アリストテレスは形相と質料という考えを提示した。一般的には、形相は対象の形であり、質料は対象の要素であった。しかし、俺らが彼の考えに接するとき、俺らは「だから、何?」と疑問に思っただろう。
このような当たり前の考えが高尚な考えとして紹介される。俺らはこの状態に違和感を覚えてきた。以下では、俺らはアリストテレスの質料の意味を提示する。
個人的な印象では、アリストテレスの時代の哲学者の考えを理解するためには、俺らは人間社会に関する背景や物事の意味を把握する必要がある。なお、質料の英語は「matter or stuff」であるらしい。俺はsubstanceという訳語も見たことがあるように思える。
背景
背景:もしある対象が人間の要素(質料)を持つならば、その対象は人間であるのか?
もしある対象が人間の要素(質料)を持つならば、その対象は人間であるのか?言い換えると、ある対象が存在して、その対象が俺らと同じ要素(質料)を持っていた。このとき、その対象は俺と同じ対象(人間)であるのか?
俺らは俺らの目の前の対象が俺らと同じであるかを判定したい。このとき、俺らはその対象の要素(質料)、つまり要素(質料)を見る。そして、その対象が俺らと同じであるのかを判定しようとする。
例えば、俺らが目の前の対象がチョコレートであるかを判定したい。たとえ俺らがチョコレートの形相(form)を知るとしても、俺らはその対象がチョコレートかを判定できない。なぜなら、チョコレートがチョコレートであるためには形相(form)に無関係であり、その要素(質料)に関係する。人間はどうだろうか?
細胞
上記の判定法は間違いである。反例は細胞塊や臓器である。例えば、実験室での人間の細胞塊は人間と認識されない。もし上記の推論が正しいならば、そのとき、俺らは細胞塊を俺らと同じ人間と判定する必要がある。なぜなら、それらは俺らと同じ要素(質料)を持っている。
つまり、俺らはある対象が俺らと同じである対象(人間)であるのかを対象の要素(質料)からは判定できないと結論づける。口語的には、たとえ目の前の対象が俺らと同じ要素(質料)を持つとしても、その対象が俺らと同じ人間であるとは必ずしも言えない。
日常的には、たとえある対象が人間と同じ要素(質料)を持つとしても、もしその対象が人間と同じ形を “生得的に” 持っていないならば、俺らはその対象を同じ人間と認識しないだろう。人間の要素(質料)を持つが、ぐちゃぐちゃでまともに機能していない対象は人間と認識されない。
原子
古代ギリシアでは、古代ギリシア人は原子という最小単位を考えた。自然界における任意の対象は最小単位まで分割される。彼らはその最小単位を原子と呼んだらしい。
人間の要素(質料)を仮定するとき、もしある対象が人間の要素(質料)を持つならば、その対象は人間であるのか?この推理は正常に機能しない。なぜなら、このとき、電子計算機や太陽まで人間になる可能性がなる。なぜなら、最小単位まで分割していくと、人間と太陽の違いはなくなるだろう。
ケイ素生物
ある対象が存在して、その対象の形は人間の形に等しい。けれども、その対象の要素(質料)はケイ素であった。この時、その対象は人間であるのだろうか?
日常的には、要素が異なるとき、対象の機能や形式も異なる。だから、その対象は創作でない限り人間でないだろう。
質料の意味
質料の意味:俺らは対象の要素(質料)を使用して、対象をその要素(質料)に一対一に唯一に対応させたい。
俺らは対象の要素(質料)を使用して、対象をその要素(質料)に一対一に唯一に対応させたい。言い換えると、俺らは俺らが対象の要素(質料)を指定すれば、その要素(質料)に対応する対象が一対一に唯一に定まるようにしたい。対象の本質とは、対象に一対一に唯一に対応する性質である。
ここでは、対象は棚であり、対象の性質は棚の引き出しである。性質には、形式(form)や色や要素(質料)がある。対象の本質は、棚に一対一に唯一に対応する引き出しである。
つまり、ある対象aが存在するとき、もし性質αが対象の本質であるならば、俺らが性質αを指定するとき、対象aが自動的に一対一に唯一に定まる。もし要素(質料)αが対象の本質であるならば、俺らが要素(質料)αを指定するとき、対象aが自動的に一対一に唯一に定まる。棚のたとえでは、もし俺らがある棚の引き出しαを指定するならば、その引き出しαに対応する棚が自動的に一対一に唯一に取り出される。
人間の場合
上記では、俺らは対象の要素(質料)から人間を一対一に唯一に対応させることができなかった。たとえ俺らが人間の要素(質料)を指定するとしても、俺らは細胞塊や臓器を排除できない。そのとき、人間の要素(質料)を持った生物が取り出される可能性が生じる。
言い換えると、俺らは人間の本質とは人間の要素(質料)でないと解釈することができる。なぜなら、人間の要素(質料)には、細胞塊や臓器が含まれる。たとえ俺らが人間の要素(質料)を使用するとしても、俺らは人間を人間の形に一対一に唯一に対応させることができない。
ただし、人間の形よりは、人間の要素はより強い条件に見える。要素の場合、原子まで分割しないと仮定すると、生物として生きていることが条件になるように見える。遺伝子の場合は不明である。しかし、形と要素の合わせ技を使用すると、俺らは対象をより強く定めることができるように思える。
数学〜点〜
数学の場合、上記の要素(質料)の意味はうまく機能する。例えば、二つの対象が存在すると仮定する。もしその二つの対象が同じ要素(質料)を持っているならば、その二つの対象は同じ数学的な対象としばしば定義されるように見える。
ただし、要素(質料)の数が等しいなどという条件は提示されるかもしれない。例えば、その要素とは数学的な対象の点である。ただ、四角形や三角形を要素としたり、次元を考えることも可能である。さらに、要素の場合、要素の数も重要になるように見える。しかし、無限を考えると、集合論?などによって不思議な現象が生じるのかもしれない。