の肉体の種類に対応した。さらに、もし彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの意識は実際である。彼がこの思考規範を正しいと考えるとき、肉体bの意識は実際である。しかし、肉体bのその意識の種類が肉体bの種類に対応しているのかは不明である。そこで、彼は非自己の意識の種類を次のように考える。

思考規範1 「もし俺の肉体の種類aが別の肉体bの種類に等しいならば、俺の意識の種類はその別の意識の種類に等しい。」

つまり、意識の種類は肉体の種類に依存する。ただし、もし彼が上記の思考規範を実際、または正しいと信仰しないならば、彼の意識の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。

まず、彼は別の肉体bの意識の実際性を提示する。彼の肉体の種類はaである。もし彼の肉体の種類がaであるならば、彼の意識の種類はaである。だから、彼の運転手の種類はaである。また、彼は別の肉体bの種類がbであると仮定する。さらに、彼は彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいと仮定する。この時、肉体bの意識は実際である。

彼は別の肉体bの意識の実際性を提示した。しかし、彼はその実際性から別の肉体bの意識の種類を導くことができない。従って、上記の思考規範が必要である。彼は彼の意識の種類を彼の肉体の種類から導いた。しかし、それを非自己へと拡張することができるのかは不明である。そのため、非自己に関しては、彼は上記の思考規範を提示する必要がある。

上記の思考規範を使用すると、次が得られる。例えば、サピエンスの意識はサピエンスの肉体に対応する。犬の意識は犬の肉体に対応する。ハエの意識はハエの肉体に対応する。哺乳類の意識は哺乳類の肉体に対応する。

肉体の種類と運転手の種類の関係

創造主は彼の意識を把握した。もし彼の肉体の種類がaであるならば、彼の意識の種類はaである。この時、肉体の種類と意識の種類は互いに対応する。同様に、彼の運転手も彼の肉体に対応している可能性がある。そこで、彼は次の思考規範を提示する。

思考規範1 「もし俺の肉体の種類がaであるならば、俺の運転手の種類はaである。」

言い換えると、彼の運転手の種類は彼の肉体の種類に対応する。彼の肉体の種類はサピエンスである。だから、彼の運転手の種類はサピエンスの肉体の種類に対応する。つまり、彼の運転手の種類はサピエンス系統である。なお、彼の肉体の種類を哺乳類と仮定するとき、彼の運転手の種類は哺乳類系統である。

ただし、もし彼が上記の思考規範を正しいと考えないならば、彼の運転手の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。または、もし彼が上記の思考規範を実際と考えないならば、彼の運転手の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。

思考規範2 「もし俺の運転手の種類がaであるならば、俺の肉体の種類はaである。」

これは思考規範1の逆である。意識の場合、もし俺の意識の種類がaであるならば、俺の肉体の種類はaである。ただし、運転手においても、上記が成り立つのかは不明である。

もし彼が上記の思考規範を正しいと考えないならば、彼の運転手の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。または、もし彼が上記の思考規範を実際と考えないならば、彼の運転手の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。

非自己の運転手の実際性

創造主は彼の意識を把握した。しかし、彼は非自己の意識を把握しない。これは人称に関する実際の実際1に依存する。同様に、創造主は彼の運転手を把握した。これは準公理の準実際1に依存する。しかし、彼は彼の運転手を把握しない。これは人称に関する実際の実際2に依存する。上記と同様に、彼はサピエンスもまた運転手を持っていると感じる。そこで、彼は非自己の意識の実際性を次のように考える。

思考規範1 「もし俺の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの運転手は実際である。」

言い換えると、もし彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの運転手は存在する。ただし、彼の肉体が睡眠状態にある時、上記は成立しない。また、準公理の実際2が仮定されないとき、上記は成立しない。より正確には、彼の肉体の種類がaである。そして、彼の運転手が実際である。この時、もし彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの運転手は実際である。

もし彼が上記の思考規範を正しいと考えないならば、肉体bの運転手は実際で必ずしも実際でない。または、もし彼が上記の思考規範を実際と考えないならば、肉体bの運転手は必ずしも実際でない。

