以下では、俺は西村博之の話し方を提示する。西村博之の話し方は大和民族の典型的な話し方である。一般的に、大和民族は自己の立場を一切明らかにしないが、彼らは他人の矛盾を突いたり、苦情を言ってくる。
けれども、この種の行為は議論や討論でもなく、会話ですらない。彼らは彼ら自身の所属や認識や判断を一切明らかにしないが、他人の矛盾を突いたり、知識の間違いを探したり、揚げ足を取ったり、説得を試みたりする。その結果、西村博之は他人とまともに議論できないように見える。
西村博之(ひろゆき)の話し方〜自己の隠蔽〜
自己の所属の欠如
自己の所属の欠如:西村博之は「君は東洋文明に所属しているのか、西洋文明に所属しているか」と言う質問に回答できない。
西村博之は「君は東洋文明に所属しているのか、西洋文明に所属しているか」と言う質問に回答できない。西村博之は自己の文明的な所属を一切明らかにしない。けれども、西村博之はフランスや欧米を恣意的にデタラメに引用し続ける。
西村博之は欧米では〜やフランスでは〜と言うが、西村博之は「俺は西洋文明に所属している」と宣言しない。西村博之は自己の文明的な所属を一切明らかにしないのに、彼はフランスを引用して、相手の発言の矛盾を探そうとする。西村博之は日本国についてしばしば批判的に言及するが、その時、西村博之は自己の文明的な所属を隠蔽した状態で、日本国について言及する。
例えば、西村博之は「差別」と言う単語を使用する。たとえ俺が「君は差別という単語を使用したが、君はキリスト教の西洋文明に所属しているのか?もし西村博之が差別というキリスト教的な単語を使用するならば、西村博之は西洋文明に所属していると主張する必要がある。」と質問するとしても、西村博之はこの質問に死ぬまで回答することができない。西村博之は差別には人種や宗教は関係ないと意味不明に返答するだろう。あるいは、西村博之は差別はキリスト教の単語であるのかと逆に質問して、矛盾をつこうとする(けれども、いつまでも自己の文明的な所属を表現できない)。
自己の宗教の欠如
自己の宗教所属の欠如:西村博之は「君はキリスト教徒であるのか、儒教徒であるのか」と言う質問に回答できない。
西村博之は「君はキリスト教徒であるのか、儒教徒であるのか」と言う質問に回答できない。または、西村博之は「君はキリスト教系統の善悪(レッドカード)を持っているのか、儒教系統の善悪(レッドカード)を持っているのか」と言う質問に回答できない。西村博之は自己の宗教を明らかにしないので、彼は「君はキリスト教系統の社会を実現したいのか、儒教系統の社会を実現したいのか」と言う質問に回答できない。
一般的に、大和民族は自己の宗教を明らかにしない。加えて、彼らはどの宗教の系統の善悪(レッドカード)を持っているのかも明らかにしない。さらに、彼らは左翼やリベラルや保守を自称するが、彼らは「俺らはキリスト教系統の社会を実現したい」と宣言しない。ここでのx系統の善悪とは、例えると、サッカー系統のレッドカードを持っているのか、卓球系統のレッドカードを持っているのかである。
例えば、西村博之だけでなく、白饅頭やわかり手や青識亜論と言った電街論客も彼ら自身の宗教を明らかにしないが、彼らはフェミニズムやリベラルの矛盾や欺瞞を突こうとする。けれども、白饅頭やわかり手や青識亜論も、そして西村博之も自己の宗教を明らかにしないので、俺らは彼らがどんな宗教を持ち、どんな宗教の系統の善悪を持ち、どんな宗教の系統の社会を実現したいのかすら把握できない。
自己の認識の欠如
自己の認識の欠如:西村博之は自己の認識を明らかにしないので、他人と正常な議論を実行することができない。
西村博之は自己の認識を明らかにしないので、他人と正常な議論を実行することができない。例えば、西村博之は「君は二重国籍を機械不平等と認識しているのか」と言う質問に生得的に回答できない。あるいは、西村博之は「君はユダヤ教徒の西側白人を宗教的に無関係な有色人に対して被害者であると認識しているのか」と言う質問に回答できない。
