樋口季一郎がユダヤ教徒の白人をナチス・ドイツから救ったことは素晴らしいか?

大和民族
https://ja.wikipedia.org/wiki/樋口季一郎
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 第2次世界大戦直前、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った陸軍中将、樋口季一郎(明治21年~昭和45年)の功績を顕彰する銅像を樋口の出身地、兵庫県の淡路島などに建立する計画が進んでいる。12日までに孫の明治学院大学名誉教授の隆一氏を代表とする銅像建立委員会が設立された。

https://www.sankei.com/world/news/210412/wor2104120010-n1.html

 大和民族の一部は上記の速報を引用して、彼らは「日本人はユダヤ人を救った(だから、大和民族は人道的で高潔な民族)」と主張したいように見える。けれども、俺はこの種の大和民族の本音に強く反対する。以下では、俺は樋口季一郎に対する大和民族の発言の問題点を提示する。

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有色人が白人を救うことは素晴らしいか?

 俺の審判:有色人が白人、特に西側白人を救うことは素晴らしくない。

 有色人が白人、特に西側白人を救うことは素晴らしくない。だから、樋口季一郎がユダヤ教徒の白人をナチス・ドイツから救ったことは有色人から見て素晴らしくない。セム系宗教を信仰しない東洋人にとって、ユダヤ教徒の白人もキリスト教徒の白人も同じ白人である。

ユダヤ教徒の白人は加害者側

 近代において、ユダヤ教徒の(西側)白人はモンゴロイド人種やネグロイド人種に対して加害者側であり、被害者側でない。樋口季一郎の行為はアメリカ先住民が清教徒を助けた行為に似ている。おそらく、清教徒はアメリカ先住民に感謝しただろう。

しかし、その後、清教徒の白人は助けた恩人を虐殺して、絶滅に追いやった。その恩人は俺らと同じモンゴロイド人種である。俺が大和民族の一部が「日本人はユダヤ人を救った。」と強調するのをみる時、俺は清教徒の白人によって虐殺されたアメリカ先住民をいつも思い出す。

もし俺らモンゴロイド人種が生存競争における勝利を渇望するならば、有色人が白人を助ける行為は常に清教徒を助けたアメリカ先住民に例えられる必要がある。個人的には、俺はユダヤ教徒の白人が助けた恩人をアメリカ先住民を清教徒の白人のように虐殺するとしても、俺は白人のその行為に驚かない。

 なぜなら、俺らにとって、キリスト教徒の白人もユダヤ教徒の白人も単なる白人である。実際、アメリカ大陸における原爆の製造に関係したのはユダヤ教徒の白人である。大和民族は樋口季一郎の行為を不必要に賛美するが、ユダヤ教徒の白人は原爆の投下をアメリカ大陸から日本列島へとお見舞いした。ただし、実際の投下はキリスト教徒の白人であったはず。

大和民族の気持ち悪い心理

 俺の認識:大和民族はユダヤ人を救った大和民族をユダヤ教徒の白人に褒めて欲しいように見える。

 大和民族はユダヤ人を救った大和民族をユダヤ教徒の白人に褒めて欲しいように見える。大和民族は白人に褒められることや白人に認められることを何よりも喜びとする。大和民族が樋口季一郎の行為を強調するのは、宗教的な信念の結果などでなく、単に美男美女の(ユダヤ教徒)の白人に褒められたいからである。

ユダヤ人はかわいそう?

 大和民族はユダヤ人がかわいそうであり、そのユダヤ人を救った日本人は素晴らしいと主張したいように見える。けれども、ユダヤ教徒の白人はネグロイド人種やモンゴロイド人種に対して虐殺してき加害者側であり、俺らの視点から見ると、ユダヤ教徒の白人は人種的にはかわいそうでない。有色人がユダヤ教徒の白人を救うことは白人に忠実な犬が飼い主である白人様を救うことに似ている。

ユダヤ教徒の白人が日本人を上記の速報のように褒めるのは、「犬よ、飼い主である白人様を助けて、よくやった(次回も飼い主様が苦しんでたらよろしく!)」という意図があってもおかしくない。実際、日本列島を含むユダヤ教徒の白人の振る舞いを見れば、彼らは(その他の白人と同様に)人種的な侮辱発言や行動を繰り返していて、有色人を完全に馬鹿にしている。

また、大和民族が樋口季一郎を語る時、彼らはユダヤ人という単語を使用したり、ユダヤ人はかわいそうな〜と語る。けれども、彼らはユダヤ人(セム人)でなく、ユダヤ教徒の白人である。彼らがユダヤ人(セム人)になるのは西洋文明の視点である。

お金持ちで知的で美男美女に褒められたい

 また、大和民族はユダヤ教徒の白人はお金持ちで、ノーベル賞を多く受賞していて知的で、美男美女である信じきっている。彼らはその種の白人に褒められたくて仕方がない。なぜなら、その時、彼らは白人に認められた日本人はより白人に近いと本能的に錯覚する。

大和民族が樋口季一郎を過剰に持ち出すのは、この種の卑しい心理の結果である。言い換えると、大和民族はお金持ちで知的で美男美女の白人に褒められると、彼らは自分たちも白人(ユダヤ教徒の白人)になったと錯覚する。あるいは、彼らは白人の仲間入りを果たしたのだと錯覚する。要するに、白人様にちやほやされたいだけ

有色人の善(陽)な行為

 有色人の善(陽)な行為:有色人は白人を救う必要はない。歴史的に見れば、その行為はむしろ有色人を危険にさらす。

 樋口季一郎の例を挙げれば、樋口季一郎はユダヤ教徒の白人をかわいそな人々として救助する必要はなかった。救われた白人はおそらくアメリカ大陸に渡ったが、そのアメリカ大陸はアメリカ先住民やイヌイットの所有物であり、自然な生息地であった。その大陸での白人の出世がアメリカ先住民やイヌイットの保護に結びついたかは不明である。

白人の宗教問題は白人によって解決されるべき

 西洋文明におけるキリスト教とユダヤ教の問題は白人によって解決される必要がある。ほぼ無関係な東洋人は彼らの宗教問題に巻き込まれるべきでない。大和民族の一部はかわいそうなユダヤ人を救ったことを強調する。

しかし、その種の主張は大和民族をイスラム教徒やキリスト教徒に嫌わせる。実際、キリスト教徒の白人はユダヤ教徒の白人をユダヤ教徒として非常に嫌っている。当然、イスラム教徒の中東人やトルコ人もユダヤ教徒の白人をユダヤ教徒として嫌っている。

全く無関係な東洋人がユダヤ教徒の白人をユダヤ人として救助する行為を儒教の東洋世界をセム系宗教のコーカサス人種世界に強制的に巻き込む行為である。キリスト教徒の白人やイスラム教徒の中東人から見て、樋口季一郎の行為は「始末するのを、邪魔しやがって」という妨害行為に見えるかもしれない。

 大和民族の一部は樋口季一郎は良いことをしたと信じきっている。けれども、その良さはユダヤ教徒の白人視点からである。キリスト教徒の白人やイスラム教徒の中東人にとっては、樋口季一郎の行為は内心では悪かったかもしれない。

白人を憎悪する有色人にとっても内心では悪かったかもしれない。奴隷やアフリカ分割によって苦しんできたネグロイド人種の視点では、どうだろうか?大和民族は非常に幼稚であり、人間社会における宗教問題の深刻さを感覚的に把握できない。だからこそ、彼らは樋口季一郎の行為を素晴らしい行為と無邪気に信じきっている。

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