具体的な使い方は次である。彼の肉体の種類はaである。もし彼の肉体の種類がaであるならば、彼の運転手の種類はaである。だから、彼の運転手の種類はaである。また、彼は別の肉体bの種類がbであると仮定する。さらに、彼は彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいと仮定する。この時、肉体bの運転手は実際である。

上記の思考規範を使用すると、次が得られる。例えば、彼の肉体の種類が別のサピエンスの肉体の種類に等しいとき、そのサピエンスは彼の運転手を持つ。また、彼の肉体の種類が猫の肉体の種類に等しいとき、その猫はその運転手を持つ。ただし、もし彼が上記の思考規範を実際、または正しいと信仰しないならば、肉体bの運転手は必ずしも実際でない。

非自己の運転手の種類

創造主は彼の意識を把握した。彼の意識の種類は彼の肉体の種類に対応した。さらに、もし彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいならば、肉体bの運転手は実際である。彼がこの思考規範を正しいと考えるとき、肉体bの意識は実際である。しかし、肉体bのその運転手の種類が肉体bの種類に対応しているのかは不明である。そこで、彼は非自己の運転手の種類を次のように考える。

思考規範1 「もし俺の肉体の種類aが別の肉体bの種類に等しいならば、俺の運転手の種類はその別の運転手の種類に等しい。」

つまり、運転手の種類は肉体の種類に依存する。ただし、もし彼が上記の思考規範を実際、または正しいと信仰しないならば、彼の運転手の種類は彼の肉体の種類に必ずしも対応しない。

まず、彼は別の肉体bの運転手の実際性を提示する。彼の肉体の種類はaである。もし彼の肉体の種類がaであるならば、彼の運転手の種類はaである。だから、彼の運転手の種類はaである。また、彼は別の肉体bの種類がbであると仮定する。さらに、彼は彼の肉体の種類aが別の肉体bの種類bに等しいと仮定する。この時、肉体bの運転手は実際である。

彼は別の肉体bの運転手の実際性を提示した。しかし、彼はその実際性から別の肉体bの運転手の種類を導くことができない。従って、上記の思考規範が必要である。彼は彼の運転手の種類を彼の肉体の種類から導いた。しかし、それを非自己へと拡張することができるのかは不明である。そのため、非自己に関しては、彼は上記の思考規範を提示する必要がある。

上記の思考規範を使用すると、上記と同様に、次が得られる。例えば、サピエンスの運転手はサピエンスの肉体に対応する。犬の運転手は犬の肉体に対応する。ハエの運転手はハエの肉体に対応する。哺乳類の運転手は哺乳類の肉体に対応する。

人称現象に関する導出

彼は彼の意識を把握する。しかし、彼は非自己の意識を把握しない。彼は彼自身の運転手を把握するが、彼は他人の運転手を把握しない。そのため、彼は思考規範を使用して、彼は非自己の意識と非自己の運転手が実際であると考えた。彼は自己の何かを把握するが、同じ種類の非自己の何かを把握しないを一つの新たな現象として提示する。

導出1 「俺は俺の意識を1人称で把握する、かつ俺は非自己の意識を2人称及び3人称で把握しない。」

大雑把に言い換えると、1人称では存在するが、2人称及び3人称では存在しない何かが存在する。例えば、彼は彼の意識を把握するが、彼は非自己の意識を把握しない。彼は1人称の意識を把握するが、彼は2人称及び3人称の意識を把握しない。つまり、彼は「俺の意識」を把握するが、彼は「君の意識と彼の意識」を把握しない。

導出は次である。彼は彼の意識を把握する。これは意識に関する公理の実際1に依存する。彼は非自己の意識を把握しない。これは人称に関する実際の実際1に依存する。従って、実際を1人称から3人称に書き直すと、彼は彼の意識を把握する、かつ彼は非自己の意識を把握しないが成り立つ。

導出2 「俺は俺の運転手を1人称で把握する、かつ俺は非自己の運転手を2人称及び3人称で把握しない。」

同様に、導出は次である。彼は彼の運転手を把握する。これは準公理の準実際1に依存する。彼は非自己の意識を把握しない。これは人称に関する実際の実際2に依存する。従って、実際を1人称から3人称に書き直すと、彼は彼の運転手を把握する、かつ彼は非自己の運転手を把握しないが成り立つ。

