エラム人とエラム語〜Y染色体ハプログループJ2とシュメール人〜

コーカサス人種
https://en.wikipedia.org/wiki/Elamite_language#/media/File:ElamischeStrichschrift.jpg
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 エラム語(エラムご)は系統不明の言語で、古代のエラム帝国紀元前2800年頃から紀元前550年頃に使われ、紀元前6世紀から紀元前4世紀にかけてペルシア帝国の公用語であった。最後のエラム語の文字による記録はアレクサンドロス大王によるアケメネス朝の征服の頃に残されている。現在は死語になっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/エラム語
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1.0 エラム人

1.1(著者系統の憶測)
エラム人はY染色体ハプログループJ2を持っていた。

または、エラム人はY染色体ハプログループG2aやE1b1bやHを持っていた。個人的には、筆者はエラム人もシュメール人もY染色体ハプログループJ2を持っていた可能性があるように感じる。その他の可能性としては、TやL系統が存在する。

氷河期の終わりの後、Y染色体ハプログループJ2はコーカサスあたりからアナトリアやイランへと拡散した。Y染色体ハプログループJ1もまたコーカサスあたりからメソポタミア及びアラビア半島へと拡散した。J2はJ1よりも農耕民族的であり、J1はJ2よりも牧畜民族的であったように感じる。

This finding was interpreted as a founder effect associated with small groups of Neolithic herder–hunters moving into the arid regions of the Arabian Peninsula with a pastoral economy, whereas another ancestral population with a closely associated sister clade, J2a-M410, remained mainly in the regions of the Fertile Crescent that had sufficient rainfall to support a Neolithic farming economy

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC2987219/

現在におけるY染色体ハプログループJ2の分布を観察すると、彼らはアナトリアとイランにかけて分布する。また、この論文によると、イラン及びインドにおけるゾロアスター教徒の一部もY染色体ハプログループJ2を持っている。エラムの位置を考慮すると、エラム人がY染色体ハプログループJ2を持っていた可能性は0でない。

また、エブラやアララハ遺跡でも、J2はJ1aとともに観察される。4000年前(紀元前2000年)におけるバクトリア・マルギアナ複合でも、『E1b1a (1/18), E1b1b (1/18), G (2/18), J* (2/18), J1 (1/18), J2 (4/18), 
L (2/18), R* (1/18), R1b (1/18), R2 (2/18), and T (1/18).[49]』が観察された[引用]

2.0 エラム語

2.1(著者系統の思考の規範)
もしエラム語がY染色体ハプログループJに対応しないならば、エラム語はEやGやHに対応する。

言い換えると、もし膠着語がY染色体ハプログループIJK系統に対応しないならば、エラム語はEやGやHに対応する。この時、エラム語はE1b1やG2やH系統の可能性がある。現代世界には、屈折語はR系統やJ系統に対応する。膠着語はDE系統とC系統とH系統に対応するように見える。

2.2(著者系統の思考の規範)
もしエラム語がY染色体ハプログループJ、特にJ2に対応するならば、ドラヴィダ語族もウラル語族もアルタイ諸語もJ、特にJ2に対応する。

上記は「対応する可能性が高い」が正確である。もし下記が正しいならば、この世界の全ての言語はJ系統、特にJ2系統によって創造された可能性が上昇するだろう。この時、世界の言語の全てがセム語族から派生したという考えが再来するだろう。また、膠着語と屈折語とY染色体ハプログループの対応に関する認識には、修正が必要になるだろう。

地理的に遥か離れたドラヴィダ語とウラル語・アルタイ語の類似性には謎が多いが、総合的に勘案すれば、メソポタミア文明を携えた原エラム人が、一方ではパキスタンに移住してインダス文明・ドラヴィダ語族を生じさせ、他方では東アジアに移住し遼河文明ウラル・アルタイ語族を生じさせた可能性がある。エラム人のY染色体ハプログループはJ2と想定されるが、ドラヴィダ人にはJ2が約20%ほどの中頻度で観察され[1] 、満州・遼河地域においてもハプログループJが約8%みられる[2]

https://ja.wikipedia.org/wiki/ドラヴィダ語族

筆者は上記の[2]を読んだが、彼の英語能力の欠如のためか、彼は『満州・遼河地域においてもハプログループJが約8%みられる』と発見することができなかった。なお、インダス文明の主体はイラン系農耕民と在来のドラヴィダ人の交雑の結果の可能性もある。

電飛

論文1:「The Genetic Legacy of Zoroastrianism in Iran and India: Insights into Population Structure, Gene Flow, and Selection
論文2:「Dual origins of the Japanese: common ground for hunter-gatherer and farmer Y chromosomes

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