メンタリストのDaiGoという youtuber がホームレスよりも猫を救うべきであると発言したらしい。この発言が炎上していて、彼はナチスやヒトラー、優生学(優生思想)で例えられている。以下では、俺はこの炎上に対する俺の違和感を提示するつもりである。
個人的な印象では、DaiGoの発言が炎上したのは、彼が “チャラくて” 、かつ “調子に乗っている” からであるように思える。本当に危ない感じの日本人や真面目な感じのは、たとえやばい発言を繰り返すとしても、炎上しない。なぜなら、怖いので近寄りたくない。
以下では、俺はDaiGoの発言を東洋文明における儒教的な観点から把握する。個人的には、俺はDaiGoの発言に賛成しないが、炎上するような発言でないし、ごちゃぐちゃうるさいと感じる。俺にとっては、俺らの虐殺と絶滅の結果であるアメリカ大陸の多様性を賛美する人々の方がより悪い。
問題点
問題点
俺の認識 大和民族は自己の宗教もx系統の善悪(レッドカード)も持っていないので、DaiGoの発言悪性を判断できない。
大和民族がナチスやヒトラー、優生学を引用して、騒いで喚いて、彼の発言を悪いと “匂わせよう” とする。けれども、キリスト教徒の西側白人がナチスやヒトラー、優生学を悪いと判断するのは、キリスト教における “罪” の概念の結果である。つまり、ナチスやヒトラー、優生学は罪であり、罪は悪い(レッドカード)であるので、ナチスやヒトラー、優生学は悪い。このような流れが存在する。差別も同様である。
DaiGoの発言は炎上して、それは大和民族によって強く批判されてきた。けれども、俺は大和民族はDaiGoの発言の善悪をどの宗教系統の善悪から判断しているのか疑問に思う。大和民族は実質的には無宗教であり、無宗教であることは自己の善悪(レッドカード)を持っていないことに等しい。この状態はある運動選手が自己の競技におけるレッドカード(善悪)を持ってないのに、他の運動選手の行為を炎上させて、批判しているように見える。これは非常に卑怯である。
今、俺らはDaiGoの発言を儒教的な善悪(レッドカード)から捉えてみよう。この時、俺らはDaiGoの発言はホームレスに対して少し失礼であると審判する。東洋文明では、失礼は悪い(レッドカード)。だから、DaiGoの発言も悪い(レッドカード)。儒教では、俺らはDaiGoの発言の善悪をこのように正当化する。
問題点
俺の認識 大和民族はDaiGoをノリや雰囲気で何となくいたぶっているように見える。
一般的に、大和民族は自己の宗教を隠蔽するので、俺らは彼らがどの運動競技系統の善悪(レッドカード)を持っているのかを知ることができない。にも関わらず、彼らはDaiGoの発言の悪性を批判し始めるので、俺は非常に驚く。大和民族は、西側白人が何となく怒ってくれそうやその場のノリや雰囲気で、DaiGoを何となく私刑しているように見える。
ラーメンズ時代の小林賢太郎が25年前のコントについて「愚かな失敗だった」と言っていたユダヤ人関係のネタと同じで、エンタメだからって完全に批判を免れるのが当然、という考えは甘ちゃんすぎますね
https://twitter.com/Nathankirinoha/status/1425829886699081736
上記の発言は典型的な大和民族の発言である。そこでは、大和民族は知識を披露したり、引用したりした後、彼らはDaiGoを叩こうとする。上記における一連の呟きには、Nathan はDaiGoの発言を悪いと判断していない。彼は「ラーメンズでは許されなかった」と何となく引用して、DaiGoの発言も許されないという “雰囲気” を醸し出している。
もし Nathan が DaiGo の発言を悪いと判断するならば、その時、彼は「俺は彼の発言を悪いと判断する」と彼自身の言葉で表現する必要があ る。 Nathan は「ラーメンズでは許されなかったので、DaiGoの発言も許されなかった」というロゴス的雰囲気を醸し出している。
一般的に、大和民族は思考の整合性を一切重視せずに、彼らはノリや雰囲気、そして事実の引用や報告やお気持ちによるつながりや共感で、他者を罰しようとする(私刑しようとする)。つまり、「引用や報告→共感や納得→(DaiGoの発言は)悪い」という空気や雰囲気が存在する。
反応
反応
俺の認識 大和民族のキモオタはナチスやヒトラーや優生学に関する知識を披露するが、誰もDaiGoの発言の善悪を判断しようとしない。
DaiGoが上記のような発言を実行した後、大和民族のキモオタは待ってましたとばかりにナチスやヒトラーや優生学の話を早口で披露しようとする。そして、彼らはDaiGoを無理やり白人の虐殺行為に関連づけて、鉄オタのようにアスペ的癇癪を本当にヒステリックに大げさに引き起こす(なお、DaiGoはナチスやヒトラーと異なり殺人犯でない)。
しかし、俺らが聞きたいのは、優生学に関する君らのオタク的知識でなく、「君はDaiGoの発言を悪と判断するのか」である。俺は説明や分析や報告、実況や引用や知識の披露を必要としていない。キモオタによるナチスに関する知識は十分であり俺らにとって不要である。
俺らは君の宗教は何であり、君はどの宗教の善悪を持ち、君がDaiGoの発言をどのように悪いとその善悪で判断したのかを知りたい。炎上はキモオタがナチスに関する知識を披露する場所でない。キモオタがナチスに関する知識を嬉々として早口で披露する様子は本当に気持ち悪いので、明日からやめろ。君の宗教と善悪を表現して、DaiGoの発言を判断せよ。
上記にも関係するが、結局、大和民族は自己の宗教や自己の確固たる善悪を持っていないので、彼らはDaiGoの発言の善悪を彼ら自身で判断することができない。その結果、彼らはキリスト教徒の(戦後)ドイツ人のキリスト教的な善悪を引用して、何となくDaiGoの発言は悪いと感じてもらおうとする。この帰結として、DaiGoの発言に関する炎上が「僕が知ってるナチスに関する歴史知識の披露宴」になり、なんかキモくなる。
反応
以下では、俺らはDaiGoの発言に対する文明的な反応を提示する。まず初めに、俺らは自己の宗教を明らかにする。例えば、俺らは「俺らはキリスト教徒である」と述べる。または、俺らは「俺らは儒教教徒である」と述べる。
次に、俺らは自己の宗教系統の善悪を明らかにする。例えば、俺らは「俺らはキリスト教系統の善悪を持ち、罪を悪いと判断する」と述べる。または、俺らは「俺らは儒教系統の善悪を持ち、失礼と悪いと判断する」と述べる。なお、東洋文明では、非礼も無礼も悪い。
最後に、俺らはDaiGoの発言の善悪をx宗教系統の善悪を使用して判断する。例えば、俺らは「俺らはDaiGoの発言を差別と審判する。差別は罪であり、罪は悪い(レッドカード)。従って、俺はDaiGoの発言を悪いと判断する」と述べる。儒教の場合、俺らは「俺らはDaiGoの発言を侮辱と審判する。侮辱は失礼であり、失礼は悪い(レッドカード)。従って、俺はDaiGoの発言を悪いと判断する」と述べる。
当然、上記の審判は個人に依存するので、問題ないと審判するキリスト教徒や儒教とも存在するだろう。繰り返すが、俺らはナチスに関する知識を早口で披露するのでなく、俺らは自己の宗教と自己の善悪を明らかにして、DaiGoの発言の善悪を判断する必要がある。より理想的には、俺らは自己の文明的な所属も明らかにする必要がある。