予想1 「俺はある対象をx人称で把握する、かつ俺はその対象をy人称で把握しない。」

大雑把に言い換えると、x人称では存在するが、y人称では存在しない何かが存在する。上記の例では、意識及び運転手がそれに該当する。意識と運転手に関して、上記が成り立つ。意識や運転手の他にも、上記が成り立つ現象があるのかは不明である。

世界観3

現在に対する認識

時間が何であるのかは明らかにされていない。しかし、創造主は時間それ自体を認識する。彼は現在という時間を認識する。そこで、彼は時間を次のように提示する。なお、彼は時間を時刻と置き換える。

実際1 「俺は俺の意識の現在を認識する。」

言い換えると、彼は彼の意識の現在を把握する。ただし、彼は把握より認識をより適切と感じる。なぜなら、彼は時刻それ自体を把握しない。時刻に対する認識は数に対する認識に類似する。彼の意識の現在のみが存在する。実際、彼は彼の意識の過去や彼の意識の未来それ自体を把握しない。例えば、彼は睡眠する前の彼の意識を把握しない。

実際2 「俺は物質の現在を認識する。」

言い換えると、彼は物質の現在を把握する。物質の現在のみが存在する。実際、彼は物質の過去や物質の未来それ自体を把握しない。なお、彼は物質の現在を意識の現在から導くかもしれない。なぜなら、初めに、意識が実際である。次に、意識の中の物質が実際である。この順序を使用すると、意識の現在が実際である。次に、意識の現在の中の物質の現在が実際である。

準実際1 「俺は俺の運転手の現在を認識する。」

言い換えると、彼は彼の運転手の現在を把握する。言い換えると、彼の運転手の現在のみが存在する。彼は彼の運転手の過去や彼の運転手の未来それ自体を把握しない。例えば、彼は睡眠する前の彼の運転手を把握しない。

創造主は現在という時刻を認識する。また、下記の実際は上記の実際よりもより実際的でない、かつより正しくない。

過去に対する認識

創造主は過去という時刻を認識する。彼は過去を一種の状態と解釈する。場合により、彼は過去を服に例える。

実際1 「俺は俺の意識の現在における俺の意識の過去を認識する。」

言い換えると、彼は意識の過去を認識する。彼は意識の過去それ自体を認識しない。例えば、過去の記憶が意識の過去である。記憶は現在想起されるが、その記憶は過去の状態を表している。なお、彼は記憶それ自体を意識と認識する。彼は原爆の投下やモンゴロイド人種への虐殺や絶滅を記憶する。

ただし、彼は彼の現在の視界における視界の過去を認識しない。彼の視界の中には、彼が認識する過去がないように思える。走馬灯や錯覚や見間違いや夢における昔の視覚的な記憶がそれに該当するかもしれない。聴覚の場合、昔に聞いた音が聞こえるのが過去の認識であるかもしれない。

実際2 「俺は物質の現在における物質の過去を認識する。」

言い換えると、彼は物質の過去を認識する。彼は物質の過去それ自体を認識しない。彼は物質の現在における物質の過去を認識する。例えば、ある岩石が現在存在して、それがあるサピエンスを殺した。この時、その岩石はそのサピエンスを殺したという過去を着ている。別の例では、ある人間が別の人間に物理的に暴行した後、その人間は暴行したという過去状態を持っている。

準実際1 「俺は俺の運転手の現在における俺の運転手の過去を認識する。」

上記は準実際であるのかが不明である。彼は運転手の過去それ自体を認識していないかもしれない。ただ、彼は過去における痛みを把握した何かを記憶している。その記憶を使用すると、過去にも、運転手が存在したことが言えるように思える。上記は認識するでなく、憶測するであるかもしれない。その場合、準実際3.2は「俺は俺の運転手の現在における俺の運転手の過去を憶測する。」になる。

未来に関する認識

創造主は未来に関する認識を提示する。未来は対象の状態に近い。一般的には、未来は人生設計や商品価格の変動、目的に関係する。未来は組式(プログラム)や経験に深く関係する。その他には、未来は不安の感じやすさや危機察知能力にも関係する。