西村博之は「アメリカでは二重国籍が認められている」や「これからはグローバルな時代であるから」と欧米の引用(事実)で返答するだろう。後者の質問に関しては、西村博之は「ユダヤ教徒の白人は虐殺されてきたから」と事実で返答するだろう。けれども、西村博之は自己の認識を決して明らかにしようとしない。西村博之は説明や事実や知識の引用で誤魔化そうとする。
おそらく、日本は限定的に二重国籍を認めざるを得ないと思います。韓国も日本の国籍法に倣っていたルールを変更し、事実上の二重国籍容認をしたように、頑なに二重国籍を拒んでいる国はほとんどありません。仮に日本が二重国籍を頑なに拒み続けても、勝手に取得されていれば、追跡は内政干渉になる為、ほぼ不可能です。生まれながらの二重国籍は大坂なおみさん方式の日本国籍選択を宣言した上で、他の国籍を放棄せず、放置すると言う手段を取るだけです。これに罰則規定はなく、離脱努力義務でしかありません。
https://nururi.com/the-rich-out/
上記の文章が典型的な大和民族の文章であり、上記の人間は関西人(醜い渡来人の末裔)で女性で一橋法学部卒であるだろう。西村博之は「俺は二重国籍を機械不平等と認識しない」と決して主張しない。彼らは「〜せざるを得ない(しょうがない)」と説得?のような何かを試みたり、韓国を引用して、「ほらみろ、韓国もやってるぞ」と言ってみたり、「二重国籍を認めないと富裕層が流出するぞ!」と恫喝や脅しを試みる。
大和民族は二重国籍が善であるとも悪であるとも判断しない。加えて、大和民族は二重国籍を機械不平等とも機械平等とも認識していると主張しない。大和民族は延々とごねたり、屁理屈を主張したりするが、自己の立場も自己の認識も自己の善悪も判断も絶対に明らかにしようとしない。これでは、俺らは大和民族と全く会話できない。
西村博之(ひろゆき)の話し方
矛盾を突くが、自己を表現しない
話し方:西村博之は他人の話の矛盾を突いて、論破を試みるが、西村博之自身の意見や視点や認識を一切明らかにしないので、会話できない(話が通じない)。
西村博之は他人の話の矛盾を突いて、論破を試みるが、西村博之自身の意見や視点や認識を一切明らかにしないので、会話できない(話が通じない)。例えば、西村博之はフェミニズムやリベラルの矛盾を突いて、彼らの理論を論破しようとする。けれども、西村博之は彼自身がキリスト教徒であるのか、儒教教徒であるのかを一切明らかにしない。
西村博之は他人の話の矛盾をついたり、論破を試みたり、言動と行動の一致を突いたりしようとする。けれども、西村博之は彼自身の意見も視点も認識も一切明らかにしない。だから、俺らは西村博之と会話できない。
上記でも述べたように、この種の話し方は西村博之だけでなく、白饅頭やわかり手や青識亜論にも該当する。さらに、大阪大学の菊池誠や神戸大学の牧野淳一郎にも該当する。この種の大和民族は自己の何かを一切表現しないのに、他人を糾弾したり、他人の発言を癇癪で妨害するので、異様に見える。彼らは何かを言ってきたり、矛盾を突いてきたりするが、自分の意見をいつまでも表現しないので異様に見える。
概ね同意ですね。 強いて言うなら、アスペルガー疾患者は価値観が健常人と根本的に違うというより、価値観そのものがない と言っていいと思います。 だからこその、他人のj行動を真似るとか、あるいは追い詰められたときのおうむ返しとか、言動の一貫性のなさ、 口先だけの大言壮語ばかりで行動が伴わない、などがあるんだと思います。 「他人の気持ちがわからない、空気が読めない」などといったら、別に何か確固たる信念に基づいた自分というものが あるのだとうっかり勘違いしてしまいそうですが、実はそういうことじゃないということですね。 あるのは単に、他人を否定することによって自分を認めさせたいというある種の本能的な我欲だけでしょうね。
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