1人称的な死と3人称的な死〜自己の運転手の視点と第3者の運転手の視点〜

俺らについて
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 以下では、彼は1人称な死と3人称な死を提示する。印欧語族では、1人称と3人称に関する明確な区別が存在する。この宗教でも、彼は1人称視点と3人称視点を明確に区別する。

1.0 1人称な死

まず、彼は1人称な死を提示する。彼は「俺は死ぬ」と言う。もし彼が死ぬならば、彼の視点は地球の上には存在しない。彼の視点は宇宙、正確には、物質世界のどこにも存在しない。言い換えると、彼の視界(視蟲)も彼の運転手も物質世界のどこにも存在しない。

彼の意識や彼の運転手がどこに行くのかは不明である。現実的には、それらは永遠に消え失せる。一般的には、落伍者(terrolist)は自己の死を主観的に捉えるので、彼らは自爆を後先考えずに実行するだろう。彼は次の思考規範を1人称視点で提示する。

1.1(俺系統の思考規範) もし俺が死ぬならば、俺の運転手や俺の意識は地球の上及び物質世界には存在しない。

もし俺が死ぬならば、俺の運転手や俺の意識は地球の上及び物質世界には存在しない。ただし、主観的には、「俺が死ぬ」の部分は成立しない。なぜなら、彼が死んだ時、彼は彼自身が死んだことを彼自身で確定させることができない。

上記を3人称視点で書くと、次になる。もし彼が死ぬならば、彼の運転手や彼の意識は地球の上及び物質世界には存在しない。ただし、この規範が正しいのかは不明である。なぜなら、誰も彼の意識や運転手を知覚、把握することができない。さらに、彼は次の規範を提示する。

1.2(俺系統の思考規範) もし俺が死ぬならば、俺の世界は終わる。

もし俺が死ぬならば、俺の世界は終わる。彼は彼の世界が何であるのかを厳密には認識していない。しかし、その世界では、地球を感じたり、地球を見たりしてきた。もし彼が死ぬならば、彼の世界は終わる。これは主観的には、正しいように思えるが、3人称視点では、異なる。なぜなら、たとえ彼が死ぬとしても、世界(誰の?)は終わらない。

1.3(俺系統の思考規範) もし「もし俺が死ぬならば、AはBである」が存在するならば、AはBであるは1人称的には導かれない。

もし「もし俺が死ぬならば、AはBである」が存在するならば、AはBであるは1人称的には導かれない。例えば、もし俺が今死ぬならば、俺の子供達が金銭的に困る。この規範は成立しない。ただし、彼が俺を彼に変えて、もし彼が死ぬならば、彼の子供達は金銭的に困るは成立する。

2.0 3人称な死

次に、彼は3人称な死を提示する。もし彼が死ぬならば、彼の肉体は地球上にとどまって、存在するだろう。彼の肉体は腐敗するだろう。そして、彼の肉体は火葬されるか、土葬されるだろう。そして、彼の骨は腐るだろう。彼の子孫は地球の上で生き続けるだろう。

一般的には、人間は自己の死を客観的に把握する。そうすることによって、彼らは持続する人間社会を形成してきた。また、死にゆく人間も自己を死を客観的に把握して、遺言や遺産を子孫へと残してきた。

ただし、3人称な死においても、3人称は彼の運転手や彼の意識を把握することができない。だから、彼の運転手や彼の意識が彼の肉体の崩壊とともにどうなったのかは誰にもわからない。

2.1(俺系統の認識) 1人称の死は3人称の死と異なる。

1人称の死は3人称の死と異なる。具体的には、主語が俺と彼であり、それらは互いに異なる。また、死ぬと言う動詞も死という名詞も互いに異なる。つまり、彼が認識するのは、1人称の死は3人称は互いに異なる現象である。S V ≠ S’ V’ 程度には異なる。Sは主語であり、Vは動詞である。上記を一般化すると、彼は次の認識を獲得する。

2.2(俺系統の認識) 1人称の現象は3人称の現象と異なる。

1人称の現象は3人称の現象と異なる。彼の予想では、任意のSとVに関して、S V ≠ S’ V’ が成立する。ただし、死の場合、運転手の存在が問題になるので、人称による違いが大きく関係するかもしれない。

3.0 言語的な表現

3.1(俺系統の思考規範) 彼は死を膠着、または屈折させる。

彼は具体的な例を便宜的に提示する。屈折では、彼は3人称の死(shi)をシャ(sha)のように屈折させる。この時、「彼のシャは残念であった」と言う文が生じる。一方、彼は1人称の死をシュ(shu)のように屈折させる。この時、「俺はシュ(shu)を恐れる」と言う文が生じる。膠着では、彼は死(shi)をシカレやシオレのように膠着させる。

同様に、彼は死ぬと言う動詞も屈折させる。例えば、3人称的に死ぬは「シャぬ」であり、1人称的に死ぬは「シュぬ」である。「彼はシャぬだ」や「俺はシュぬだろう」。彼は単なる死を原型として使用する。

英語で例えると、deathがdoothやdiithに屈折する。dieがdaeやdoeに屈折する。膠着では、deathがdeathhis(デシィズ)やdeathmy(デスミ)のように膠着する。

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