実際1 「俺は俺の意識の未来を認識する。」

認識は予想に近いかもしれない。例えば、彼は彼の将来的な痛みや彼の将来的な不安を認識する。そして、彼はそれらを回避するように行動する。また、彼は彼の将来的な憎悪や将来的な復讐も認識する。例えば、彼が原爆を落とされたとき、彼はその主体を憎悪して、復讐心を持つ。なお、感情は意識である。上記は、正確には、意識が発生するだろうと認識するである。

実際2 「俺は物質の未来を認識する。」

例えば、彼は地震や洪水や噴火を予想する。また、動物が怪我や老いで弱っていると、彼はその動物は死ぬだろうとその未来を認識する。彼は彼自身の未来を認識する。

準実際1 「俺は俺の運転手の未来を認識する。」

過去と同様に、上記が実際であるのかが不明である。例えば、もし彼が死ぬならば、彼の運転手は死ぬ。

睡眠における意識

創造主が睡眠するとき、彼は彼の意識を把握しなかった。彼は起きた後、彼は彼の記憶を思い出す。そして、彼は彼が彼の意識を把握していなかったと経験的に認識する。彼はこの現象を次のように提示する。なお、彼は睡眠を麻酔や気絶へと一般化する。

経験1 「俺が睡眠していた時、俺は俺の意識を把握しなかった。」

上記は実際でなく、経験である。なぜなら、彼は彼の意識を把握していなかったことを把握していなかった。少なくとも、彼は彼が自己の意識を把握していたという記憶を持っていない。日常的には、睡眠時には、彼の意識は存在しない。彼の意識は電気の点滅のように消えている可能性がある。

彼は次を便宜的に仮定する。彼が睡眠していた時、彼は彼の意識を把握していた。彼は次の思考規範をさらに仮定する。もし彼が睡眠していた時、彼は彼の意識を把握していたであるならば、彼はその記憶を持っている。しかし、彼はその記憶を持っていない。これは上記の仮定や思考規範に反する。だから、仮定、または思考規範が実際でない、または正しくない。

思考規範が実際でないと仮定する。この時、彼が睡眠していた時、彼は彼の意識を把握していた、かつ彼はその記憶を持っていない。しかし、現時点では、彼はこれを実際と認識しない。そのため、彼は彼が睡眠していた時、彼は彼の意識を把握していたを実際でないと認識する。従って、彼は彼が睡眠していた時、彼は彼の意識を把握していなかった。

なお、彼が睡眠しているとき、彼が彼の意識を把握しているのかは彼の脳に対する調査によって明らかになる可能性がある。しかし、それは非自己による憶測である。なぜなら、意識は1人称で把握される、かつ意識は2人称及び3人称で把握されない。これは人称現象に関する導出における導出1に依存する。

経験2 「俺が睡眠する時、俺は俺の意識を把握しない。」

または、もし彼が睡眠するならば、彼は彼の意識を把握しない。上記の経験2は経験則であるかもしれない。これまでの経験から、彼は未来に関する経験則を提示した。なお、彼は睡眠を彼が彼の意識を把握しない状態であると定義する時、上記の経験は自然である。ただ、睡眠がそのような状態であるのかは不明である。

経験に関する思考規範

創造主が睡眠したとき、彼は彼の意識を把握しなかった。意識のこの過去から、彼は彼が睡眠するとき、彼は彼の意識を把握しないを導いた。彼はこの導出における思考規範を次のように提示する。

思考規範1 「もし俺が睡眠していた時、俺は俺の意識を把握してこなかったならば、俺が睡眠するとき、彼は俺の意識を把握しない。」

彼が上記の思考規範を使用するとき、彼は経験1「俺が睡眠していた時、俺は俺の意識を把握しなかった。」から経験2「俺が睡眠する時、俺は俺の意識を把握しない。」を導く。このとき、もし彼が思考規範1を実際であると考えるならば、経験2は経験1からの導出になる。

