加藤文元の辞職〜東京工業大学理学院数学系とイケメン数学者〜

大和民族
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結論から言うと、私は今年の9月末で東工大を辞職します。大学を変わるのではなく、今回は大学教授自体を辞めます。これからも研究は続けますし、講演・執筆活動や現代数学を普及するための活動は継続するつもりです。教授になってしばらくは研究に集中する時間がとれず苦労しましたが(続く)

https://twitter.com/FumiharuKato/status/1509530981715578886

上記によると、加藤文元という数学者が辞職するつもりであるらしい。筆者の印象では、彼はオタク的でなく、見た目も良く、表面的には非常に常識的な人物である。彼は大学だけでなく、民間人としても優秀であるように思える。にも関わらず、彼は辞職を決意した。

筆者が加藤の呟きを読んだ後、筆者の下衆の勘ぐりでは、筆者は彼は大学それ自体が機能不全になりつつあるので、彼は大学から去る決意を実行したように思える。実際、彼は研究することができないと呟いていた。ただ、彼は彼の本音を隠しているだろう。当然、彼の辞職は個人的な問題の結果であるかもしれない。

以下では、筆者は大学の衰退に関する社会的な印象をなんとなく雰囲気で提示するつもりである。加藤のようなちゃんとした学者が辞めてしまうことは象徴的な事例になるかもしれない。なお、ここでは、筆者は加藤の個人的な問題に触れない。

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1.0 加藤文元

ここでは、筆者は加藤文元が誰であるのかを提示する。始めに、彼は加藤文元の生物的な事実を提示する。次に、彼は加藤文元の人工的な事実を提示する。

生物的な事実

加藤文元の人種はモンゴロイド人種である。加藤文元の小種(小人種)は東洋小人種である。加藤文元の民族は大和民族である。加藤文元の部族はおそらく東北部族である。

加藤文元のY染色体ハプログループは不明である。D1a2系統であるか、O1b2系統であるか、O2a系統である可能性がある。東北地方では、Nも観察される。加藤文元のミトコンドリアハプログループは不明である。

人工的事実

加藤文元の宗教は不明である。筆者の認識では、加藤はキリスト教徒である可能性がある。加藤文元の文明的所属は不明である。加藤文元の国籍は日本国籍である。加藤文元は日本国民である。加藤文元の職業は学者(研究者)である。加藤文元の言語は日本語(日琉語族)である。

2.0 大学の衰退と没落

以下では、筆者は大学の衰退及び没落の理論的な理由について述べるつもりである。その理由は社会設計能力の欠如と社会管理能力の欠如である。さらに、彼は選手や現場が権力を持つという問題を提示するつもりである。

社会設計能力の欠如

【俺系統の認識】
大和民族の学者は自己の社会を設計する能力を持っていないので、彼らは自己の大学や学問社会を衰退、かつ没落させてきた。

大和民族の学者は自己の社会を設計する能力を持っていないので、彼らは自己の大学や学問社会を衰退、かつ没落させてきた。社会設計能力は、例えると、サッカーのような運動競技を設計する能力である。フランス国民のキリアン・エムバペやアルゼンチン国民のメッシはサッカー選手としては優秀であるが、彼はサッカーシステムの設計者としては無能である。

大和民族の学者も同様である。彼らはある領域における知的選手としては優秀であるかもしれない。けれども、彼らは社会設計者としては無能である。大和民族の学者には、社会設計者が存在しないように見える。これは誰もある運動競技aを設計していないのに、その競技者を名乗る運動選手が競技しようとしているようなものである。その状態で、競技を実行しようとすると、競技それ自体がうまく機能しないのは自然である。

社会設計には、例えば、ある宗教系統の善悪や性規範、富の規範や契約の概念、法や刑罰が存在する。しかし、大和民族の学者は彼ら自身の社会システムを設計することができてこなかった。そのため、彼らはこの種の概念の全てを持たずに、白人の見様見真似で競技ごっこしてきたように見える。誰もシステムを設計していないので、彼らはある宗教系統の善悪も性規範も富の規範も契約の概念も法や刑罰も持っていない。

この状態は喜劇的である。なぜなら、この状態はある運動選手が自己のレッドカード(善悪)すら持たないまま、その選手は何らかの競技を実行してきたようなものである。競技それ自体が設計されていないのにも関わらず、その選手はサッカー選手(白人)を真似して、競技しようとしてきた。サッカー選手(白人)はきちんと設計された競技システムの中で競技している一方、その選手は設計されていないシステムもどきの中でサッカーごっこしてきた。

なお、西欧白人は彼らの西欧キリスト教系統の社会を西欧キリスト教や西欧ユダヤ教、古代地中海文明、近世以降の西欧文明で設計してきた。彼らは西欧キリスト教系統の社会で競技してきた。一方、大和民族の学者はどの宗教系統の社会で競技してきたのかすらわからない。そして、彼らは自己の社会をどの宗教やどの文明で設計しているのかすらわからない。

社会統治能力の欠如

【俺系統の認識】
大和民族の学者は自己の統治を設計する能力を持っていないので、彼らは自己の大学や学問社会を衰退、かつ没落させてきた。

大和民族の学者は自己の統治を設計する能力を持っていないので、彼らは自己の大学や学問社会を衰退、かつ没落させてきた。社会設計能力は、例えると、サッカーのような運動競技を統治する能力である。フランス国民のキリアン・エムバペやアルゼンチン国民のメッシはサッカー選手としては優秀であるが、彼はサッカーシステムの統治者としては無能である。

