呉座勇一は北村紗衣と電街におけるツイッターで喧嘩した。その結果、呉座勇一は炎上した。その後、北村紗衣は女性差別的な文化を脱するためにというオープンレターを提示した。呉座勇一は彼の職を失いそうになった。現在、呉座勇一は人間文化研究機構を訴えた。
俺は詳細を知らないが、俺の見る所では、呉座勇一と北村紗衣の幼稚な喧嘩が炎上を超えて、呉座勇一の解雇に発展して、裁判沙汰になったように見える。さらに、そのオープンレターが呉座勇一の解雇に関係した可能性があるので、北村紗衣もまた厳しく批判されていて、かつ逆に訴えられそうになっているように見える。さらに、オープンレターそれ自体にも、深刻な不備が存在する可能性があるらしい。
以下では、俺は大和民族の学者に関する一般的な問題を日本国における民(客、契約相手)や学生や学生の親の立場から提示するつもりである。この北村紗衣は小保方晴子や新井紀子や野尻美保子に類似している。大和民族の学者の雌は本当に幼稚であり、彼女らの幼稚性は損害を契約相手に与える水準である。
大和民族の学者と統治
以下では、俺は大和民族の学者と統治について述べるつもりである。彼らは小学生の学級委員会のような組織しか作ることができないように見える。より悪くいうと、大和民族の学者は原始的な群れしか形成することができない。そこの原始的な群れでは、ホモ・サピエンスの雌が神として卑弥呼のように崇拝されている。
女神の涙や女神の一声
俺の儒教系統の認識 大和民族の学者は雌の涙や雌の一声によって容易に統治されている。
本来であれば、大和民族の学者は彼ら自身を民主制や法による統治、宗教が授ける善悪で統治する必要がある。しかし、現時点では、大和民族は可愛い女の子の涙や可愛い女の子の一声によって容易に支配されている。そこでは、彼らは可愛い女の子の涙を悪いと判断して、可愛い女の子が喜ぶことを善と判断する。さらに、彼らは可愛い女の子の一声を創造主の声を感じて、彼らはその声を真理と感じている。
文字通り、何の善悪を持たないホモ・サピエンスの雌が神様、つまり女神様になってしまっている。その女神が「アイツは悪い奴」と言えば、信仰者がその悪い奴を自ら攻撃し始める。その女神が「私は被害者です」とほろっと泣くと、たとえ女神が加害者であるとしても、信仰者はその女神を擁護し始める。
右の呟きが典型的な姫仕草(女神仕草)である。電街では、この種の人物はオタサーの姫と呼ばれている。上記では、北村紗衣は「二次加害」や「泣き出したりするようになった」とつぶやいている。北村紗衣がこの種の発言を実行するとき、周りの信者が北村紗衣は加害を受けたと信じる。そして、周りの信者がアイツは悪い奴だと言って、誰を攻撃し始める。周りの信者が「泣き出したりするようになった」という神の声を聞くと、周りの信者が慌てふためいて、北村紗衣ちゃんはかわいそうと擁護し始める。
しかし、そこには、損害(加害)に関するきちんと計算は存在しない。北村紗衣は学者であるので、彼女は損害に関する計算をきちんと提示する必要がある。また、彼女は38歳の中年女性であり、本来であれば、彼女は学生を保護する立場である。だから、彼女は「泣き出したりするようになった」という幼稚な発言を控える必要がある。この種の発言が許されると思っているのが職業的にも年齢的にも異常である。彼女は学者であるのにも関わらず、彼女は涙に訴えて、自己の損害や主張の正当性を提示していない。彼女は教師であるのにも関わらず、彼女は学生の前で「泣き出したりするようになった」という幼稚な発言を実行している。彼女は災害から子供達を命をかけて保護する小学校の教師よりも幼稚である。
右の発言も典型的である。もし北村紗衣が学者であるならば、彼女は自己の正当性や認識をきちんと提示する必要がある。北村紗衣は「はいはい」というふざけた句を使用している。また、北村紗衣は「二次加害みっけ」と言って、信者を動員しようとしているように見える。
この種の行為は教祖が「アイツは、悪魔だ」と言えば、信者がその悪魔を叩き始める行為に類似する。北村紗衣は単なる不快や不安を「二次加害」と言っているように見える。信者は女神の言葉を神の言葉と感じるので、姫が「二次加害みっけ」というと、信者は下記の呟きを二次加害と信仰して、発言者を叩こうとする。この「みっけ」もかわい子ぶった赤ちゃん言葉である。北村紗衣は彼女はこの種の発言を彼女への損害と認識すると成熟した言葉で呟くと必要がある。アンゲラ・メルケルやヒラリー・クリントンはこの種の幼さを持っていない。