思考規範2 「もしある主体が今まで常にxしてきたならば、その主体はxする。」

条件を入れると、もしある主体がxであるとき、その主体が今まで常にyしてきたならば、その主体はyする。yは運動である。xは存在や状態である。また、否定でも成立すると仮定する。ただし、彼は上記の思考規範を経験的な思考規範と認識する。例えば、太陽がある。もし太陽がこれまで常に登って来たならば、太陽は登って来る。いつか、太陽は死ぬので、これは成り立たない。

睡眠における運転手

創造主が睡眠するとき、彼は彼の運転手を把握しなかった。彼は起きた後、彼は彼の記憶を思い出す。そして、彼は彼が彼の運転手を把握していなかったと経験的に認識する。彼はこの現象を次のように提示する。なお、彼は睡眠を麻酔や気絶へと一般化する。

経験1 「俺が睡眠していた時、俺は俺の運転手を把握しなかった。」

彼はこれまで睡眠していた時、彼は彼の運転手をこれまで常に把握していなかった。ただし、運転手が実際に存在するのかは不明である。また、彼が彼の運転手を把握するのは、彼が彼の意識を把握することと異なる。意識の場合、運転手が意識を把握する。運転手の場合、運転手が運転手を自己把握する。

また、次の可能性もある。彼が睡眠していたとき、彼の意識のみが一時的に落ちた。しかし、運転手はそのままであった。彼の意識が落ちたので、運転手が把握するものがなくなった。だから、運転手も落ちたように感じる。これが実際であるのかは不明である。

経験2 「俺が睡眠する時、俺は俺の運転手を把握しない。」

または、もし彼が睡眠するならば、彼は彼の運転手を把握しない。もしある主体が今まで常にxしてきたならば、その主体はxする。彼がこの経験1を仮定して、思考規範2を使用する。この時、彼は経験2を導出する。

睡眠における物質

創造主が睡眠するとき、彼は物質を把握しなかった。彼は起きた後、彼は彼の記憶を思い出す。そして、彼は彼が彼の物質を把握していなかったと経験的に認識する。しかし、彼の意識や彼の運転手の場合と異なり、物質は点滅しないように思える。言い換えると、彼が睡眠するとき、物質は存在するが、彼の意識や彼の運転手は存在しない。彼はこの現象を次のように提示する。なお、彼は睡眠を麻酔や気絶へと一般化する。

経験1 「俺が睡眠していた時、俺は物質を把握していなかった。」

彼はこれまで睡眠していた時、彼は物質をこれまで常に把握していなかった。彼は彼の肉体を物質と認識するので、彼は次を獲得する。彼が睡眠していた時、俺は彼の肉体を把握していなかった。少なくとも、彼は彼が彼の肉体を把握していたという記憶を持っていない。ただし、日常的には、彼の肉体は存在していると考えられている。

今、彼は彼が睡眠していたとき、物質は存在しないと仮定する。もし物質が存在しないならば、彼が起きたとき、物質は存在しないとさらに仮定する。彼がこの思考規範を実際であると考えるとき、彼が起きたとき、物質は存在しない。しかし、実際には、彼が起きたとき、物質は存在する。これは思考規範の結論に反している。だから、彼は彼が睡眠していたとき、物質は存在する。

ただし、上記は完全でない。なぜなら、物質が今現在創造されている、または発現している可能性もある。例えば、youtubeにおける動画は今現在投稿され続けている。投稿される動画のように、物質も今現在投稿されている可能性もある。さらに、物資は主観的には存在しないが、物質は非自己から見て客観的には存在するような場合もあるかもしれない。

経験2 「俺が睡眠する時、俺は物質を把握しない。」

または、もし彼が睡眠するならば、彼は物質を把握しない。彼が経験1を仮定して、思考規範1を使用する。この時、彼は経験2を導出する。物質を彼の肉体と置き換えると、彼が睡眠する時、俺は彼の肉体を把握しない。または、もし彼が睡眠するならば、彼は彼の肉体を把握しない。

意識及び運転手の連続性

創造主が睡眠するとき、彼は彼の意識を把握しない。彼がそれを彼が睡眠するとき、彼の意識は存在しないと解釈する。このとき、彼の意識は時刻に関して連続的でない。彼は意識のこの火連続性を次のように導く。

