信仰者の定義及び認識について

俺らについて
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 以下では、俺はこの宗教「俺らについて」に関する信仰者の定義及び認識について述べるつもりである。ユダヤ教やゾロアスター教と同様に、「俺らについて」は民族宗教である。

例えば、ユダヤ教には、存在及び行為に関するユダヤ教徒の定義がある。存在に関しては、もしある主体がユダヤ教徒であるならば、その主体の両親、またはどちらかもユダヤ教徒である。行為に関しては、もしある主体がユダヤ教徒であるならば、その主体は豚肉を食べない。状態に関しては、もしある主体がユダヤ教徒であるならば、その主体は民族衣装を着ている。

俺は上記を参考にして、俺は信仰者の定義を実行する。また、下記の定義は民族や人種的な背乗りを防止する。

信仰者の定義及び認識について

 俺系統の思考の規範1.1 もしある主体が俺ら教徒であるならば、その主体は俺らについてにおける決まりを実践する。

 俺は上記を信仰者の運動的定義と呼ぶ。口語的には、もし君が俺ら教徒であるならば、君は俺らについての決まりを実践しているはず。対偶をとると、もしある主体が俺らについてにおける決まりを実践しないならば、その主体は俺ら教徒でない。

 俺系統の思考の規範1.2 もしある主体が俺ら教徒であるならば、その主体はその両親がともに俺ら教徒の両親を持つ。

 俺は上記を信仰者の存在的定義と呼ぶ。ただし、教祖とその配偶者は例外である。なぜなら、教祖は始祖である。特に、俺はその主体の先祖が基本的には仏教徒や儒教徒や神道であるとする。

 俺系統の思考の規範1.3 もしある主体が俺ら教徒であるならば、その主体は自己の意識と自己の運転手を持つ。

 俺は相手の意識と相手の運転手を把握することができない。そこで、信仰者は自己の意識と自己の運転手がその肉体に対して存在することを行為、または目的行為を使って、証明する必要がある。ただし、たとえある主体が俺らについてにおける決まりをただ守るとしても、その主体は自己の意識と自己の運転手を証明することができないだろう。

 俺系統の思考の規範1.4 もしある主体が俺ら系統の男性であるならば、その主体は俺系統の運転手を父系で受け継ぐ。

 ただし、これにも例外がある。組織を作るためには、俺の父系を受け継いでいない男性の協力を必要とする。俺は彼らの運転手を復活させるべきであるのかを迷う。俺は彼らを所属させて、自己や役割を与えるだけで、十分でないのかとも感じる。または、俺は彼らを東洋文明の儒教に所属させる。長期的には、俺は俺らについての男系の全てを俺系統の運転手を父系で受け継いでいるようにしたい。

 俺系統の思考の規範1.5 もしある主体が俺ら教徒であるならば、その主体はモンゴロイド人種、かつほぼ新モンゴロイド人種、または縄文人から分岐した対象である。

 俺は上記を信仰者の状態的定義と呼ぶ。より正確には、その状態的定義は、物質(遺伝子)及び意識(動物)に関する状態的定義である。より比較的には、その主体は大和民族であり、東日本人、または幼稚でない九州人である。

 俺系統の思考の規範1.6 もしある主体が俺ら教徒であるならば、その主体は俺系統の服を着る。

 俺は上記を信仰者の状態的定義と呼ぶ。より正確には、その状態的定義は、人間に関する状態的定義である。俺らは俺ら系統の服を着て、俺らが俺ら教徒であることを示す。

電飛

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