ノモンハン事件でソ連軍を指揮したジューコフの言葉 「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」
https://twitter.com/hkakeya/status/1421262436846358529
上記は掛谷英紀(hkakeya)によるジューコフの引用である。ジューコフの言葉は俺の実感にも合致している。ここでは、なぜ「日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である」であるのかを提示するつもりである。
一般的に、首長は無能であると指摘されるとき、人々は政治家や社長が無能であると想像するだろう。けれども、首長や政治家や社長だけでなく、学者も弁護士も医者も全てジューコフの言葉に該当する無能である。
組織的理由
選手
管理と統治:大和民族は社会システムにおける選手として優秀であるが、彼らは社会システムの管理者や統治者としては無能である。
大和民族は社会システムにおける選手として優秀であるが、彼らは社会システムの管理者や統治者としては無能である。ジューコフの発言は「大和民族は兵士という選手としては優秀であるが、組織の管理者や統治者としては非常に無能である」と置き換えられる。
例えば、西アフリカ人の運動選手は競技者としては世界で最も優秀である。けれども、彼らは運動競技の管理者や統治者、そして運動競技システムの形成者としては優秀でなく無能である。運動競技における西アフリカ人の優秀さは大和民族の選手(兵士)としての優秀さに類似する。
ただし、西アフリカ人が運動競技の管理者や統治者として無能であるように、大和民族は組織や社会の管理者や統治者として無能である。例えば、大和民族の学者である大栗博司や村山斉や立川祐二は知的選手としては非常に優秀であるが、国家システムの管理者や統治者としては完全に無能である。
選手の管理者化(統治者化)
選手の管理者化(統治者化):選手として優秀な大和民族が先生と呼ばれて、社会システムを管理・統治しようとするので、社会システムが失敗する。
選手として優秀な大和民族が先生と呼ばれて、社会システムを管理・統治しようとするので、社会システムが失敗する。例えば、学者や医者や弁護士は社会システムにおける知的選手である。けれども、学者や医者や弁護士は社会システムの管理者や統治者でない。
医者は獣医であり、羊飼いでなく、学者は単なる情報製造者であり、国家の統治者でなく、弁護士は法律の運用者であり、善悪の創造主でない。けれども、大和民族の社会では、大和民族は文明的でなく未開であり、管理や統治が何であるのか把握できないので、単なる優秀な選手を「先生、先生」と崇拝してしまう。
上記の例で例えると、大和民族の社会では、運動選手として優秀な西アフリカ人が社会システムや国家システムの管理者や統治者を担っているので、彼らは無能に見える。大和民族の社会では、医者や弁護士や学者が統治者を凌駕しようとするので、または彼らが「統治者ごっこ」を繰り返すので、無能な首長が生じる。
個人的理由
認識の欠如
認識の欠如:大和民族は認識能力を持っていないので、管理者や統治者として無能である。
大和民族は認識能力を持っていないので、管理者や統治者として無能である。一般的に、管理者や統治者には認識能力や判断能力が要求される。それに対して、知的選手には、選手として競技するための知覚能力や情報処理能力が要求される。認識能力の高さは統治者がボケていないことを示す。
上記と少し重複するが、大和民族は選手が管理者や統治者になろうとする。けれども、選手は認識能力を持っていないので、彼らは現状を正確に認識することができない。だから、彼らは戦場や現在の世界で起こっていることを正確に認識することができない。ガキが自己の行為をいじめと認識できないように、ジュニアアイドルが性的な搾取を認識できないように、大和民族は俺らの世界を正確に認識することができていない。
例えば、大和民族の科学者や数学者ですらアメリカ大陸における現状が白人帝国主義の継続であると認識することができない。けれども、国家の統治者に本当に要求される能力とは、アメリカ大陸の状況を白人帝国主義の継続であり、アメリカ先住民が統治者をやっていない状況は奴隷的な状態であると認識することである。
大和民族の統治者のほとんどは欧州人がアメリカ大陸で国民国家を建設していることを何かおかしいと認識できないし、アメリカ先住民でなく欧州人が原子力爆弾をアメリカ大陸から落下させたことを何かおかしいと認識することができない。もし俺らがまともな認識能力を持つならば、俺らは国民国家という制度を否定して、かつアメリカ大陸をモンゴロイド人種の自然な生息地として返却してもらうだろう。
判断の欠如
判断の欠如:大和民族は(善悪の)判断能力を持っていないので、管理者や統治者として無能である。
大和民族は(善悪の)判断能力を持っていないので、管理者や統治者として無能である。さらに悪いことに、大和民族の統治者は自己の善悪(レッドカード)それ自体を持っていない。だから、大和民族の統治者は物事の判断を生得的にも下せない状態である。