導出1 「俺の意識は時刻に関して連続的でない。」

彼が睡眠していたとき、彼は彼の意識を把握していなかった。そして、彼が睡眠するとき、彼は彼の意識を把握しない。また、彼は彼の意識を把握する。これは意識に関する公理の実際1に依存する。つまり、彼は彼の意識を睡眠時に把握しない、かつ彼は自己の意識を把握する。従って、彼は彼自身の意識を時刻に関して連続的でないと考える。

導出2 「俺の運転手は時刻に関して連続的でない。」

彼が睡眠していたとき、彼は彼の運転手を把握していなかった。そして、彼が睡眠するとき、彼は彼の運転手を把握しない。また、彼は彼の運転手を把握する。これは準公理の準実際2に依存する。つまり、彼は彼の運転手を睡眠時に把握しない、かつ彼は自己の運転手を把握する。従って、彼は彼自身の運転手を時刻に関して連続的でないと考える。

物質の連続性

感覚的には、彼の意識や運転手は時刻に関して連続的でない。彼が睡眠する時、彼は彼の意識や運転手を把握しない。一方、彼の肉体を含む物質は連続的であるように思える。彼が睡眠するとき、物質は彼の意識や彼の運転手のように一時的に消えないように思える。実際、非自己の主体は彼の肉体を把握するはずである。しかし、この現象は言語的に正当化されていない。そこで、創造主は物質の連続性を提示する。

思考規範1 「もし俺の意識が連続的でないならば、物質は連続的でない。」

もし彼の意識が連続的でないならば、彼の肉体も彼の意識のように連続的でない。なお、もし物質が連続的であるならば、彼の意識は連続的であるは日常の感覚では成立しない。なぜなら、睡眠の前後で、意識は連続的でない。ただし、物質それ自体が非連続的である可能性がある。または、彼の意識は非連続的である、かつ物質が連続的であるが成立するかもしれない。

彼は思考規範1を実際と考える。彼の意識は連続的でない。この時、彼は物質は連続的でないを実際と考える。または、彼は物質は連続的でないを正しいと考える。ただし、思考規範1が実際であるのか、正しいのかは不明である。感覚的には、彼の意識は非連続的である、かつ物質が連続的であるがより実際的であるように思える。ただし、極小の世界では、物質の連続性が成立しないとしても、それほど驚くべきことでないように思える。

思考規範2 「もし俺の意識が連続的でないならば、かつ物質は連続的である。」

上記の思考規範2は現実的であるように思える。実際、たとえ彼が睡眠しているとき、彼が彼の意識を把握しないとしても、現実的には、非自己が彼の肉体を把握している。また、もし物質が連続的でないならば、なぜ睡眠前の肉体と起床後の肉体が同じ形式を維持しているのかという問題も生じるように思える。ただし、意識や運転手も消えているのに、また同じように生じる。これは不思議である。

意識及び肉体の同一性

睡眠の前後で、彼の意識は非連続的である。睡眠の前の意識は睡眠の後の意識に等しいのかは不明である。そこで、彼は意識及び肉体の同一性を考える。

思考規範1 「もし俺の肉体が時刻に関して同一であるならば、俺の意識は時刻に関して同一である。」

彼はこの思考規範を実際と考える。また、彼の肉体は時刻に関して同一であると仮定する。このとき、彼の意識は時刻に関して同一であるのは実際である。現実的には、老いがある。だから、肉体が老いると、彼の意識も完全には同一でなくなる。

また、もし彼の肉体の種類がaであるならば、彼の意識の種類はaである。この思考規範を使用すると、もし彼の肉体の種類が時刻に関して同一であるならば、彼の意識の種類は時刻に関して同一である。

思考規範2 「もし俺の肉体が時刻に関して同一であるならば、俺の運転手は時刻に関して同一である。」

彼はこの思考規範を実際と考える。また、彼の肉体は時刻に関して同一であると仮定する。このとき、彼の運転手は時刻に関して同一であるのは実際である。現実的には、老いがある。だから、肉体が老いると、彼の運転手も完全には同一でなくなる。

