以下では、俺はなぜローマ帝国はキリスト教になったのかを提示するつもりである。今から、1700年前に、ローマはキリスト教になった。俺の認識では、この影響は人類史に残る水準で大きかった。その後の欧州や西洋文明を決定づけた。
理由
・社会システムの欠如
俺の認識 アーリア人は宗教という自己の社会システムを彼ら自身で形成することができなかったので、より強力な社会システム「キリスト教」に敗北した。
だから、ローマ帝国はキリスト教になった。一般的に、アーリア人は牧歌的な多神教の世界に住んでいた。彼らの父なる創造主は彼らの民族や彼らの世界認識をアーリア人の息子たちに授けた。しかし、彼らの創造主は彼らの社会システムや彼らの父系善悪をアーリア人に授けなかった。
一方、キリスト教はセム人の父系の社会システムを民に授けた。さらに、キリスト教はセム人の父系の善悪を民に授けることができた。アーリア人は自己の強力な社会システムを形成できなかった一方、セム人はより強力な社会を形成することができた。だから、セム人系統の社会システムがアーリア人の系統の社会システムに勝利した。
その結果、アーリア人の社会システムがセム人系統の社会システムに置き換わった。つまり、ローマ帝国や地中海文明それ自体がセム人系統の社会システムになってしまった。もしアーリア人がキリスト教よりも強力な社会システムを作れていたならば、ローマはキリスト教化されなかっただろう。
・ソサエティの欠如
俺の認識 アーリア人はテクノロジーや生活形態の変形に優れているが、彼らはソサエティに優れていない。
一方、セム人はソサエティに優れている。家畜化は中東でも進んでいたはずである。しかし、馬の本格的な家畜化を実行して、発展させたのは、ヤムナ文化におけるY染色体ハプログループR1bであった可能性があった。加えて、古代地中海世界における数学及び科学、近代における近代科学や近代数学はアーリア人によって推し進められてきた。
その結果、移動テクノロジーや通信テクノロジー、軍事テクノロジーや医療テクノロジーが爆発的に発展してきた。このテクノロジーの優位性は古代ローマ人における建築やコンクリート、彫刻にも観察される。古代ローマもまたアーリア人的なテクノロジーに優れていたように見える。
しかし、アーリア人は自己の強力なソサエティを形成する能力を持たなかった。だから、アーリア人は軍事的にもテクノロジー的にもセム人を優越したが、ソサエティ的に敗北して、キリスト教化された。