俺らは食物やお金を人々へと分配することができた。また、俺らは一個のケーキを家族へと分配することができた。では、俺らは運転手それ自体を分割することができるのだろうか?
例えば、漫画の封神演義では、伏犠の魂魄は分割されて、太公望及び王天君の肉体へと入れられた。理想的には、俺らはこの種の運転手の分割性を信仰したいが、自己を分割することを具体的には想像しにくい。ここでは、彼は運転手の分割性を仮想的に思考する。
1.0 運転手の分割性について
1.1 運転手の分割性と不滅性
紀元前4世紀の古代ギリシャの哲学者プラトンは、著作『パイドン』の中で、死はソーマ(肉体)からのプシュケー(いのち、心、霊魂)の分離であり、そして分離したプシュケーは永遠に不滅であるとした。不滅であることのひとつの理由として、プシュケーは部分を持たない、とした。つまり何かを破壊するためにはそれを部分に分けなければならないが、プシュケーには部分がないのだからそれは分けることができない、すなわち破壊不可能である、と論じた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/実体二元論
上記によると、プラトンは魂は不滅である、なぜなら、魂は分割されないと論じたらしい。筆者がその魂を運転手と仮定するとき、彼もまた運転手を分割することができないように感じる。
しかし、同時に、彼が睡眠に伴う意識及び運転手の一時的な喪失を考えるとき、たとえ運転手が分割されないとしても、運転手は消失するように思える。同様に、たとえ意識が分割されないとしても、意識もまた消失するように思える。彼はこれを物質に適用するとき、彼は次の推論を獲得する。
1.1(俺系統の思考規範) 最小要素は分割されない、かつその要素は消失する。
現時点では、その要素は原子や素粒子である。一般的には、原子は最小単位であるので、それは永続的に継続すると考えられているように思える。しかし、彼が睡眠に伴う意識及び運転手の一時的な喪失を考えるとき、最小要素もまた一時的に喪失する可能性があるように思える。そして、その要素もまた肉体の破壊に伴う運転手と意識の死のように、死ぬ。
なぜなら、この宗教では、彼は物質を無から分岐していると信仰する(電飛先2.3)。この時、物質は毎秒ごとに無から分岐して、睡眠のように無から戻っている。物質世界の創造主が毎秒ごとに創造しているのか、創造された世界を毎秒ごとに分岐させているのかは不明である。
1.2 運転手の分割性
ここでは、彼は運転手の分割性について考える。一般的に、彼がある対象を分割するとき、彼は何に対して分割するのかを考える必要がある。この時、彼は意識を使用してみる。すると、彼は次を獲得する。
1.2(俺系統の思考規範) もし彼が彼の運転手を分割するならば、彼はその運転手を意識(それぞれの蟲)に対して分割する。
例えば、彼はその運転手をある視界や聴覚や性欲や感覚(痛覚)に対して割る。すると、彼の運転手は彼の意識の数に分割される。彼は分割された運転手を分割運転手と便宜的に呼ぶ。
例えば、正常な状態では、彼の運転手は意識という総体に対応しているように感じる。彼はこれを運転手〜意識や運転手/意識と表示する。その後、彼が運転手をそれぞれの意識に対応させると、運転手1/視界(視蟲)と運転手2/聴覚界(聴蟲)、…に分割されていく。
なぜなら、この宗教では、運転手は意識から分岐すると仮定的に信仰した(電飛2.2)。この時、互いに分離された意識に対して、ある運転手が対応していることは自然である。例えば、正常な状態では、それぞれの意識は統合されていて、その統合体に対して、ある運転手が対応しているのかもしれない。
1.3 復活の主体及び対象
1.3(俺系統の目的) たとえ運転手が分割されるとしても、彼は全ての運転手を復活させる。
上記はこの宗教における目的の一つである。この宗教は創造主の運転手の全てを復活させる。