また、もし彼の肉体の種類がaであるならば、彼の運転手の種類はaである。この思考規範を使用すると、もし彼の肉体の種類が時刻に関して同一であるならば、彼の運転手の種類は時刻に関して同一である。

肉体及び意識及び運転手の固有性

例えば、彼は彼の肉体をクローンで作る。この時、彼はそのクローンの視界をみることができない。また、たとえ彼の死後、ある主体が彼のクローンを作ったとしても、それは彼の復活を意味しないように思える。クローンの肉体の種類は彼の肉体の種類と遺伝的に同じである。しかし、肉体の中の人(運転手)が互いに異なると感じられる。

予想1 「俺の肉体の固有性は俺の肉体の種類と時刻及び空間によって与えれている。」

上記の予想は未来予想よりも仮定や仮設に近い。また、この予想は未発見の何かに関する予想でない。例えば、あるサピエンスの肉体の固有性はサピエンスの肉体とそのサピエンスが生まれた時刻及び空間によって与えられる。

思考規範1 「もし俺の肉体の固有性がaであるならば、俺の意識の固有性はaである。」

なお、彼の肉体の種類aと彼の意識の種類aは互いに対応する。上記では、彼の意識の固有性aも彼の肉体の固有性aも互いに対応する。

思考規範2 「もし俺の肉体の固有性がaであるならば、俺の運転手の固有性はaである。」

上記の場合、運転手の固有性は内在的でなく、外在的である。つまり、自己の固有性は運転手それ自体や運転手に内在している何かでなく、肉体の種類と意識の種類、そして時刻と空間によって決められる。もし彼が同じ肉体の種類と同じ意識の種類、そして同じ時刻と空間を作るならば、彼は彼の自己を再現することができる。この時、自己の固有性は偶然でなく、必然に近い。

予想2 「俺の運転手の固有性は俺の肉体の種類と時刻及び空間によって与えれていない。」

一般的に、俺が俺であることは奇跡であると言われてきた。なぜなら、俺が俺であることは物質や物質に関する世界から導かれれない。だから、俺が俺であることは偶然である、または奇跡的である。

非自己への自己の拡張

創造主は自己の肉体や意識及び運転手の状態や性質を非自己の肉体や意識及び運転手へと拡張する。彼の意識や運転手には、時刻や連続性、同一性が考えられた。彼はこの性質を非自己へと一般化する。

思考規範1 「もし俺の肉体の性質が別の肉体の性質に等しいならば、俺の意識の性質はその意識の性質に等しい。」

なお、もし彼の肉体の種類が別の肉体の種類に等しいならば、彼の意識の性質はその意識の性質に等しい。より正確には、もし彼の肉体の種類が別の肉体の種類に等しいならば、彼の意識の性質はその意識の性質にほとんど等しい。

思考規範2 「もし俺の肉体の性質が別の肉体の性質に等しいならば、俺の運転手の性質はその意識の性質に等しい。」

上記と同様に、もし彼の肉体の種類が別の肉体の種類に等しいならば、彼の運転手の性質はその運転手の性質に等しい。より正確には、もし彼の肉体の種類が別の肉体の種類に等しいならば、彼の運転手の性質はその運転手の性質にほとんど等しい。

物質の3種類の運動

創造主の認識では、物質は自動的に運動しているように見える。動物は非自動的に運動しているように見える。そして、動物の一部は目的的に運動しているように見える。彼は3種類の運動を認識する。

実際1 「俺が認識するのは、物質は自動的に運動している。」

実際1は認識1であるかもしれない。その場合、実際1は「物質は自動的に運動している。」になる。彼がそのように認識しているのは実際であるので、彼は実際を使用した。物質自動的に運動しているのが実際であるのかは不明である。例えば、太陽や水や機械は完全に自動的に運動している。

実際2 「俺が認識するのは、意識を持つ物質は非自動的に運動している。」

意識を持つ物質には、動物がある。例えば、昆虫や魚、猫や犬、そしてサピエンスがある。例えば、日常的には、彼が認識するのは、昆虫や犬やサピエンスは機械や太陽のように完全には自動的には運動していない。ただし、彼は非自己の意識を把握しない。これは人称に関する実際の実際1に依存する。