悪い組織(社会システム)
以下では、俺は悪い組織の例を提示するつもりである。その組織とは、大学組織それ自体である。
善悪の欠如
俺の儒教系統の認識 悪い組織には、ある宗教系統の善悪がなく、女神の感情が善悪になる。
言い換えると、善悪の根拠がない。姫の感情を損ねることが悪い。不快感を姫に与えることが悪い。姫を不安にさせることが悪い。姫を泣かせることが悪い。一方、姫を喜ばせることが善である。悪い組織では、信仰者はこの種の善悪まがいを信仰し始める。
より酷くなると、女神それ自体が善なる対象として崇拝されるようになる。女神の存在は善であり、その存在に反するものは悪である。女神の状態は善であり、その状態に反するものは悪である。女神の行為は善であり、その行為に反するものは悪である。
普通の組織では、キリスト教系統の善悪や儒教系統の善悪、仏教系統の善悪がある。それらの種類の系統の善悪がそれぞれを組織における善悪の根拠になる。だから、x教系統の人間は自己の組織をx教系統の善悪で管理・統治する。
神の一声
俺の儒教系統の認識 悪い組織には、神の言葉が発生してくる。
今回の件では、女神の言葉が発生してくる。女神が二次加害と言えば、二次加害である。女神がアイツは悪いと言えば、アイツが悪い。女神がアイツをやっつけてと言えば、信仰者はアイツをやっつけようとする。小保方晴子が「STAP細胞はありまあ〜すっ!」とほろっと泣けば、信仰者はSTAP細胞の存在を本当に信仰し始める。
最終的な審判
・最終的な審判
俺の儒教系統の審判 大和民族の学者の統治には、民主制や法による統治や宗教が授ける善悪による統治は不要である。
大和民族の学者の統治には、可愛い女の子を与えとけば、それで十分である。大和民族の学者は民主制や法による統治や宗教が授ける善悪のような高尚な統治を認識することができない。大和民族の学者は人間社会における民を統治する唯一に正当な統治制度とは何であるのかと言ったような高尚なことを考えることができない。大和民族の学者は可愛い女の子やイケメンの西側白人を与えとけば、それで十分である。その時、昆虫という下等生物が火の中に彼ら自身で飛び込んで自ら焼かれるように、大和民族の学者は女神や白い神へと自ら支配されに突撃し始める。
大和民族の学者は民主制も法による支配や法治主義もやめて、彼らは卑弥呼式を採用すれば良い。彼らは本当に未開であり、現代文明に不適合を引き起こしているように見える。彼らにとって、可愛い女の子やイケメン白人(ただし東欧白人を除く)を崇めている状態が最も居心地が良いのだろう。一般的には、人間は暴力による支配や富による支配に違和感を覚える。だからこそ、彼らは民主制や法、そして善悪による統治をよりよい統治制度として提示してきた。女神や白人を崇拝することは暴力や富による支配よりも未開であり、下等である。
・刑事罰や政府の介入
俺の儒教系統の審判 オタサーの姫には、政府の介入や宗教集団の介入、酷い場合には刑罰が必要である。
オタサーの姫とは、オタクの社会でちやほやされるお姫様である。この用語はもともと電街用語出会ったらしい。オタサーの姫の具体例には、小保方晴子や新井紀子や野尻美保子、ちょまど(千代田まどか)が存在する。歴史的には、卑弥呼がサークルの姫であったかもしれない。
外部から見ると、北村紗衣の振る舞いや取り巻きは異常であり、完全にオタサーの姫化している。一般的には、オタサーの姫は公開キャバクラや公開ホストクラブのようにちやほやされすぎている。
そのため、彼女らは自己の感情や本能を公的な場所で制御できていなくなる。彼女らは本能垂れ流しでも、ちやほや肯定されてしまうので、彼女らは何をやっても許されると感じているように見える。最もわかりやすい例が小保方晴子である。
一般的に、大和民族に人間社会を形成させると、彼らはまともな社会を形成できない。彼らは「公開キャバクラ型ソサエティ」や「合気道の達人型」や「おばちゃん向け新興宗教型ソサエティ」のどれかを形成してしまう。学者という分析者は自己のソサエティを彼ら自身で作る能力がない。だから、彼らを先生と呼び、学問の自由や大学の自治の下で、彼らのソサエティを彼らに形成させると、上記の状態のどれかが形成される。