以下では、俺はx教系統の言葉について述べるつもりである。この宗教では、俺は言葉を言語から区別する。俺は俺系統の言葉と俺系統の言語を一致させる。また、俺は自己でない言葉を取り入れることを悪いと判断する。
俺は俺系統の言葉を創造主系統の言葉、かつ唯一神の言葉であると認識して信仰して約束する。そして、俺はその言葉を俺語という言語(形式)に乗せて信仰者へと伝達する。
x教系統の言葉
俺系統の認識1.0 x教系統の言葉は言葉である、かつそれをx教徒が話す(書く)。
xをキリストと仮定すると、キリスト教系統の言葉は言葉であり、かつそれをキリスト教が話す(書く)。なお、言葉は言語でない。例えば、キリスト教が彼らの言葉を日琉語族で話すとき、その日本語はキリスト教系統の言葉である。言葉は中身であり、言語はその言葉を載せる形式である。
えりアルフィヤという日本国民が存在して、彼女は日本国の統治者に参議院選で立候補した。彼女はキリスト教徒であるように振舞っている。彼女は日本語を話すが、彼女の言葉はキリスト教系統の言葉である。ただ、彼女の話す言語は日本語である。
キリスト教系統の言葉を印欧語族で表現する。仏教系統の言葉をシナ・チベット語族で表現する。儒教系統の言葉をセム語族で表現する。これらの可能性が存在する。より宗教的には、次がある。アッラー系統の言葉をシナ・チベット語族で表現する。ヤハウェ系統の言葉をウラル語族で表現する。
俺系統の認識1.1 x父系統の言葉は言葉である、かつそれをY染色体ハプログループxを持つ主体が話す(書く)。
上記は認識よりも仮定に近い。例えば、xをD1a2aと仮定すると、D1a2a父系統の言葉は言葉である、かつそれをY染色体ハプログループD1a2aを持つ主体が話す(書く)。
可能性として、縄文人が儒教系統の意見をD系統の言葉、かつ儒教系統の言葉でセム語族で表現する。俺は父系系統の言葉を「父葉(ふば)」と便宜的に呼ぶ。この時、x教系統の父葉は言葉である、かつそれをY染色体ハプログループxを持つ主体が話す(書く)。
俺系統の信仰1.2 x系統の運転手がx系統の言葉を話す。
言い換えると、x系統の言葉の主体はx系統の運転手である。つまり、言葉というのは、運転手が発している。この時、機械が発するのは、この言葉でない。俺は運転手が発する言葉を「魂葉(こんば)」と呼ぶ。運転手の言葉が言語に乗って、空間や媒介を使用して、他者の運転手へと伝達される。
俺系統の判断1.3 俺は善と判断するのは、俺らがx教系統の言葉をx教系統の言語に対応させる。
例えば、俺が善と判断するのは、俺らが俺教系統の言葉を俺教系統の言語に対応させる。ユダヤ教系統の言葉はセム語族系統の言語に対応させられる。父葉や魂葉へと一般化すると、俺らがx系統の言葉をx系統の言語に対応させる。
俺系統の思考の規範1.4 もしある主体がx教系統の言葉を発するならば、その主体はx教徒によって聞かれる。
口語的には、俺らはキリスト教系統の言葉を聞く必要はない。上記を変形すると、もしある主体が俺教系統の言葉を発するならば、その主体は俺教徒によって聞かれる。もしある主体がx系統の言葉を発するならば、その主体はy教徒によって聞かれない(聞く必要はない)。もしある主体が俺ら系統でない系統の言葉を発するならば、その主体は俺らによって聞かれない(聞く必要はない)。
上記をさらに変形すると、もしある主体がx教系統の言葉を発するならば、y教徒はその言葉に従わない(従う必要はない)。俺は上記の文を嫌う。なぜなら、主節と従属節では、主語が異なってしまっている。