実際3 「俺が認識するのは、意識を持つ物質の一部は目的的に運動している。」

意識を持つ物質の一部には、高等動物が存在する。カラスは木のみを道路の上に落として、彼らはその木のみを車に割らせようとする。これは目的的な運動である。サピエンスは高度な罠を貼り、彼らは獲物を罠にかけようとする。x教系統の人間では、人間は宗教的な目的を持って、彼らは平等を実現しようとする。

予想1 「物質が自動的に運動していた。意識を持つ物質が生まれた後、意識を持つ物質は非自動的に運動するようになった。その後、意識を持つ物質の一部は目的的に運動するようになった。」

この予想は3種類の運動の発生の時刻的な順序である。上記の予想は過去に関する予想である。上記は未来予想でなく、過去予想である。感覚的には、次がある。彼は彼の意識を把握する。彼は物質を把握する。彼が認識するのは、彼は非自動的に運動する。彼が認識するのは、物質は自動的に運動する。彼が認識するのは、彼は目的的に運動する。

彼の肉体を動物にも適用すると、動物もその意識を持つ。彼が認識するのは、動物も非自動的に運動する。高等動物を見ると、彼が認識するのは、高等動物も非自動的に運動する。生じた順序を時刻順に並べ替えると、物質、動物、動物の一部である。だから、彼は上記の予想1を提示する。

運動の発生の時刻的な順序

創造主は運動の発生の時刻的な順序を提示する。運動は発生するのか、創造されるのかは不明である。場合により、彼は「俺が(現時点で)認識するのは、」を加える。その場合、予想は実際になる。

予想1 「物質が自動的に運動していた。意識を持つ物質が生まれた後、意識を持つ物質は非自動的に運動するようになった。その後、意識を持つ物質の一部は目的的に運動するようになった。」

この予想は3種類の運動の発生の時刻的な順序である。上記の予想は過去に関する予想である。上記は未来予想でなく、過去予想である。感覚的には、次がある。彼は彼の意識を把握する。彼は物質を把握する。彼が認識するのは、彼は非自動的に運動する。彼が認識するのは、物質は自動的に運動する。彼が認識するのは、彼は目的的に運動する。

彼の肉体を動物にも適用すると、動物もその意識を持つ。彼が認識するのは、動物も非自動的に運動する。高等動物を見ると、彼が認識するのは、高等動物も非自動的に運動する。生じた順序を時刻順に並べ替えると、物質、動物、動物の一部である。だから、彼は上記の予想1を提示する。

物質及び意識及び運転手の発生の時刻的な順序

創造主は物質及び意識及び運転手の発生の時刻的な順序を提示する。場合により、彼は「俺が(現時点で)認識するのは、」を加える。その場合、予想は実際になる。

予想4.1 「物質が創造された、または物質が自然に発生した、または物質が元から存在していた。その後、意識が創造された、または意識が自然に発生した、または意識が分岐した。その後、運転手が創造された、または運転手が自然に発生した、または運転手が分岐した。」

物質は創造された。または、物質は自然に発生した。または、物質は元から存在していた。その他の可能性もある。現時点では、どれが実際であったのかは不明である。

おそらく、脳が形成されたとき、意識が発生した。個人的な場合では、彼の脳が形成されたとき、彼の意識が発生した。この意識が創造されたのかは不明である。または、彼の意識は彼の脳から分岐した。物質が発生した後、生命が発生した。生命の脳が形成されたとき、意識が発生した。

または、意識の発生と同時に、運転手が創造された、または運転手が自然に発生した、または運転手が分岐した。おそらく、脳が形成されて、意識が発生したとき、運転手が発生した。個人的な場合では、彼の脳が形成されて、彼の意識が発生したとき、彼の運転手が発生した。この運転手が創造されたのかは不明である。または、彼の運転手は彼の意識から分岐した。まとめると、物質が発生した後、生命が発生した。生命の脳が形成されたとき、意識が発生して、運転手が発生した。

コメント

  1. kato kato より:

    pdfファイルは次である。
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