大和民族の学者も同様である。彼らはある領域における知的選手としては優秀であるかもしれない。けれども、彼らは社会設計者としては無能である。そのため、彼らは自己の社会システムは当然のこと、彼らは自己の性も自己の富(お金の管理)も自己の選手(職員や教員)も満足に統治することができていない。

性に関する統治能力の欠如では、大和民族の学者は女学生に発情して、甘やかす。彼らは小保方晴子のようなぶりっ子や新井紀子、野尻美保子のようなぶりっ子を台頭させる。または、鳥居啓子のような以上に無礼な勘違いオタクを台頭させる。なぜなら、大和民族の学者は雌雄ともに、自己のある宗教系統の性規範を持っていないので、性や発情、同性や異性の性それ自体を統治することができていない。

選手に関する統治能力の欠如では、暴力的な嫌がらせや学者による侮辱や中傷が存在する。例えば、有馬哲夫は実名で、お客である民を「愚民」と呼び続けている。しかし、たとえ彼がその侮辱を咎められても、彼はその侮辱を止めようとしない。なぜなら、大学や学問組織の統治能力が機能していない。

また、10年以上論文を書いていない自称学者が大学内で権力を持ってしまうのも、統治能力の欠如である。そのほかにも、西欧白人による人種的な侮辱発言や侮辱行為が蔓延しているが、彼らは白人それ自体を管理・統治するという発想を持っていないように見える。

モンゴロイド人種を家畜に例える上記の侮辱発言もなぜか放置される。その結果、「不良外国人」と呼ばれる侮辱者が蔓延する。

なお、西欧白人は彼らの社会を西欧キリスト教や西欧ユダヤ教、古代地中海文明、近世以降の西欧文明で統治してきた。基本的には、西欧白人の統治は西欧キリスト教系統の統治である。より正確には、基本的には、西欧白人の統治は西欧キリスト教系統及び古代地中海系統の統治である。一方、大和民族の学者はどの宗教系統の社会をどの系統の統治で統治してきたのかすらわからない。

選手による支配及び選手崇拝

【俺系統の認識】
大和民族の学者は選手による支配と選手崇拝を実行してきたので、彼らは自己の大学や学問社会を衰退、かつ没落させてきた。

大和民族の学者は選手による支配を実行してきたので、彼らは自己の大学や学問社会を衰退、かつ没落させてきた。例えると、これはフランス国民のキリアン・エムバペやアルゼンチン国民のメッシのようなサッカー選手が彼はサッカーシステムの設計者や統治者をになってきたような状態である。当然ながら、それを実行すると、サッカーシステムが壊れる。彼らは単なる選手、つまり労働者であり、彼らは統治者や設計者でない。

例えば、選手は社会システムを設計することができない。そのため、彼らに設計させると、彼らはキリスト教徒でないのにも関わらず、白人の真似をして、男女平等を実行しようとする。なぜなら、彼らは白人と同じじゃないと嫌だから、不安だから。なぜなら、彼らはお金を搾取して、地位を獲得されて、先生、先生と呼ばれて、ちやほやされたいか。なぜなら、彼らは民の富を可愛い女の子に贈って、好かれたい。

さらに、彼らは二重国籍を欧州や北米を引用して、彼らは二重国籍を獲得しようとする。そこには、機会平等も機会公平も存在しない。このように、彼らは自己の社会すらまともに設計できないので、彼らは白人の都合の良い部分のみを非整合的に、宗教的な整合性もなく、つぎはぎ、ごちゃ混ぜにしようとする。

これは卓球の世界にサッカーの決まりを持ち込むような行為である。しかし、労働者階級、つまり平民は社会システムを設計するつもりも、統治するつもりもないので、彼らは彼ら自身の社会をこのように設計?しようとする。

大学では、研究者という選手が先生、先生と呼ばれて、偉くなってしまうので、社会の統治者や社会の設計者がいなくなり、社会それ自体が衰退するように思える。その他には、弁護士や医者や学者がいわゆる選手である。

上記は映画産業やIT産業にも応用される。技術者はあくまで会社における選手であり、会社はサッカーチームであり、産業でない。技術者も会社も産業もソサエティも彼ら自身で形成することができない。実際、技術者や会社に好き勝手にさせると、日本語はカタカナ用語で崩壊して、日本国の景観はぐちゃぐちゃのスラム街のようになっていて、言語公害や景観公害を撒き散らしている。邦画もゴミクズになった。

大学でも上記の現象が生じているように見える。学者は単なる選手であり、大学は会社に該当する。学者も大学も学術産業(業界)も自己のソサエティを作る能力を持っていない。しかし、単なる選手が先生と呼ばれて、まるで統治者のように振る舞うので、彼らのソサエティがうまく機能してこなかった。

実際、上記の加藤も研究の時間が取れないと嘆いている。しかし、加藤を含む学者は大学の自治を主張してきた。だから、彼らは彼ら自身のソサエティを彼ら自身で統治して、彼らの富と時間を彼ら自身で作り出す必要がある。けれども、筆者の印象では、加藤はその能力を持っていない。なぜなら、彼は知的選手であり、与えられた対象を分析することができるが、彼はソサエティを設計したり、そのソサエティを統治・管理することができない。

電飛

以下は加藤のwebsiteやツイッターである。

(1)加藤文元のwebsite
(2)加藤文元(ウィキペディア)
(3)加藤文元のツイッター

 以下は加藤による書籍である。

(1)数学の想像力
(2)ガロア
(3)物語数学の歴史

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